真っ白でまっさらな紙を前にして、その中心に大きく丸を描きます。
円です!
丸い円ですね!
それが自我です。
形式化されたグラフでの表現です。
あなたが不時着した砂漠で、忽然と現れた金髪の男の子に会って(それも自分の過去とそっくりの)、もし「ね...自我の絵をかいて」と言われたら、砂漠に丸を描いてあげましょう。
*閉館してしまった星の王子さまミュージアムでサンテグジュペリの子供時代の写真を見ました。まさに星の王子さまそのものでした。
丸を描くと言えば、白隠禅師。
こちらは白隠禅師の丸
そう言えば京都の大きなお寺さんのご住職の奥様からお話を聞いたときに、成田先生のメガネのことに言及され、あれは鼻を三角と見立てているのでは、とおっしゃっていたことを思い出します。
仙崖の「○△▢」。(出光美術館)
(なぜ作品名と作品の並びが違うか言えば、もともと日本は右から左へ書くものなので)(そして現代日本語の横書きは英語と同じく左から右)
いやいや、話が膨らみ過ぎています。
今日はシンプルに。
この紙に描いた丸がセカイを部分と全体に分けます。
「イチブトゼンブ」と言い換えても良いかもしれません。
♬あなたは私の、ほんの一部しか知らない♬(B'z「イチブトゼンブ」)
*真面目な話、このB'zの詩は、完全情報を希求してならない部分情報しか持ち得ない我々のためのものであり、アプリオリがいかにありえないのか、そしてなぜ部分で良いのかが明晰判明に述べられています( ー`дー´)キリッ
果たして全部があるかは別として(観測されないものは存在しないので)、切り取られたイチブは存在し、そしてそれを概念集合と考え、またその集合に含まれる自我とも考えられます。切り取られたイチブは自我とみなせるということです。丸は自我の形式的な描き方です。
なぜ「世界は存在しないのか」についてはさんざん書いてきましたが、以下に復習を。
で、まず「なぜ世界は存在しないのか?」からです。
世界は存在しないというと、全てが無くなるような気がしますが、それは早計です。
安心してください。目の前のiPhoneもMacBookもペットボトルも机も椅子も存在します。
マルクスガブリエルの言い方で言えば、世界は存在しないが、世界以外は存在するのです。
僕らの言い方に翻訳しましょう。
この翻訳は邪道だとは思いますが、、、。
部分情報は無限に存在する(厳密には可能無限のように無限にクリエイトできる)が、完全情報は存在しないということです。
(引用開始)
しかし他方で、わたしの主張は、世界以外のあらゆるものが存在するのだから、存在するものは一般に期待されているよりもずっと多い、ということでもあります。わたしが主張したいのは、警察官の制服を着用して月の裏面に棲んでいる一角獣でさえ存在する、ということです。この考えは世界のなかに存在しているし、この考えとともに警察官の制服を着用した一角獣も世界のなかに存在しているからです。これにたいして宇宙のなかには、わたしの知るかぎり、そのような一角獣は現れてきません。(引用終了)(マルクスガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』)
警察官の制服を着用して月の裏面に棲んでいるユニコーンって素敵ですね。
コスプレなのですかね?
それとも宇宙人たちの交通違反を取り締まっているのか?
冗談はさておき(マルクスガブリエルの冗談ですが)、ポイントは「宇宙」は世界では無いということです。
宇宙≒世界
と考えてしまいますが、宇宙は世界に包摂されます。
宇宙∈世界
です。
ですので、ユニコーンが宇宙に存在しなくても、ユニコーンは存在して構わないのです。
。
この宇宙と世界の区別を我々は「物理宇宙」と「情報宇宙」と表現しています。
そして情報宇宙は物理宇宙を包摂する、と(もちろんマルクスガブリエルのポイントは情報宇宙が存在しないということです。より正確には情報宇宙全体が存在しないということです)。
平たく言えば、部分情報は無限に存在するが、それをすべて包摂する完全情報は存在しないということです(ここで「空」については議論しません。とは言え、「空」は蜃気楼です。「空」が存在すると言ったら、お釈迦様は腰を抜かすでしょう。存在すると存在しないの上の抽象度が「空」ですから。下から定義されるはずもないのです)。
では、その証明方法はと言えば、ラッセルの方法を用いています(本人はそう言ってはいませんが)。
集合の集合を考えたときに、矛盾が生じるというあれです。
ラッセルのパラドックスですね。フレーゲに(手紙で)送ったラッセルのパラドックスが始まりとなり、その小さな傷がラッセルの大作であったプリンキピア・マテマティカを破壊し、ゲーデルの手によって、結果的に数学全般を破壊したあの「小さな傷」です。
で、そこから分かるのが、完全情報は存在しないが、部分情報は存在する、と。
(引用開始)わたしたちに認識できるのは、無限なものの断片でしかありません。全体を見渡すことはできません。全体など存在しないからです。(引用終了)
ここでマルクスガブリエルはフラクタル構造に言及しています。
(引用開始)
すなわち、無限に数多くの意味の場が存在し、無限に多様な仕方で入れ子構造をなしているという事実です。しかし、この果てしない入れ子構造は、虚無のただなかでーーーつまりはどこでもないところでーーー生じています。物ごとの起こる場所を規定するということは、およそ何らかの意味の場のなかでしかできません。意味の場の外部など存在しないのです。(引用終了)
ここまでは復習。
その上で矢印を描きます。丸に矢印を付け加えます。
→
矢印です。
まず、丸の中心に向かって矢印が向いているときを描きます。
そしてもう一枚の紙に丸の中心から外に向かって矢印を描きます。
解剖学っぽく言うと、求心と遠心の矢印です。
そして中心に向かうのが利己、外に向かうのが利他です。
利己は舗装された地獄への道、利他は誰も歩いたことのない極楽への獣道。
どちらを選ぶかが重要です。
【ブログ紹介!!!】
OMSの受講生であり、ダンス部の受講生でもあり、現役のダンサーであり、ヒーラーメンター養成BootCampの受講生であったはるかさんが見事なOMS第二講座の解説をされています。
こうやって図があると非常に分かりやすい。
それ以上に解説が分かりやすい。
あと2本、素晴らしい記事を紹介します!
まずヨガ指導者でありヒーラーでもあるキナリさん!
息子に言われた、忘れられない一言
そんな私に、
後になって深く腑に落ちる出来事がありました。
息子が高校生くらいの頃、何気ない会話の中で、
こんなことを言ったのです。
「ママって、未来で生きてるよな」
「その思考、僕にも移ってる気がするねん」
「今起きてることって、もう起こるって分かってたことやから、
正直、今現在はあんまり面白くない」
「結局、今はいつも未来のために動いてて、
こんなんで、ほんまにええんかな?」と。
*キナリさんらしい素晴らしい文章。そして味わい深い文章です。全文を熟読したい。
もう一つが、自然農法の実践者でありヒーラーである「いち」くん!
無意識にウソは通用しません。
やらされているのか、自ら望んでやっているのかは、はっきりと境界を区別して考えることです。
やらされている仕事であってはならないのです。
なぜなら、自ら望み、自ら選択して、その場所にいるはずです。その仕事をやろうと決意したから、今の自分があるのではありませんか?
そうでないならば、自己責任ではありますが、きっぱり拒否することです。
Have to(ねばならない)ことをすれば、その行動がますます自分の現状を縛るように作用してしまいます。
現状に縛られると言う事は、最もゴールから遠い状況に置かれてしまいます。
*非常に明瞭で明晰で、そしてご自身の言葉で語られていて素晴らしい!!彼の教えと指導を受けるのは良い選択肢でしょう。
節分という節目(まさに追儺)を超え、立春を迎え、大きく場が移動したことを感じます!!
というわけで、いよいよ今週末はIBCのガラ公演です。
我々が目指しているあり方をすでに体現している人々による人生を賭けた作品を鑑賞しましょう!


















