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 脳がやや衰退期にはいった30代後半以降の人々が読者である場合には、きっと自分自身にも覚えのある脳の現象が語られていて、興味深く読めることだろう。2002年10月初版。

 

 

【意味と脳の保管場所】
養老 : しかし意味がわかると、自然に左脳にいってしまうんでしょうね。
古館 : じゃあ、意味がわからなきゃいいんだ。
養老 : 意味がわからないから右脳に入ってくるわけですよ。(p.29)
 子供の頃はだれでも右脳が優勢だから、意味など関係なく何でも記憶でき、天才の素質を残している。しかし、大人になるにつれて左脳が優勢になるから、凡人になってしまう。ビジネスでは左脳型でなければ活躍できない場面が多いけれど、全脳的に活用してこそ全能の天才的人間という視点でいえば、ちょっと知的に見えるビジネスマンなんて、単なる左脳を進化させた代償として右脳を劣化させてしまった劣勢畸形というだけである。
 左脳型で生きなければならない人ほど、右脳型の人の才能に興味を持っているものである。

 

 

【口だけが動いている】
古館 : これも 「トーキング・ブルース」 でのことなんですが、ライブ中、必ず一回は体験することがあるんです。2時間以上もただただ喋りまくっているでしょう。そうすると途中からもう肉体的には汗だくになるし、脳のほうもだんだん疲れてボーッとしてくるんだけどそれでも口だけが動いているみたいな・・・・そんな瞬間がフッと訪れる。(p.36)
 同じ経験がある。学生時代、サークルの集まりでベラベラしゃべっていたら、次第に自分の意識が離れていったにもかかわらず、口だけが勝手にしゃべり続けていたという経験がある。そのときは、その頃読んでいた興味深い内容が溜まりに溜まって過入力状態になっていたから、意識と離れて出力が勝手に連続してしまったのであろうと思っているけれど、自分の意識は、自分の右肩後方から、しゃべり続けている奴を見ていた。

 

 

【男と女の社会的な性差】
古館 : よく 「男は社会史で記憶する、女は自分史で記憶する」 という言い方をするじゃないですか。僕はやっぱりそういう傾向があるような気がしてならないんです。・・・(中略)・・・。
養老 : そこには社会的な問題もあるでしょう。つまり、女性は普通、職業を持たないでいる場合が多かったから、そうすると、社会的なものに興味を持つよりは個人的なことに興味を向けることが多くなる。これから先はわかりませんけど、とにかくかつてはそうであったから、そういう傾向がある。
古館 : 生物としてのオスとかメスじゃなくて、社会的な性差、ジェンダーの差でしかないと。(p.51)
 上記に続いて、

 

 

【男と女の脳の性差】
養老 : そうそう。社会的な要素が入ってくるから危険なんですよね。そういう社会的なことが入ってこないもので比べると、かなり歴然としているのは、たとえば空間把握力ですね。テストをすると男のほうが平均値がはっきり上になる。これはいえます。
古館 : あれですね、最近ちょっと話題になった、『話を聞かない男、地図が読めない女』 ってやつ。
養老 : そう。・・・(中略)・・・。逆に言語能力を測ると女性が必ず高い。語学とかが断然女性のほうが上なんです。だから、言語能力がモノをいうような入試を理科系でやると、入ってくるのが女性ばかりになってしまうんですよ。特に理科系の男は言語能力が弱いですからね。(p.51-52)
 高度な数式を駆使してノーベル物理学賞を受賞した益川先生は、英語が不得意であることをご自身でハッキリ語っていたけれど、理数系に秀でた男性脳の典型だったわけである。
   《参照》   『名古屋 ノーベル賞物語』 社会部編集 (中日新聞社)
               【異質が交わり 『理論』 生む】

 入試における理数系学科の英語の得点配分を変えないと、男性脳の長所が生きず、日本の高度な技術力は必ずや衰退してしまうのである。

 

 

【記憶がウソをつく】
古館 : 僕の友人でも、東京オリンピックのマラソンで金メダルを獲ったアベベ選手が裸足で甲州街道を走る姿を鮮明に覚えていた。間違いなく見たって自分は言うんですよ。ところが映像記録なんかを調べてみると、ちゃんと靴を履いているんですよ。最初から最後まで。「俺はちゃんと見た!」 って言ってたのに、そんな事実はなかったっていうんで、けっこうショックだったようです。
 そういうのって、意図的に変えたりアレンジしているんじゃなくて、脳が変化しているから、それにつれて中身も、要するに記憶も自然に変わっていったということだったんですね!
養老 : そう、独りでに変わっちゃうんだと思う。・・・(中略)・・・。
古館 : ということは、僕は今まで、記憶って自分の都合のいい形に改竄しているんだと思っていたんですけど、そうじゃないということですか。つまり、単純に、こうありたいというほうに記憶をすり替えているわけじゃないんですね。
養老 : そうそう、意図的に改竄しているんじゃなくて、独りでに変形しちゃうんですよ。(p.56-57)
 感情的な人間関係の中で生み出された記憶に関しては、古館さんが言っている要因があるように思えるけれど、それ以外の記憶に関しては、独りでに変形しちゃうという話に納得できる。であるにせよ、「独りでに」 といっても、変形が向かう方向に何らかの因子が関与しているはずである。
 他に、「記憶がウソをつく!」 ということに納得せざるを得ない実例がある。
 有森裕子が銅メダルを獲ったとき、本人は 「自分を褒めたい」 と言っていたのに、ほとんどの大衆は 「自分を褒めてあげたい」 と記憶しているのである。
 また、年寄りの昔の記憶に関する話しなんて、自分自身が知っている記憶に照らしても全然合わないことなどよくあるのだから、記憶ってホント、あてにならない。
養老 : 記憶に限らず、人間というのは物語を作るものだっていうことは、ここ数十年で一種の常識になっていますね。物語というのは、別の言い方をすれば 「嘘」 だということです。大きな嘘と小さな嘘があるだけで、たとえば人間って必ず宇宙観を持っていますが、どんな民族でも、世界がどうなっているかなどというのは、ほとんど嘘じゃないですか。たとえば中国だと、世界はでっかい亀の上に乗っているといった、その手の話です。個人でもやっぱり同じで、要するに、過去の出来事を上手につなげて面白い物語に仕立てられるほど記憶に残るんですよ。
 辻褄の合った物語は信憑性が高いと思われるけれど、物語 = 嘘、というのであれば、もはや人間なんてもう嘘の世界に住む嘘の塊になってしまうぅ・・・・。

 

 

【利き手・利き足】
養老 : ところで、利き手がある理由を知っています?
古館 : さあ、考えたこともないですね。
養老 : 利き手、利き足がないと、いざっていうときに困るわけですよ。
古館 : え?
養老 : いざっていうときに、どっちが出るかっていうことをあらかじめ決めてあるわけですよ。もし何かがあって逃げ出そうとするときに、足が両方一緒に出たらカエル飛びになっちゃいますよね。だから何も考えないでいると、いつも出る足は決まっているんですよ。(p.66)
 面白いのはこの先。

 

 

【感情というバイアス】
養老 : あのね、価値判断の問題でよく言われることの一つに、右にするか左にするかっていうことを決めておかないと、左右対称形は迷ってロックされちゃうってことがあるんですよ。それで、どっちがいいかっていう計算、つまり理屈でやっていると、答えが出ないことがある。急場に間に合わないんですね、生き物は生きていますから。進行形でやっていますから。だから計算装置は、必ずどっちかにバランスをかけておかないと、いつまでたっても計算していて、答えが出ないってこと。
古館 : なるほどね。
養老 : 感情っていうのも、そういう役目をもって機能しているんですよ。まあ、本当なら蓼食う虫も好き好きでどれでもいいんだけど、決まってなきゃ困るんですよ。どうでもいいから、まず決めとけっていうのが感情なんですよ。だから感情が理屈じゃないのは当たり前で、・・・(中略)・・・。
 言い換えればバイアスをかけてるっていうこと。(p.67-68)
 理屈じゃないゆえに感情に価値があるということなのだけれど、それが顕著に有効なのは、生物の生存に関わる重要かつ喫緊な判断が必要な時なのだろう。
 しかし人間は合理的に判断して生存を確保しなければならない場合もある。その時、感情というバイアスが理性(理屈)的な判断と一致しないことがある。
 時に応じて、感情と理性を整然と使い分けることができたらいいのだろうけれど、感情というバイアスは、人生の重要な選択において隠然たる影響力を持っているらしい。
 ところで、ここで言っている感情とは、好き嫌いという以前のレベルにある “脳の事前決定事項(バイアス)” のことである。理屈じゃない感情が先に選択して、後に好き嫌いの理由付けをしているということである。