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 すんなりと話されている講義録だけれど、極めて意味深である。

 

 

【目と耳の対立から生まれたギリシャ悲劇】
 ニーチェが書いた最初の本に 『悲劇の誕生』 というのがあります。・・・(中略)・・・、その最初に 「ギリシャ悲劇というのは、アポロ的なものとディオニソス的なものの対立として生まれてきた」 というようなことが書いてある。・・・(中略)・・・。
 このアポロ的なものの典型的な例として、ニーチェは造詣美術、つまり絵画や彫刻を挙げました。それならディオニソス的なものは何かと言うと、それは音楽である。造詣美術は目がなければ成り立たない。音楽は耳がなければ成り立たない。ですから、ニーチェの言っていることは、実は 「目と耳の対立からギリシャ悲劇が生まれた」 というふうに読めるわけです。 (p.42-43)
 目と耳の対立は、心霊空間からの情報を人間の脳にダウンロードする場合、必然的に発生してしまう。それを象徴しているからこそのギリシャ悲劇なのであろう。時間という観念が、そこに絡んでくるからである。

 

 

【視覚と聴覚を統合するために必要なもの】
 視覚のように本来時間性を持っていない、つまり、時間を切ることができる感覚と、運動とか聴覚とか、時間を切ることができない感覚を、脳の中で一緒にするためには、時間という観念を作らざるをえない。それをカントはア・プリオリと言った。つまり、我々はものを考えるときに先験的にそういうものを持っている。 (p.71)
 スピリチュアリストの言う 「心霊空間には過去も未来も混在する」 という意味内容の正しさを、この記述は間接的に表現している。脳は本来、あらゆる次元に対応できるコンバーター(変換装置)である。

 

 

【脳化社会がからだを排除する】
 そもそも人間が自然から分かれて社会を作るときに、自然を排除してゆくというのは、どこの社会にもある。まず服を着せる。身体の自然性が歴然とわかってしまうから、性と暴力をタブーにする。ところが、日本の場合、その排除の仕方がかなり徹底しているんです。江戸時代には、もはや裸体画すらない。 (p.61)
 「江戸時代以来、日本人の身体意識は急速に失われてきている」 という 『意識のかたち』  の主張と対応している。
 身体から脳へ、すなわち、身体化から脳化へと意識の重心が移行するにつれて、全体化(農村化)から都市化へと現実世界は移行してゆく。
 そして、都市部においては、脳がもつ機能の延長そのものである情報処理分野がますます肥大化してゆく。多量な情報を集めて、何かと予測をしたがるのである。自然を完全に克服するために。はたしてそれが本当に可能であろうか?
 

【心は神様が入れてくれるもの】
 エックルスというノーベル賞までもらった学者がいるけれども、彼の最後の本 『脳の進化』 の中に、心というものは、人が卵から生まれてくるまでのどこかの段階で、神様が入れてくれるものだ、と書いている。神経生理学の分野でノーベル賞をもらった人が本気で書いているんです。 (p.100)
 心霊空間は心によって展開されている。どれほど高性能なコンピュータでどれほど膨大な情報を集め処理しようとも、心そのものをありのままに表現できはしない。
 心霊空間の様相をダウンロードできるスピリッチュアリストの脳による予測と、コンピュータによる予測のどちらが有意であろうか。時間の還元、心の展開、二つのリニアならざる因子が介在している。


 

<了>