《前編》 より

 

【算多きは勝つ】
「孫子くんも言うてるがな。『算多きは勝つ』。事前に周到な準備を行い、それが勝敗を決めるてな」
「なるほど。そう言われてみると、準備することをそれほど重視してこなかったかもしれません・・・」
「そやろ。自分みたいなんは、何でも行き当たりばったりやろ。明日プレゼンがあったり商談があったりしても『なんとかなる』で終わらせるやろ。それでたまたまうまくいくこともあるかもしれん。でも、一流の人間はどんな状況でも常に結果を出すから一流なんや。常に結果を出すにはな、普通に考えられているよりずっと綿密な準備がいるねん。」(p.166)
 行き当たりばったりでも、7割程度のそこそこの成功率が上がっていれば、大抵の人はそれで充分良しとするだろう。しかし、プロフェッショナルとしての自覚を持つ一流の人は、9割以上を目指し極めたいと思っているはず。
 最善・最高・一流を目指している人々は、事前に綿密な準備をする過程でこそ、多くの学びを得ているのである。「この世的な成功」という点より、学びを通じての「魂の成長」度合いという点で、一流の人物は、一目に値するだろう。

 

 

【もし自分の想像する夢が全部かなうとしたら】
「ええ車乗りたかったら、ええ車目指して頑張ればええねん。でもな、自分の夢を、もっとでっかくでっかくしてったら、最終的にはみんな幸せにする夢になるはずなんや。自分の枠の中だけで考えるから、小さい、身勝手な夢になってしまうんよ」
 もし自分の想像する夢が全部かなうとしたら、と僕は考えてみた。そのとき、自分だけじゃなくて、ともだちも家族も、それだけじゃない、もっと多くの人を幸せにするような夢を描くことができるかもしれない。でも、心が狭くなるとどうしても自分だけのことを考えてしまう。(p.277)
 自分だけが成功するという欲望であっても、二元性の世界においては実現可能。しかし、地球が置かれている宇宙環境の推移によって、地球は、「二元性(分離極性)」よりも「融合極性」が優勢な星になってゆく。「一は全体である」というスピリチュアルな概念に則した現われがより顕著な星になってゆくのである。だから、個という小さな枠を基盤とした「成功哲学」は、以前にも増して通用しなくなる。
   《参照》   『宇宙パラレルワールドの超しくみ』 サアラ (ヒカルランド) 《中編》
            【これからは、成功哲学が通用しなくなる】

 

 

【「満たされる」状態】
 お腹がすいていたこともあっておいしく感じられた。
「どや?」
「おいしいです」
「なるほどな。となると、つまり今、自分の『足りない』いう状態は満たされたわけや。これは自分のカラッポになった胃にカレーが入ったいうことや。ようするに、自分はカレーと一体化したわけや」
「はい」
「つまり、満たされる、というのは、『一緒になる』ということなんや。たとえば、人から愛されていると感じている時。人を愛していると感じる時。自分の幸せ以上に相手の幸せを思う時。自分よりも大事なものができた時。それは全部、『あなたと私は一緒です』ということを表してんねや。一番わかりやすいのは恋愛やな。男と女がお互い足りない部分を補完して一体化するわけやからな。これもまた、今、自分がカレー食べたのと一緒なんやで。(p.308)
 「満たされた状態」とは、「一緒になる状態」こと。
 即ち、「個と他者」、ひいては、「個と全体」が「(精神的に)融合」してゆく状態である。
 これは、アセンション(進化)のベクトルである。

 

 

【「足りない」状態】
「つまり、『大きな欲を持っている』いうんは『大きく欠けている』いうことや。『足りない』と感じている部分が大きい、いうことやな。そやから、たとえばでっかくて豪勢な家を手に入れることで満たされるいうんは、その家が入る分だけ、自分の中にはぽっかりと欠けている部分があるっちゅうことや。それだけ『足りてない』てことや」
「そのとおりです」 (p.308-309)
 チャンちゃんなんかは、『南方録』にある、「家は漏らぬほど、食は飢えぬほどにてこと足れり。薪水を己で運び、湯を沸かし、茶を点てて、仏に供え、我も飲む」という文言どおりの生活で充分だと思っているから、日常レベルでの欲望は、かなり小さい。だから、心理の欠落由来という視点よりは、不義・不正によって得た財で豪勢な家を建て、更にも増して高級車に乗っている世間体第一の輩の、見え透いた愚かさ不徳さ加減を、長い時空の前後から伏し目がちに見ている程度である。
    《参照》   『声に出して活かしたい論語70』 三戸岡道夫 (栄光出版)
              【曲肱の楽しみ】

 そもそも、日本人の中には、「成功哲学」系の自己啓発書になど一切興味はなく、小さな幸せで満足している人々が、多いのではないだろうか。これは決して劣っているのではなく、むしろ逆で、ささやかな物事の中に幸せを見出し得る繊細な感受性を持っているという秀でた民族性の証拠ですらある。
    《参照》   『求めない』 加島祥造 (小学館)
              【求めないでごらん】

 しかしながら、戦後の日本人は、物欲経済の導入と共に、「幸福哲学」ではなく「成功哲学」に摩り替えた洗脳をされてきたのである。「欠乏の心理学」と「物欲の資本主義経済学」は、実によく合った組み合わせである。
 「足りない状態」は、「(物質的な)孤立状態」を導きやすい。
 これは、ディセンション(退化)のベクトルである。

 

 

【「足りない状態」を「満たされる状態」にするもの】
「けど、ここからが大事やから、ちゃんと聞いとくんやで」
「はい」
「そういうふうに『足りない、足りない』て思えば思うほど、家もお金も、自分から逃げていくんや。皮肉なことやろ。・・・中略・・・。お金はどないしたら手に入るんやった?」
「ひとを喜ばせることです」
「そやろ。・・・中略・・・。けど、自分ごっつ腹減ってんねんで。腹減ってんのに、人喜ばせることなんてできるか? そんな余裕ないやろ。・・・中略・・・。自分が満たされへんと、人を喜ばせることはでけへん。人に与えることがでけへんのや」
「はい。分かります。・・・中略・・・。どうすればいいんですか?」
「それはやな・・・」
 ガネーシャは言った。
「『おおきに』や」
「おおきに・・・ですか?」
「そや。『おおきに』て感謝することや」
 そしてガネーシャはゆっくりとていねいに言葉をつなげた。
「・・・中略・・・。自分の中に足りんと感じていることがあって、そこを何かで埋めようとするんやのうて、自分は十分に満たされている、自分は幸せやから、他人の中に足りないところを見つけ、そこに愛を注いでやる。この状態になってこそ、自分が欲しいと思っていた、お金や名声、それらすべてが自然な形で手に入るんや。
 世界をかたちづくっている何にでもええから、感謝するんや。
 足りてない自分の心を「ありがとう」て言葉で満たすんや。
 ありがとう、ありがとう、みんなのおかげで私は満たされています。幸せです。
 そうやって感謝するんやで。 (p.309-312)
 感謝の効力を保証する【聖なる二分法】を理解しておきましょう。
   《参照》   『神との対話 ③』 ニール・ドナルド・ウォルシュ (サンマーク出版) 《後編》
              【聖なる二分法】

 リンクの下に行くほど、「ありがとう」が、超次元的にパワーアップします。
   《参照》   『幸福論』 須藤元気 (ネコ・パブリッシング)
              【ありがとう】
   《参照》   『誰も知らない開運絶対法則』 白峰・有野真麻 (明窓出版) 《前編》
              【ありがとうございます】
   《参照》   『地球一切を救うヴィジョン』 白峰 (徳間書店) 《後編》
              【本心開発】

 

 

【ガネーシャ、最後の言葉】
「成功だけが人生やないし、理想の自分をあきらめるのも人生やない。ぎょうさん笑うて、バカみたいに泣いて、死ぬほど幸福な日も、笑えるくらい不幸な日も、世界を閉じたくなるようなつらい日も、涙が出るような美しい景色も、全部全部、自分らが味わうために、この世界創ったんやからな」

 そしてガネーシャは言った。

「世界を楽しんでや。心ゆくまで」 (p.320)
 そう、地球生命圏に特有な二元性の世界は、あらゆることを経験・体験して「心を味わい尽くす」ためにこそある場である。
   《参照》  『神との対話 フォトブック』 ニール・ドナルド・ウォルシュ (サンマーク出版)
 魂の視点で言うなら、成功云々は、本質的なことではない。
   《参照》  『不可視の王国《アストラル界》へ行こう』 ペガサス (ヒカルランド) 《後編》
            【この世界を救うのは・・・】
   《参照》  『地球を救う愛のスイッチ』 ペガサス (ヒカルランド) 《後編》
            【体験しなければ・・・】
   《参照》  『数霊に秘められた宇宙の叡智』 深田剛史・はせくらみゆき (徳間書店) 《後編》
            【 「霊主体従」 という “マイ岩戸開き” 】
   《参照》  『宇宙人の魂をもつ人々』 スコット・マンデルカー (徳間書店) 《前編》
            【魂のアイデンティティの鍵】

 

 

<了>