《前編》 より

 

 

【味覚を定める “スイカ細胞” 】
古館 : 味覚っていうのは、記憶としてかなり固定してしまうものなんでしょうかね。
養老 : 変えられないんですよね、それははっきりしていますよ。特に脳の “扁桃体” というところに、はっきり好みを決めている細胞が見つかっていますから。 “スイカ細胞” とか呼ばれていますけどね。
古館 : スイカって果物のスイカですか?
養老 : ええ。・・・(中略)・・・。ネコなんか見ていると、食べ物の好みがものすごくはっきりしていますね。あれは扁桃体で動いているなって、よくわかりますよ。(p.158-159)
 味覚においてすべてのネコが同じ好みを持つのではない。それぞれ個体ごとの扁桃体に記憶されたものを好むのであって、猫の場合は、扁桃体と食欲の対応関係が他の動物よりはっきりしている傾向があるということ。犬や人間のように基本が雑食である生物は、味覚に好みがあるにせよ猫ほど脳内の対応関係がハッキリしていないということなのだろう。
 ネコのような顔をしたスイカという名の人間がいたら、その人間の味覚は絶対に猫並みに “スイカ細胞”に支配されている。単語を繋げただけの牽強付会な暴論であるけれど、チャンちゃんボスである猫の親分は、この暴論にあまりにもよくピッタリと当てはまっている。ギャハハ~~。

 

 

【アポロとディオニュソス : 視覚と聴覚】
 ニーチェが処女作 『悲劇の誕生』 で語っている “アポロとディオニュソス”。
養老 : ディオニュソスというのは実は音楽なんですね。アポロというのは、造形芸術。このアポロとディオニュソスというのが、じつはさっき言った目と耳なんです。(p.173)
養老 : 耳と目の一番大きな違いは何かというと、耳は時間を追っていくということです。お喋りがそうで、必ず時間がかかるんですよ。ところが、目は一目でわかるんです。時間性がないでしょう。・・・(中略)・・・。そういう意味で、生まれつき耳の聞こえない子供は因果関係が不得意ということになるわけです。同時に、疑問文が非常に把握しにくいんですね。因果と疑問というのは当然関わっていますよね。(p.188)
養老 : 視覚的な記憶法で覚えやすいのは、必然性がないものなんですね。(p.99)
      《参照》  『生と死の解剖学』 養老孟司 マドラ出版
               【目と耳の対立から生まれたギリシャ悲劇】
               【視覚と聴覚を統合するために必要なもの】

 ニーチェが洞察した 『悲劇の誕生』 は、人類に共通する根源的宿命ということになるけれど、日本民族に伝えられている記紀などの神話には、悲劇的な結末に至るものはほとんどない。そのような違いは、おそらく日本語の特殊性に拠っているのだろう。

 

 

【共通処理の明暗 : 視覚と聴覚と言葉】
養老 : 視聴覚を共通に処理しようとするのが左脳で、右脳は別々に処理しようとする脳なんです。言い換えると、言葉脳が左で、音楽脳とか絵画脳は右ということですね。・・・(中略)・・・。僕は芸大で美術を教えていたんですが、面白いんですよ、学生はだいたい外国語が下手なんです。(p.193)
 視覚的にも聴覚的にも想像し易い象形文字のようなものから、最終的な文字が生成する過程で、
養老 : 目でしかわからない情報はだんだん落ちてきます。同じように、「パシャン」 っていう、耳でしかわからない情報も落ちてくる。なぜなら言語は、最終処理に向かって進化しているから。・・・(中略)・・・。これを抽象的、抽象化といいます。だから抽象的というのはどういうことかというと、まったく異質な感覚を共通処理することなんですね。(p.198)
 視覚と聴覚を別処理する右脳と、それらを言語によって共通処理する左脳では、左脳の方が高級であるとは言えない。それは、時間性の有無という境界を越えることを可能にしていても、抽象化する過程でそれぞれに落とされた情報を掬いきれていないからである。
   《参照》   『考えるヒト』 養老孟司 (筑摩書房)
            【言語の進化と、それにより生ずるもの】
 また、中国語のように時制のない言語を話す民族というのは、時間性の有無を取り込むだけの抽象化された概念を有さぬ言語体系しか持たないということであり、また時間性の欠如ゆえに因果関係を思考する論理力に秀でることも困難な民族ということになる。
 中国や台湾で科学技術がいくら進歩しても、人類の発展に貢献するノーベル賞に値するような成果を得るために必要な高度な思考力を持った人材は、中国語を話し続けている民族からはおそらくそうそう現れないということになるだろう。
   《参照》   『インドの科学者』 三上喜貴 (岩波書店)
             【アジア生まれのノーベル賞受賞者】

 

 

【日本語の特殊性】
養老 : 日本語って特殊でね。日本語は読みの場合に脳の二箇所の領域を使っているんです。これはたぶん間違いない。なぜかというと、日本人が何らかの脳の障害によって失読症になった場合、かなが読めなくなる症例と漢字だけが読めなくなる症例と、別々のケースがあるんです。こういう分離は外国語にはありえない。なぜなら、まず普通は単一文字ですからね、かなと漢字が交ざっているようなことはない。(p.198)
 しかも、日本語には音読みと訓読みまである。
 日本語学習初期の外国人をノックダウンさせかねない日本語の理屈なき読みの多様性の例とすれば、「重い」 「重ねる」 「重大」 「重複」 が最適だろうか。 日本語の “発音” は複雑ではなけれど、 “読み” は確かに複雑である。
養老 : で、日本人の脳の中でそれをやる場所というのが、じつは万国共通で普通に文字を読む場合に使われる場所と違う場所なんです。ですから日本語の場合、普通の言語に比べて、読みの部分を倍使っていることは間違いない。・・・(中略)・・・。日本語の場合、言語の中の論理性がまずちょっと違う。複雑になっているということです。だから脳を倍使っているわけで、おそらくいろいろな副作用が起こっていると考えられます。(p.199)
 日本の昔からの教育が、「読み・書き・算盤」 と言われ、「読み」 が第一に重視されたのは、日本語が外国語に比べて明らかに読み方の多様性を有していたから。これは日本人を日本人たらしめている長所なのであるけれど、外国人とのコミュニケーション上必要な 「聞き・話し」 は二の次になってきたから英語教育における短所とされてきた。しかし、話すことが得意でなくとも、欧米の概念用語を理解し読むことは容易だったのであり、高度で複雑な思考が詰まった英語の論文を書くことは、日本人科学者だからこそできることなのである。
   《参照》   『考えるヒト』 養老孟司 (筑摩書房)
            【奇妙な日本語】

 

 

【死んだら 「おめでとうございます」 】
養老 : マダガスカルってとこは面白くて、死ぬとみんな先祖ってことになるんですよ。・・・(中略)・・・。
古館 : 日本も、大正初期くらいまでは、お葬式に駆けつけた人が 「このたびはおめでとうございます」 と言ってたという話を聞いたことがあります。喪服も黒じゃなくて白。死が第二の人生だと考えていたんでしょうね。今より生きることが過酷だったけど、その分、死が怖くなかった時代ですよね。(p.222)
 この大正時代の話からすると、近年の日本人はいかに人生観を正しくない方へ衰退させてきたことかと思ってしまう。
 欲望実現が容易になっている現在、人生観を誤まったままでいると、 「知足」 には至らず、死を怖れつつ、「まだまだ」 「もっともっと」 という思いに呪縛されて地縛霊となる愚者が増えてしまうのである。


 

<了>