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 虫オタクの解剖学者・養老さんと、自然を尊重したアニメを多く描いている宮崎さん、同年代のお二人が楽しそうに語り合っている。書き下し部分以外は、1998年から2001年にかけて行われた対談が中心に編集されている。2008年2月初版。
 

 

【トトロを見つめるメイちゃんの目】
養老  『となりのトトロ』で、妹がトトロを発見してジーッと見つめているシーンがありましたでしょう。ぼくは、あの女の子の正面向きの絵を徳間書店の方に大きく引き伸ばしてもらって、東大の教授室の壁に貼っていたんですよ。ちっちゃい女の子が座ってジーッと見つめている、あの目つきが実によくて、解剖をやる人は、こういう目つきでなきゃダメなんだよって意味で。(p.38-39)
 だったら、メイちゃんは養老さんのお目にかなって解剖学者になれるんだろうけど、「トトロを解剖したら何が出てくるんだろう?」とかって、変な方へ考えてしまった。
 出てくるとしたら勿論、パンドラの箱の中身と反対のものばかりとかって思うのは、優等生すぎるだろうか。無垢な子どもたちなら、トトロの中から出てくるのは、マトリョーシカみたいに永遠にトトロばっかと思うのかもしれない。

 

 

【トトロのトラップ】
宮崎  親から、「うちのこどもはトトロが大好きで、もう100回くらい見てます」なんて手紙が来ると、そのたびにこれはヤバイなあと、心底思うんですね。 ・・・(中略)・・・ だって、結果として、養老さんが言うところの脳化社会にぴったり適応するような脳みそ人間だけを育てようとしているでしょう。トトロの映画を一回見ただけだったら、ドングリでも拾いに行きたくなるけど、ずっと見続けたらドングリ拾いに行かないですよ。(p.43)
 宮崎さんに言わせれば、「意外なところにアンチ自然の罠」ということなんだろうけど、「トトロの世界は、自然を通り越して、超自然の世界を描いてるじゃん」とチャンちゃんは思ってしまう。
 ドングを拾いに野外へ行っても、トトロの世界ではドングリが一晩で「うわぁ~~」って大きくなるのに、「本当の自然はそうならない」って子供達はガッカリするに決まってる。だから、ドングリじゃなくてトトロを一緒に探しに行ってあげる大人でないといけない。チャンちゃんなら子供につきあってあげる。「今日はトトロめっからなかったね。でも次は見つかるよ」って。

 

 

【子供の未来は・・・】
宮崎  この前散歩していたときに通りかかった教会の前に書いてあったんですが、マザー・テレサは「遠い人類より、隣の人を愛しなさい」って言ったそうですね。なるほどと思って帰ってきたんですが、あらためてそう言われると、確かにぼくらは人類のことを考えすぎていますね。それから未来のことも。なんでこんなに未来、未来って言うのか。子供の未来はつまんない大人って決まってるんですよ、ぼくたちがそうなんですから(笑)。(p.55)
 宮崎さん、何でこんな現実的で元も子もないこと言ってしまうんだろうか・・・と思いつつ笑ってしまうけど、内心では笑えない。
 次も、笑えない記述。

 

 

【子どものため? 自分のため?】
宮崎  ぼくが子どものために映画をつくろうと言っても、若いスタッフの士気が上がらないんです。だって、みんな自分の子供がいないんだもん。子どもがいなくて、いつまでたっても自分のために映画をつくりたいんですね。こんな人たちなんて、もう放っておけばいいんだと思うこともありますよ。みんなが支え合いながら穏やかに安楽死していけばいいって(笑)。(p.66-67)
 ・・・・。

 

 

【富士山くらい爆発してくれなきゃ・・・!】
宮崎  不謹慎かもしれないけど、富士山が爆発する姿って見てみたいじゃないですか。上半分吹き飛んじゃったりしたら、ありとあらゆる日本人がすごいショックを受けますよ。これほど短期間に自然を破壊し、子どもたちの様子まですっかり変えてしまったんだから、富士山くらい爆発してくれなきゃって思いません? やさしい緑したたる都市のまま、この島国だけがおだやかでいられたら、乗っかっている人間はかなわないですよ(笑)。
養老  『もののけ姫』の次ができたね(笑)。 
宮崎  もっとも、行くとこまで行ったってよくなる保証なんて全然ない。(p.85)
 富士山による日本自爆テロみたいな状況を語りたくなる心境は、分からないでもない。少なからぬ大人の日本人たちは同じような心境だったのかもしれない。
 実際の処、『もののけ姫』が上映されていた頃も、その後も、富士山は臨界状態が続いていたのである。
 富士山は日本人が湿気込むと臨界状態になるという不思議な霊山なのである。
   《参照》   『地球大改革と世界の盟主』 白峰由鵬 (明窓出版)

             【日本人の意識と連動する霊峰富士】

 宮崎さんはこのあと、非常に醒めた日本人継続論を展開しているけれど、『もののけ姫』を作る前から、かなり暗澹たる思いでいたらしい。

 

 

【踏みとどまった一点】
宮崎  環境問題という以前に、地球の今までの考えでは理解できない凶暴な面を表しはじめたでしょう、人間がやらなくても、温暖化はするし、海面が上がって海が戻ってくるし、天変地異はドカドカ起こるらしい。
 だからこの子たちのためにアニメーションをと思っても、その前に、気の毒だなあ、苦労しそうだなあって思わざるをえない。でも、やはりその子たちが生まれてきたことを「間違っていました」とは言えないでしょう。
養老  そうですね、言えないですね。
宮崎  生まれてきてよかったねって言おう、言えなければ映画は作らない。自分が踏みとどまるのはその一点でした、そこで映画をつくるしかないと。(p.157)
 『もののけ姫』が描いていた世界は、人類が近未来に選びとるかもしれない、ありうべき未来のひとつなんだけど、現実界でその引き金を引こうとする人たちは、自分自身の出番を今か今かと待っている。
   《参照》  『日本を貶めた「闇の支配者」が終焉を迎える日』 ベンジャミン・フルフォード

             【「窮鼠猫を噛む」状態の「闇の結社」】

 しかし、彼らの宗教思想に則して行われる人類滅亡計画の一部である戦争は、世界全体にとってはとんでもない迷惑であって、東洋の叡智の中枢を長いこと託し持ってきた日本人が、手を拱いたまま黙ってそれを受け入れる必要はない。『もののけ姫』が描いていた結末にさせないことこそが、日本人の使命というものである。
   《参照》   『日本人ならぜったい知りたい十六菊花紋の超ひみつ』 中丸薫・他

             【ユダヤ人左派】
             【16菊花紋の中心に在る日本人】

 

 

【自然や風景がじかに頭に飛びこんでくる】
 ぼくは自分を回復しようとして、山小屋にこもるわけですけど、 ・・・(中略)・・・ そういう場所で本当にシンプルな生活をしていると、最初の10日くらいは、散歩に行っても、目に幕がかかっていてよく見えないんだけど、ある瞬間を境に、突然、自然や風景がじかに頭に飛びこんでくるようになるんですね。 ・・・(中略)・・・ そういう体験を一度味わうと、みんながそれぞれ隠れ家を持てばいいのにって思いますね。(p.61-62)
 宮崎さんの山小屋は八ヶ岳にあるらしい。
 自然の息吹によってインスパイアーされる感覚って芸術家にとっては他に代えがたいほどに大切なものなんだろうけど、我々普通の現代人は自然との繋がりを失ったまま、それを何とも感じていないからこそ、相当にヤバイ状態なのである。
養老  パヒューマーという職業的に臭いをかぎ分ける人たちがいるんですけど、その人に赤ん坊がいて、田舎に帰ったとき、寝ている赤ん坊のそばをでっかいムカデが歩いていた。そうしたら、その瞬間にパッと自分の体臭が臭った。
宮崎  自分の体臭が瞬時に変わったのが分かったと。
養老  猛獣でも怖がらなければ馴らせるでしょう、子どもなんかも。あれ、結局、忌避物質を出さないからなんですね。(p.109)
 生まれたての赤ちゃんはどんな猛獣が隣にいようとも “無為にして化す” ことができる達人である。人間を長くやっていると、その能力が次第に失われてしまう。生まれながらにして無為に化していた超能力者が、自然から切り離された状態のままでいると、長ずるに及んで忌避物質を分泌するような低能力者さらには無能力者になってしまうのである。

 

 

【養老さんの「芸術論」】
 宮崎駿自身が、作品を言葉で表現できるくらいなら、苦労してアニメなんか作らないに違いない。
 ・・・(中略)・・・ 。
 アニメであれ文学であれ、あらゆる芸術表現は、その方法でなければ表現できないものを含んでいる。だから文字にならない、言葉にならないのである。そもそも文字でもなく言葉でもないから、芸であり術なのであろう。それでなければ、言葉だけあれば十分ではないか。その芸や術を、言葉にして説明されなければ、気が収まらないというのは、典型的な現代病、脳化という病気である。西欧文化が以前からこの病気にかかっていることは、はっきりしている。(p.173-174)
 何でもかんでも言葉にしなければ伝わらないとうのは、文化程度が低い証拠である。
   《参照》   『本当の愛とはなにか?』 深見東州 たちばな出版

             【智恵証覚に秀でた日本人】

 例えば、日本の伝統芸能である「能」を鑑賞するにしても、バーンスタインのような本当の芸術家なら、言葉による説明なんか不要である。
   《参照》   『「知」のネットワーク』 大前研一 イースト・プレス

             【能はエネルギー芸術である】

 

<了>

 

  宮崎駿・著の読書記録

     『何が映画か』

     『虫眼とアニ眼』