
“求めないーー すると・・・・・” という形式の文章が詩のように記述されている。2007年7月初版。
【求めないでごらん】
自ら計らわず求めることなく淡々と生きるのが、東洋流の幸福哲学。
日本人は次第に欧米化されて、求めることが普通になってしまったらしい。
欧米流の左脳仕様の生き方をすると、求めることが必要になってしまうのである。陥穽。
《参照》 『超意識 あなたの願いを叶える力』 坂本政道 (ダイヤモンド社) 《後編》
世の中のひとたちは
あまりに求めてばかりいる
君ひとり
求めないでごらん
珍しがられるから (p.61)
求めるものを明確にしてそれを次々に実現してゆこうとするのは、西洋流の成功哲学。あまりに求めてばかりいる
君ひとり
求めないでごらん
珍しがられるから (p.61)
自ら計らわず求めることなく淡々と生きるのが、東洋流の幸福哲学。
日本人は次第に欧米化されて、求めることが普通になってしまったらしい。
欧米流の左脳仕様の生き方をすると、求めることが必要になってしまうのである。陥穽。
《参照》 『超意識 あなたの願いを叶える力』 坂本政道 (ダイヤモンド社) 《後編》
【 自ずから「なる」 】 【日本の立ち位置】
【求めなくても平気】
《参照》 『たちまち晴れるその悩み!』 深見東州 (たちばな出版)
求めないーー
すると
求めなくても平気だ
と知る。 (p.70)
求めなくても平気だと知らないのなら、物質的に「もっともっと」という社会経済意識に呪縛されているか、人に対して求め期待する自分の心に呪縛されている。すると
求めなくても平気だ
と知る。 (p.70)
《参照》 『たちまち晴れるその悩み!』 深見東州 (たちばな出版)
【期待しない】
【共存とは】
《参照》 『超☆幸福論』 船井幸雄・佳川奈未 (ダイヤモンド社)
共存とは
「求めあう」ことじゃなくて
互いに「与えあう」ことなんだ。 (p.163-164)
「あったりまえじゃん」と思うけれど、いまだに Give ではなく Take の生き方に徹している人も少なくないのだろう。「求めあう」ことじゃなくて
互いに「与えあう」ことなんだ。 (p.163-164)
《参照》 『超☆幸福論』 船井幸雄・佳川奈未 (ダイヤモンド社)
【ギブ・アンド・ギブ】
それが止んだとき、
人類は滅びに向かうかもね。 (p.164)
人類は滅びに向かうかもね。 (p.164)
【自由】
求めないでいられるとき、ひとは
いちばん自由なんだ。
・・・中略・・・
ところで
求めないでいられるのは
君がもう持っているからだ。
持たないひとに
求めるなといえば
無理さ。
衣食住が足りていて
それから、君が
礼儀や気取りを捨てたとき
自由がくるんだ。
ただね、
ひとから求めるなと求められて
それに従ったって自由はないよ。 (p.173)
いちばん自由なんだ。
・・・中略・・・
ところで
求めないでいられるのは
君がもう持っているからだ。
持たないひとに
求めるなといえば
無理さ。
衣食住が足りていて
それから、君が
礼儀や気取りを捨てたとき
自由がくるんだ。
ただね、
ひとから求めるなと求められて
それに従ったって自由はないよ。 (p.173)
【タオ】
本気で山の中に小屋を建てて籠りたいと思ってしまう。タオの観点から言うと、世界につながるインターネットも功罪相半ばするツールである。
求めないーー
すると「自然」になる。
だって、自然はひとに
求めないからだ! (p.114-115)
「自然」という言葉が出てきたところで、この著作の背景にあるのはタオだろうと思い当たったけれど、その通りだった。下記はあとがきに書かれていること。
すると「自然」になる。
だって、自然はひとに
求めないからだ! (p.114-115)
いったい
なにひとつ求めない美とはなんなのであろうか
20年前の私はこんな考えを抱いていたのだーーしかしそれはふと心に浮かんだだけで、私の中に根づかなかった。その20年の間に、私は英米文学から『老子』のタオイズムに転じたし、生活は大都会から伊那谷に移って、家族から離れて独り暮らしとなった。それまでの西洋合理主義と都会人的心性から一変して、少しずつ自然と交流するタオイストになったわけです。 (p.180-181)
チャンちゃんも求めない生活を実践しているけれど、著者のように独り暮らしでないと、社会意識がこびりついている家族や周辺の人々の意識や雑音が甚だしくて、とてもじゃないけどタオに浸っているなんて気分になれるもんじゃない。なにひとつ求めない美とはなんなのであろうか
20年前の私はこんな考えを抱いていたのだーーしかしそれはふと心に浮かんだだけで、私の中に根づかなかった。その20年の間に、私は英米文学から『老子』のタオイズムに転じたし、生活は大都会から伊那谷に移って、家族から離れて独り暮らしとなった。それまでの西洋合理主義と都会人的心性から一変して、少しずつ自然と交流するタオイストになったわけです。 (p.180-181)
本気で山の中に小屋を建てて籠りたいと思ってしまう。タオの観点から言うと、世界につながるインターネットも功罪相半ばするツールである。
著者の本を読んだのはこれが初めてだけれど、下記著作の中で著者の名前が出てきているからリンクしておこう。著者が「人生を悲しいものである」と考えないのは、タオの考えを咀嚼しているからなのだろう。
《参照》 『生きるも死ぬもこれで十分』 帯津良一 (法研)
《参照》 『運命におまかせ』 森田健 (講談社) 《前編》
《参照》 『生きるも死ぬもこれで十分』 帯津良一 (法研)
【かなしみをベースとして・・・?】
下記の著作には、『求めない』を積極的に活用した生き方が書かれている。《参照》 『運命におまかせ』 森田健 (講談社) 《前編》
<了>