田んぼの畦に咲くネジバナ
(草刈りで部分的に残してます)
他の方のブログで「ネジバナ」の記事をいくつか見かけたので、今日はその話を少し
「ネジバナ」が「もぢずり」とも呼ばれることは多くの方がご存じでしょう
「ネジバナ」は見れば納得ですが、「もぢずり」って何?
ってとこから整理してみます
まずは、百人一首の中の有名な歌
陸奥(みちのく)の
しのぶもぢずり 誰(たれ)ゆゑに
乱れそめにし われならなくに
河原左大臣・源融(みなもとのとおる)
嵯峨天皇の第12皇子
光源氏のモデルの有力候補者(822–895)
私の心が乱れ始めたのは、いったい誰のせいなのだろう
私のせいではありません
(それはあなたに出会ってしまったからなのです)
超エリートで裕福、しかもモテモテだった男が誰に対して告白しているのかは謎
ひょっとして禁断の恋なのかな?![]()
この歌に出てくる「しのぶもぢずり」とは福島県信夫郡(しのぶごおり)で作られた布のことで、
忍草(シダ)の汁で乱れ模様を摺り出して染めたのが特徴
ネットから拝借したもじずりの染色の様子
(宮城県塩竃市に残る伝説)
源融は陸奥国の地方行政官としてこの地を訪れ、長者の娘を見初めます。
やがて、源融は京に帰ってしまいますが、もう一度だけでも会いたいと願う娘が観音様に祈願したところ「文知摺石もぢずりいし」の表面に源融の姿が現れたという。
石の別名を鏡石とも言われているそうです。
これが、源融と長者の娘との悲恋物語として有名になっていきます。
源融は貞観6年(864)42歳の時から5年間「陸奥出羽按察使」を兼任しました
しかしながら、按察使は現地に赴かないのが通例らしい
では何故陸奥に前記のような伝承が多いのか
裏付けとなる史実はなく、理由ははっきりしません
でも京都の邸宅「河原院」に塩竈の風景を精密に再現した庭園を造るほどの塩竃愛があったのは確からしいので、本人も本当は塩竃を訪れてみたかったのでしょう
では本題、何故もぢずりがネジバナになるのか
理由はシンプルで、
古語の「もぢる」が「ねじれる・よじれる」を意味し、「しのぶもぢずり」のねじれ模様とこの花の形が似ていたからもぢずり草と呼ばれ、
個人的には「どこが似てる・・・
」
(謎は残る)
明治以降、植物の名前を統一するのにもぢずりぐさでは古臭い?のでネジバナにした
らしい(また牧野大先生か
)
というわけで、
源融の歌に登場する「もぢずり」は布のことで、花とは無関係だということを確認しました
私は長いこと、この歌とネジバナの名前が何か関係があると勝手に思い込んでいたという話でした
(チャンチャン、お粗末
)













































