美容院で髪を切って、ここ数日無性に食べたかったビリヤニを近所の南インド料理屋で食べて、丸の内線に乗って銀座の映画館に行ってきました。
本家で紹介されていたジョン・クランコの映画です。
ニューヨークと言うと、ジョン・クランコを思い出します。
ニューヨークで絶賛され、「シュツットガルトの奇跡」と称されたのもニューヨークであれば、機内で45歳の若さで急逝したのもニューヨークからのシュツットガルトへの帰国の便でもありました。
そのジョン・クランコの映画が日本でも3月から公開されます。
*マリシア・ハイデをエリサ・バデネス姉さんが演じます!そしてフォーゲル様がご出演!ジェイソン・レイリーも!(まさにシュツットガルト総出演の様相を)
*マイケルの甥がマイケルを演じるくらいにエモいです!
(「まといのば」本家ブログより引用)
バレエのことはよくわかりませんが、それでも劇中劇(というかバレエ)のロミジュリのラストシーンで思いがけず落涙し、映画の最後のシーンでも泣いてしまいました。
いや、ブラームスの第三楽章はずるいって。
もちろん現役のスターダンサーたちにも心を奪われました。だから涙が溢れたのだと思います。
僭越ながら、バレエやバレエに関する作品に触れることで、先生の魂に触れたような気がするように思います。バレエ映画といえば、やはり「愛と哀しみのボレロ」でしょう。
これも元々DVDで観た時も感動したのですが、たまたま数年前に映画館でリバイバル上映されたのを観た時に、ラストのジョルジュ・ドンのボレロのシーンで嗚咽して、映画が終わった後もしばらく席から立てなかったのを記憶しています。
映画の中のすべての絶望や哀しみが、ボレロで浄化(カタルシス)されていくのに同調して、自分自身も深く浄化されました。
さて話は変わりますが、ジョン・クランコが絶賛されたのがニューヨークですが、最近は落合信彦さんの著作や、ウィキッドで言葉を奪われた動物たちの姿を見て、英語の学習を少しずつ再開しております。
当然ながら本家ブログを英語学習に関してDigるのですが、過去の記事にかつての英語講座と、そこからカタコト多言語への移行が頓挫している旨が書かれていました。
本家ブログより引用します。
ちなみに文の構造というか、最初に文章で見るべき構造に関するキーワードは以下の通りです。
シン・メンター養成スクールでも、繰り返し出てきましたね。
Topic sentence(First Sentence)
Last sentence
Comparison
Cause and Effect
Example(Instance)
Repetition
これはメンター養成BootCampでの共通語にしていく予定です。
(ちなみにこのセットの初公開は、、、、「まといのば」の長いメンバーには懐かしいであろう英語講座の最終回です。『English kindergarten Vol.5 ~Readingの魔法のメソッド~』講座ですね.
2015年10月の開催でした。ここからカタコト多言語への移行が、、、、頓挫していますw)
(「まといのば」本家ブログより引用)
この「カタコト多言語」でまた本家ブログをDigると、その実相が公開されていました。何か、美味しそうな匂いがします。
本家ブログより引用します。
Eco SystemとはEchoシステムですね。ひたすらに聴くことです。ひたすらに寄り添い、ある意味で全てを肯定し、微に入り細に入り聞いていく、心の襞まで全て舐めるように触れていくのが、Echoシステムです。
それはモノマネの域に達するくらいに音を聴くことから始めます。だからこそカタコト多言語的な感覚は必要です。音に執着します。僕らは文字(テクスト)を観てしまいますが、音を拾いましょう。
そうすると、相手の心が流れ込んでくるのが分かります。逆にクライアントサイドは自分の話をこれほど丁寧に聞いてもらったことは無いという圧倒的な感覚を得ます。そうすると勝手にゴールの方向へブリーフシステムが移動していくのです。
そのカラクリはRゆらぎです。
鏡で自分の姿を観ると、つい化粧直しをしてしまうように、髪の毛をいじってしまうように、自分の姿をEchoで鏡写しされると、つい自分の理想へ移動してしまうのです。
だからこそ、三種の神器の中に鏡が含まれ、古代より鏡は霊的な力を持つ存在として崇め奉れるのです。
(「まといのば」本家ブログより引用)
僕は正直英語学習は昔ながらの、英文読解や英文法を通じて学んでいったので、この音に着目していく方法をよく知りません。そちらに移行したいと思っていたのですが、なかなかうまくいかず頓挫していました。
ただ今ならなんとかなるような気がします。というか上記の本家の引用文を読んでいて、これなら英語はもちろんメンタリングもダンスも歌も上手くなるのではないかと直観的に思います。
なのでマスタークラスとかでまたやってくれないかなーと願っております(ボソボソ)。
なぜかつて音を中心として英語習得にうまく移行できなかったというと、それは端的に(僕の)ゴールが弱かったのでしょう。だけど今はまたNYにも行くし、コロラドにも行くので、改めて取り組みたい次第です。
強いゴールや意図があって、僕たちははじめて転生できます。そしてその意図したコピーがオリジナルになります。
T理論で言えば、スター・トレックのBeam me upです。
本家ブログより引用します。
肉眼では確認不可能な細かな素子で作られているのが時空間です。時間の最小単位があり、空間の最小単位があります。
ですので、その時間や空間を我々を超えることはできません。
ということは、移動はせず、コピーされるだけです。
T理論で使われる例は、「Beam me up, Scotty、転送してくれ、スコッティ」です。
スター・トレックにおいて、どこか他の星から、宇宙船に戻るときに、ワープを使います。
ワープというのは、移動ではなく、情報の転送です。
他の星にいるカークの全素粒子の位置情報をコンピューターで認識して、その全素粒子を宇宙船で再現します。
コンピューターにおけるCut&Peast(カット&ペースト)のようなものです。
情報だけを伝送して、材料は宇宙船で調達します。
ですので、一瞬だけカークが二人いることになります。
ドッペンゲルガー状態です。
*エッシャー「2つの顔」
星の上にいるカークと、宇宙船に戻ったカークです。
もちろん速やかに「星の上にいるカーク」は消去されます。
消去というと綺麗ですが、平たく言えば殺されるということです。一瞬で熱処理されるのでしょう。
ところがあるとき停電なり、コンピューターのエラーで消去がうまくいかなかったとします。
すると、困ったことになります。
星の上に残っているカークは自分が死にたくありません。宇宙船にいる自分は他人に見えています。自分は自分であり、宇宙船にいるのはただのコピーであり、クローン人形でしかありません。
ところがルールによって、星に残っているカークは死ななくてはいけないのです。
哲学者もそれに同意します。
(中略)
哲学者の間では、哲学上の問題として、どちらのカークが殺されねばならないかが議論されました。
直感的には、明らかに宇宙船のカークがコピーです。
それはいま生まれたものであり、そのオリジナルは星に残っています。
ですが、その当の星に残っているカークが望んで、コピーを作った以上は、直感には反しますが、宇宙船のカークがこれからはオリジナルとして生きていくのです。
その「意図(Intention)」があった以上は、その意図によって、カークは存在しているのです。
そして、星に残っているカークは意図通りではないので、存在を許されないのです。
我々も同じです。
電光掲示板以上に、このスター・トレックのエピソードが身につまされます。
我々は意図して、明日へ移動します。
Beam upするのです。移動という名前のCopyです。
そして今日の自分は永遠にこの今日という時間の中に閉じ込められます。
死者は死なず、その時空に閉じ込められるだけです。
そして残ったものたちが、宇宙船へとBeam upしていくのです。
(「まといのば」本家ブログより引用)
確か昨年か1月の本家のマスタークラスで、T理論が海外(西洋)で受け入れられないのは、このコピーがオリジナルになるということや、縁起の思想がないからではないかと議論されていた記憶があります。
三島由紀夫は「文化防衛論」の中で西洋文化と日本文化を比較し、西洋文化は「石」を基本としているが、日本文化は「紙と木」を基本としており、その差異を説きました。
「石」は変わらず、「紙と木」は移り変わります。
そして伊勢神宮の式年遷宮を例に、コピーがオリジナルになることが日本文化の特色であることを説きました。
ものとしての文化への固執が比較的稀薄であり、消失を本質とする行動様式への文化形式の移管が特色的であるのは、こうした材質の関係も一つの理由であろう。そこではオリジナルの廃滅でないかばかりか、オリジナルとコピーの間の決定的な価値の落差が生じないのである。
このもっとも端的な例を伊勢神宮の造営に見ることが出来る。持統帝以来五十九回に亙る二十年毎の式年遷宮は、いつも新たに建てられた伊勢神宮がオリジナルなのであって、オリジナルはその時点においてコピーにオリジナルの生命を託して滅びてゆき、コピー自体がオリジナルになるのである。大半をローマ時代のコピーにたよらざるをえぬギリシャ古典期の彫刻の負うているハンディキャップと比べれば、伊勢神宮の式年造営の文化概念のユニークさは明らかであろう。歌道における「本歌取り」の法則その他、この種の基本的概念は今日なおわれわれの心の深所を占めている。
(三島由紀夫「文化防衛論」p.p.44-45)
また式年遷宮と縁起の連続性については、Dr.Tの新刊にダライ・ラマの転生と並べて書かれています。
つまり、僕たちは文化レベルでコピーがオリジナルになる縁起の思想を受け入れていることになります。だからこそ直観的にもT理論が理解しやすいのだと思います。
反対に西洋は石が文化の基本であり、また基本的には一神教なので、この縁起の思想が受け入れづらいのかもしれません。
それを踏まえてふと思い出したのが、アメリカに留学していた時に受けた哲学のクラスです。
ニーチェとハイデガーの研究をしていた先生が、哲学入門のクラスを担当しており、ソクラテスやプラトンから、現代に至るまでの様々な哲学者の議論を紹介してくれるクラスでした。
その一つにデカルトの神の存在証明の解説の回があり、僕は正直あまりよくわからなかったのですがw、神は存在するのか否かの先生と生徒のディスカッションがありました。
生徒の一人に無神論者の男の子がおり、彼が特に神は存在するか否かの議論を熱心にしていました。かなり彼は熱くなっていたのですが、その様子を見てふと思いました。
無神論という神を信じているのではないか、と。
熱心に神の存在を解く人たちの姿が彼にデジャブしました。
神がいることを熱心に解く人と、神がいないことを熱心に解く人は、よく似ているなあと思った次第です。
僕たちはアプリオリな神は理論を通じて否定しますが、遮那やハイヤーセルフと呼ばれる未来の自分という神は受け入れ、そして使役します。
現状の自分を超えた存在は肯定しますが、それは絶対的なものではなく、それこそ観測によって生じるものであり、また使役する(式神)ということを理解して実践しています。
と書いていて随分と抽象度が上がってしまいました。この辺の話は理論の中でもとりわけ抽象度の高いところなので、今わからなくても問題ありません。
そろそろ本家のマスタークラスの時間なので、この辺にしておきましょう。
さて対話を通じてひとつ上の抽象度へと、着実に階段を上がっていきましょう!
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