こちらの梅雨明けはまだですが、暑さは夏本番になりました

自分の部屋にいる時は窓全開、上半身裸で扇風機だけでしのいでいましたが、

さすがに耐えきれずに月曜日に初めてエアコンをつけてみました

 

ん~、やっぱり快適、極楽じゃ~音譜

 

テレビをつければ連日熱中症警戒アラートが出てるし

もう若くはないのだからやせ我慢はするべきじゃないですね

 

実家の山の家はそれなりに涼しいのですが(エアコン無し)

近辺でもう少し標高の高い避暑地があります

 

その「笹ヶ峰」は標高1,300mだから気温は8℃くらい低い計算になります

過去写真ですが、せめて写真だけでも涼し気な景色をお届けします

 

今日の一句も読んで涼しくなるようなのを選んでみました

 

 

 

高原の

風身に添へる

半夏かな

 

恩田秀子

 

 

 

 

 

 

クレソンの

花賑やかに

忘れ水

 

 角田良子

 

牧場の中ほどに湧き出す「宇棚の清水」

水温は年間を通じて6℃

写真の白い花は自生するクレソン

 

 

 

 

 

岩魚棲む

渓流よぎり

馬柵(ませ)はあり

 

 福田蓼汀

 

 

 

 

 

 

したたりは

歯朶に飛び散る

清水かな

 

夏目漱石

 

 

 

 

 

 

夏木立

深き処池

あらんとは

 

正岡子規

 

宇棚の清水が流れ込む「清水ケ池」

 

 

 

 

おまけ

 

笹ヶ峰には散策やトレイルランニングの拠点となるグリーンハウスという施設があり、2階のレストランで食事ができますニコ

 

「グリーンハウス」名物のジャンボステーキ

国産和牛300gを食べて夏を乗り切ろう もぐもぐモグモグ

 

前回の投稿で石垣に生えてる百合を鉄砲百合と書きました

 

で、今日見たら咲いてました

ヤマユリゲラゲラ

 

 

何年も見てて分らんのか

と呆れられそうですが、興味が無いということはそーゆーこと

 

 

謹んで訂正させていただきます笑い泣き

 

 

おまけ

 

今日も暑いニャーオッドアイ猫

 

ブログネタがなかったので山の家で写真を撮ってきました

今頃はもっぱら田んぼや屋敷周りの草刈りをメインにしつつ、あれやこれや思いついた作業をしてます

 

 

今日はジャガイモを掘って作業小屋に仮置きしました

もみ殻が結構入っていて土が柔らかかったか規格外のデカいのが多かったです

まだ葉が元気そうな株はあと一週間くらいほおっておきます

 

 

行者ニンニクのタネを蒔きました

三列の右側が一昨年の発芽苗

真ん中と左のもみ殻を被せてある部分は去年の蒔いた場所

ほとんど発芽しなかったので、再度蒔いてみました

 

 

庭の草刈りをしました

今年はネジバナが多かったので半分くらいは残して、種を飛ばします

 

 

何も手をかけなくても花は咲きます

後ろの刈込はユキヤナギとコデマリ

伸び放題だったのを大幅に切りつめました

剪定が遅すぎたから来年の花は期待できないけど

 

 

ツツジは花が終わった直後に剪定しました

直径2m以上あったのを鋸も使って50㎝くらい小さくしました

ツツジは丈夫だから太い枝からも芽が出てすぐに復活します

 

 

黒松の剪定途中です

ツツジもそうですがこの松も雪囲いはしないので枝が下がって雪国仕様の樹形になってます

頭の左側、雪折れの欠損部を徐々に修復中

 

 

おまけの鉄砲百合

5年ほど前に石垣の隙間から突然百合らしい植物が出てきました

何処から種が飛んできたのやら、居心地が良さそうで年々巨大化してます

移植しようにも球根が取れないのでそのままにしてますが、いつまで頑張れるか

毎年、種を採って増やそうかな・・・

なんて思うだけで何もしてません

 

 

ということで(どーゆーこと?)

今日の一句はありません ウシシ

 

【PR】

 

 

 

今年も高田城址公園の「観蓮会」が来週の18日から始まります

高田の夜桜は本数が多いので有名ですが、蓮も結構な面積なんですよ

 

でも、そもそもなんで蓮なのか、その理由は・・・

以下、上越観光Naviより転載(上のパンフレットも)

 

明治4年、高田藩は戊辰戦争と大凶作による財政難に苦しんでいました。それを打開しようと、戸野目の大地主・保阪貞吉(初代の津有村長)が自身の財産を投じて、お堀に「れんこん」を植えたのが始まりです。れんこんは昭和37年まで採取されていました。

昭和28年、蓮の研究で知られる故・大賀一郎博士が訪れた際、「蓮池の規模の大きいことは世界でもまれで、特に紅白入り交じっているのは珍しい」と激賞しました。それを聞いた市民が“東洋一”と語り伝えて現在に至ります。

 

ちなみに面積は19haもあるので、一周するのはやめた方がよろしいかと思います

暑い盛りだから人気のない蓮ですが、どうしても見たい方は涼しい早朝がお勧めですね

 

ということで、早朝の公園での写真と俳句のコラボをお届けします

(似たような写真ばかりですみません)

句はいつもの「俳誌のサロン:歳時記」とアメブロより7句選ばせていただきました

 

 

 

日輪の芯もつ蓮の花開く

橋本順子

槐 201610

 

見えない花托が光を放っているイメージ

 

 

 

 

 

命得て日の白蓮の眩しかり

安藤ヒサ子

河鹿 200506

 

あぁ・・・生きててよかった

 

 

 

 

 

三尺の鉢が浄土や蓮ひらき

松本三千夫

末黒野  201609

 

遊歩道には鉢植えの蓮も並んでいます

 

 

 

 

 

天上に風あれば散る蓮の花

保坂加津夫

いろり 199908

 

風もないのに花びらを散らしたのはだれ

 

 

 

 

 

み仏の光宿すか紅はちす

山野俳子

俳子歳時記 202505

 

夜が明けて静かに花が開き始めた

 

 

 

 

 

蓮花の名残りの岸も朝の雨

小澤克己

遠嶺     200610

 

華やかな時を過ぎた今も美しい蓮

 

 

 

 

 

束の間の片道切符蓮の花

元橋孝之

京鹿子 202111

 

帰りの切符がないのは生あるものの定め

 

過去の写真ですが釣り人を撮ったのがあったので

季語「鮎」の俳句を鑑賞してみました

 

かつて、鮎釣りが解禁されると川沿いの料理屋さんに行くのが楽しみでした

炭火で焼いた熱々をハフハフ言いながらかぶりつき

冷酒をグビリと流し込む

ぷはー五臓六腑にしみわたるぜ 飛び出すハート

 

 

写真は「鮎や」さんよりお借りしました

 

そんな至福のひと時は過去のことになってしまいました

今は断酒中の身なので 笑い泣き

ノンアルでは何を食べてもイマイチだから

一汁一菜とは言いませんが簡素な食事で十分です

(それは単に歳をとっただけかい) 

 

私は食べるだけで釣ったことはありませんが

現場を通りかかった時は車を停めて釣り人を眺めていました

 

たぶん、やってみたら面白いだろうな

ハマるんだろうな

でも元はとれないんだろうな

なんて思いながら

 

今日はそんな「鮎」から五句選んでみました ニコ

 

 

 

黙々と鮎釣人の気負ひかな

 

橋場美篶

末黒野 201110

 

 

 

 

 

鮎釣の半身霧の中にあり

 

 戸栗末廣

空 202304

 

 

 

 

 

山水の一景となり鮎釣師

 

栗田武三

ぐろっけ 200909

 

 

 

 

 

釣人の時止まるかに鮎の川

 

三橋玲子

末黒野 201004

 

 

 

 

 

轟々と渦巻く魚梯鮎のぼる

 

東野鈴子

雨月 200507

 

 

以前、国道8号線を行き来してた頃に撮った日本海に沈む夕日です

季節は梅雨のさなかの6月の下旬、夏至の頃

 

日暮れが遅いから、ずっと夕日を見ながら走ることができた海岸線

梅雨といっても毎日降るわけではないし、思わず車を停めてしまいたくなる夕景も多かったです

 

 

そんな過ぎし日の夕暮れを思い出しながら

季語「梅雨夕焼」、「夏至」から四句

 

 

 

いちにちの

景のをはりの

梅雨夕焼

 

鷹羽狩行

狩 199809

 

左の岩を拡大すると↓・・・ひよこに見えませんか?

糸魚川市能生の「とっとこ岩」

 

 

 

 

 

夏至の日の

西をはるかの

(い)り日かな

 

川崎不坐

火星     200110

 

この辺りから見る夕日は海を隔てて

遠く奥能登の山なみに沈みます

北陸道有磯海SA

 

 

 

 

 

夏至金色

夏至の大日 如来なり

 

岡井省二

省二全句集      200312

 

撮影地:糸魚川

 

 

 

 

 

夏至耿(こう)

わたつうみなり

汀あり

 

岡井省二

槐        199906

 

撮影地:直江津

 

たまたま同じ俳人から2句選んだのでプロフィール検索

おかいしょうじ、1925~2001

三重県生まれ、内科医のかたわら句作、「槐」主宰

 

 

 

 

【おまけの写真】

 

今頃の季節ものといえば「半夏生」(タコ関連じゃなくて植物のほう)

あれを皆さんのブログで見ると、私はマタタビの葉を思い出します

 

葉が白くなったマタタビを富山県境あたりで良く目にしました

それで場所を覚えておいて、秋に実を採って焼酎漬けにする

でも効能が定かではなくて、結局は古々酒になったという話 ウシシ

 

 

キウイの仲間だから花も似てる

先日ブログに載せた、田んぼで突然目覚めたコナギの草取りが終わりました

始めてから2週間、少しずつ取ってましたが、その間にコナギも稲も成長して

稲は株が大きくなり、顔にチクチク当たるほどに伸びました

 

田んぼの中では蛙に変身したオタマジャクシや羽化したてのアキアカネがたくさんいて

特に、アキアカネは今頃に羽化するのかと再認識したところです

このアキアカネは生れた時は褐色ですが、これから山に行って、また秋には赤とんぼになって産卵のために田んぼに戻ってきます

 

泥だらけの手で写真は撮れなかったので

「六方たんぼのコウノトリ便り」よりお借りしました

 

 

田の草取りの1ラウンド目が終わったので、お約束の食レポをお届けします

(完全無農薬ではないので少しだけ試食)

 

 

◆ まずは収穫(?)

コナギは泥に手を突っ込み株元を引き抜くとわりと素直に抜ける

まるでこう言っているようだ

「食べるなら若いうちにしてね♡」

 

収穫したコナギ、まだ蕾はない

こんなもんでよかろ

 

 

◆   まずは生食

一枚のきれいな葉っぱを口に入れてみる

葉はソフトな歯ざわりで葉柄の部分は多少シャキシャキ感あり

味は草っぽい青臭さが少しあるけど酸味、苦みなど無く、不快な後味なし

 

 

根もイケそうだったけどきれいにならないのでパス

(強く洗うと柔らかい葉が痛む)

 

 

◆ 下処理

水道水で洗って痛んでない葉だけ摘んで湯に放り込む

茹で時間はさっと10秒ほど

湯がほうれん草を茹でた時のように薄い緑色になったのでアクが出たか

 

 

 

◆ いざ実食

茹でてしんなりした葉を口に運ぶ

ん・・・

味がしない

味の主張はゼロ

食感は柔らかく、ほんのりヌメリがあるような無いような

葉柄の部分は多少の噛みごたえがあって悪くないが、歯に挟まった

茹で時間が短すぎたか、後味に若干のエグミが残る

 

ほうれん草みたいなきれいな緑色

 

◆ 調味料で救済してみる

【おひたし】

醤油をかけると・・・

醤油の味しかしない

マヨネーズは醤油よりいけるがマヨネーズの味しかしない

ほかのドレッシング、めんつゆ、ポン酢、甘味噌、ゴマ味噌・・・

試すまでもない

 

【味噌汁】

味噌の味しかしない

ただ、具としては普通に成立する

「味噌汁に何か葉っぱが入ってた」程度の存在感

 

【天ぷら】

実食はしてないが想像はできる

衣の香ばしさに完全に負けて何を食べたかわからないだろう

 

 

◆ 小菜葱という漢字へのクレーム

小菜葱って書くから行者ニンニクみたいにネギ風味でもあるかと期待したのに、ネギ要素ゼロ!ってどゆこと

調べてみれば、この漢字は完全な当て字で、ネギの味がするからではないらしい(調査不足)

昔ムカシ、ミズアオイを「菜葱・なぎ」と呼び茹でて食べていた

そのミズアオイに似てるけど少し小さいから「小菜葱」と呼ばれたとのこと

 

 

コナギの花

写真は「GREEN PIECE」よりお借りしました

 

総評

★☆☆☆☆(星1)

毒はない(たぶん)

不味くはない

でも、ネギではない

そして、積極的に食べる理由もない

 

そんなコナギは水田雑草界のたくましく地味で無口な美しい草でした

 

 

ということで、田んぼ一面のコナギを食べつくそうなんて

牛か山羊でも連れて来なきゃ無理ですね

でも稲も食べられてしまうから、お願いするならが良いかな

 

 

残った残骸を池に投げ入れたら

金魚が物珍し気に寄ってきた

 

いつもの「歳時記インデックス」から季語「青田」の句を選んで鑑賞しました

数えたら1060句もあったので、途中でウトウトしたりして読み飛ばした句もたくさんあります

比較的近年の句ばかりですので、このほかにもビックネームの句がたくさんあるはずですが、探す余力は残っていませんでした

 

たくさんの句があったのでいつもより多めに8句選んでます

はじめの五句は、景をそのまま捉えた写生句

次の二句は、心の動きを映した心象風景の句

最後に一茶の句を添えました

 

 

 

落人の

村に幣(ぬさ)立つ

青田かな

 

阿久津渓音子

春耕 200009

 

 

 

 

 

 

水門を

落つる水音

青田道

 

渡邉孝彦

やぶれ傘 201011

 

 

 

 

 

 

青田風

水路の水の

清きこと

 

伊藤一枝

酸奬 201009

 

 

 

 

 

 

水匂ふ

青田回らす

合掌屋

 

白鳥義岳

帆船 200209

 

 

 

 

 

 

青田風

鎮守の森を

吹き抜くる

 

鵜飼紫生

雨月 200211

 

 

 

 

 

 

歳月は

風の如くに

青田波

 

鈴鹿仁

京鹿子  201009

 

 

 

 

 

 

青田吹く

風を真如と

申しまする

 

久保夢女

槐 201709

 

 

 

 

 

 

木がくれに

母のほまちの

青田哉

 

一茶

 

母の帰りを木の陰から首を長くして待つ幼い一茶

(一茶は三才の時に母を亡くしている)

 

 

今日はちょっと長すぎましたね

最後までお読みいただきありがとうございました ニコ

 

 

【追記】

「ほまち」の解釈がよくわかりません

 

●「ほまち」は「心待ち」「待ち焦がれ」「待ち侘び」

 木がくれに(木陰に隠れて)母のほまちの(母を待ち焦がれている)青田哉(その時見えていた青田よ)

 つまり 「母を待つ幼い自分」+「目の前に広がる青田」 という構図

 

●「ほまち」はへそくり田

 「木陰から、亡き母がかつて大切に耕していた小さな青田が見える。母の健気な生活の跡が、今もそこにある」

 

私は心情的に前者を採用したのですが、「ほまち」は名詞であり動詞としては読めないという後者の説が正しいみたいアセアセ

父の日は過ぎましたが、ふと思い出して父のことなど書きます

(写真と本文は関係ありません)

 

生れた家では母の日や、まして父の日は特別な日ではなかった

子どもの頃からそのようなイベントには縁のない家だったし、周りもそんな時代ではなかった

 

自分が家庭を持ち、子供中心の生活になり、子供たちから手造りのプレゼントをもらうようになると

父の日もまんざらではなかったし嬉しかった

そんなこともあり、母の日には衣類とか花とかを母に贈ったものだ

 

でも、なんだか照れくさくて父には一度も贈り物をした記憶がない

 

 

 

 

既に父も母もいなくなった今は何をするでもなく、気が向いた時に仏壇に向かって手を合わせる程度

 

思えば親不孝な息子だった

仕事で家を離れているとはいえ、末期がんの痛みに耐える父の介護をすべて母に丸投げしていた

たまに農地と家の管理のために戻っても、身体をさすることも手を握ってあげることもしなかった

そんな息子を父はどう見ていたのだろう

 

 

 

 

さみしかる 父の心を 知り乍ら

なぜか語れぬ 我はかなしく

 

(父29歳が病床にある父55歳に対して詠んだ歌)

 

 

ノートに冠婚葬祭や農事暦など必要な事を書いておいたから、後は任せた

そして、自分史も書き終えたし、もう思い残すことは何もない

 

そんな思いだったのなら救われるのだけれど

 

 

 

 

かえりなん 花咲きにほふ ごくらくに

おわす佛の そでの中にぞ

 

(父74歳の詠んだ最後の歌)

 

 

 

ちょっと湿っぽくなったので

気分を変えていつもの歳時記から3句紹介します

 

 

 

父の日や

肩叩き券

呉れし頃

 

大石誠

沖 201707

 

(確か、有効期限の書いてない未使用の券がどこかにあるはず) ゲラゲラ

 

 

 

 

父の日や

酒量気づかひ

和菓子くる

 

四條進

峰 200708

 

(ドクターストップにより断酒、5年半経過) 笑い泣き

 

 

 

 

父の日は

一人山野を

友とせり

 

高橋将夫

槐 201708

 

(父の日に限ったことではないけど、山や野良が落着く歳になりました) ほっこり

 

 

田んぼの畦に咲くネジバナ

(草刈りで部分的に残してます)

 

 

他の方のブログで「ネジバナ」の記事をいくつか見かけたので、今日はその話を少し

 

「ネジバナ」が「もぢずり」とも呼ばれることは多くの方がご存じでしょう

 

「ネジバナ」は見れば納得ですが、「もぢずり」って何?

ってとこから整理してみます

 

まずは、百人一首の中の有名な歌

 

 

陸奥(みちのく)

しのぶもぢずり (たれ)ゆゑに

乱れそめにし われならなくに

 

河原左大臣・源融(みなもとのとおる)

嵯峨天皇の第12皇子

光源氏のモデルの有力候補者(822–895)

 

 

私の心が乱れ始めたのは、いったい誰のせいなのだろう

私のせいではありません

(それはあなたに出会ってしまったからなのです)

 

 

超エリートで裕福、しかもモテモテだった男が誰に対して告白しているのかは謎

ひょっとして禁断の恋なのかな?イヒ

 

この歌に出てくる「しのぶもぢずり」とは福島県信夫郡(しのぶごおり)で作られた布のことで、

忍草(シダ)の汁で乱れ模様を摺り出して染めたのが特徴

 

 

ネットから拝借したもじずりの染色の様子

 

 

(宮城県塩竃市に残る伝説) 

源融は陸奥国の地方行政官としてこの地を訪れ、長者の娘を見初めます。

やがて、源融は京に帰ってしまいますが、もう一度だけでも会いたいと願う娘が観音様に祈願したところ「文知摺石もぢずりいし」の表面に源融の姿が現れたという。

石の別名を鏡石とも言われているそうです。

これが、源融と長者の娘との悲恋物語として有名になっていきます。

 

 

 

 

源融は貞観6年(864)42歳の時から5年間「陸奥出羽按察使」を兼任しました

しかしながら、按察使は現地に赴かないのが通例らしい

 

では何故陸奥に前記のような伝承が多いのか

裏付けとなる史実はなく、理由ははっきりしません

 

でも京都の邸宅「河原院」に塩竈の風景を精密に再現した庭園を造るほどの塩竃愛があったのは確からしいので、本人も本当は塩竃を訪れてみたかったのでしょう

 

 

 

 

では本題、何故もぢずりがネジバナになるのか

 

理由はシンプルで、

古語の「もぢる」が「ねじれる・よじれる」を意味し、「しのぶもぢずり」のねじれ模様とこの花の形が似ていたからもぢずり草と呼ばれ、

 

個人的には「どこが似てる・・・はてなマークうーん(謎は残る)

 

明治以降、植物の名前を統一するのにもぢずりぐさでは古臭い?のでネジバナにした

らしい(また牧野大先生かゲラゲラ)

 

 

 

 

というわけで、

源融の歌に登場する「もぢずり」は布のことで、花とは無関係だということを確認しました

 

私は長いこと、この歌とネジバナの名前が何か関係があると勝手に思い込んでいたという話でした

(チャンチャン、お粗末にやり)