誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)は、仲哀天皇の皇子として記紀に登場しながら、ほとんど語られることのない人物です。
なぜその名だけが残されたのでしょうか。

古事記と日本書紀の違い、そして伝承を手がかりに、謎多き皇子の姿を追います。


【第一章】記紀で異なる母

誉屋別皇子を調べていて、まず驚かされるのが、古事記と日本書紀で母親の記述が異なっていることです。

古事記では神功皇后の子とされており、応神天皇の兄にあたる人物として記されています。

一方、日本書紀では、誉屋別皇子は弟媛(おとひめ)の子とされています。

つまり、どちらを採るかによって誉屋別皇子の立場は大きく変わってしまうのです。

もし日本書紀の記述に従うなら、誉屋別皇子は複数いた仲哀天皇の皇子の一人に過ぎません。

しかし古事記の記述に従うなら、神功皇后の長男であり、応神天皇より先に生まれた皇子ということになります。

 【第二章】皇位継承

仲哀天皇の皇子であれば、皇位継承をめぐる物語に登場しても不思議ではありません。

実際、古事記・日本書紀では応神天皇即位の前に、忍熊皇子や麛坂皇子との皇位継承を巡る争いの話が登場します。

ところが、誉屋別皇子の名前はいっさい現れません。

仲哀天皇の皇子である以上、何らかの形で歴史の表舞台に現れてもよさそうだからです。

若くして亡くなった可能性もあります。
あるいは、政治の世界から距離を置いていたのかもしれません。

けれど、記紀はその理由を語ってくれません。
私は、記紀以外に誉屋別皇子の名前が残っていないかを探しました。

【第三章】伊奈冨神社に残る系譜

三重県鈴鹿市の伊奈冨神社に興味深い伝承が残されていました。

それは、

「仲哀天皇の御子 品屋別命(誉屋別皇子)の子孫が代々当社の神主として仕えた」

というものです。

もし誉屋別皇子が幼くして亡くなったのであれば、「その子孫が神職を務めた」という伝承そのものが成立しません。

少なくとも伊奈冨神社の伝承では、誉屋別皇子は成長し、子を残した人物として記憶されていたのです。


 

伊奈冨神社(いのうじんじゃ)

三重県鈴鹿市稲生西2-24-20


【第四章】語られなかった理由

ここまで見てくると、私は『日本書紀』の記述の方が実態に近いのではないかと思います。


伊奈冨神社の伝承が正しいなら、誉屋別皇子は夭折したわけではなく、成長して子孫を残した人物です。


古事記では、誉屋別皇子は神功皇后の子とされています。

もしそうであったなら、応神天皇の兄ということになり、

そのような皇子が、皇位継承をめぐる記述にほとんど登場しないというのは、少し不自然に感じます。


一方、日本書紀では誉屋別皇子は弟媛の子とされています。

その場合、仲哀天皇の皇子ではあっても、神功皇后の子ではありません。


母の身分がさほど高くもないということで、皇位継承の中心からやや離れた立場にあったと考えれば、記録が少ないことにもある程度説明がつきます。


もちろん、何が真実だったのかは分かりません。


しかし私は、誉屋別皇子は日本書紀が伝えるように神功皇后とは別の女性の子であり、もともと天皇の後継者として有力視される立場にはなかったのではないかと思っています。


だからこそ、名前は残りながらも、大きな物語としては語られなかった。


 

【終章】もう一人の母

私は、誉屋別皇子の母については、日本書紀の記述が正しく、誉屋別皇子は弟媛の子であり、神功皇后の実子ではなかったと考えます。


では、なぜ古事記では神功皇后の子として記されたのでしょうか。


もちろん、本当のところは分かりません。

ただ私は、小説を書く中で一つの可能性を考えました。


誉屋別皇子は、神功皇后の養子になったのではないか。


そう考えると、古事記と日本書紀の記述の違いも理解できるような気がします。


史料は多くを語りません。


だからこそ、その沈黙の中に様々な物語を想像することができます。


私はそんな想像から、誉屋別皇子を小説の中に登場させました。


第19話|誉屋別皇子


夏羽と田油津姫、神夏磯媛の血を引く者  

第19話|誉屋別皇子

 
【あらすじ】
 
伊勢で産まれた足仲彦天皇の子、誉屋別皇子。その母、弟媛が亡くなり、足仲彦天皇はその皇子を豊浦宮へ迎えたいと帯姫へ打ち明ける。
帯姫は、天皇が他の女性との間に子を成していたことへ複雑な思いを抱きながらも、大王としての務めを理解し、養子として受け入れる。
けれど胸の奥では、「他の誰でもなく、あなたと私の子が欲しい」という願いが、静かに揺れていた。
 
――――――
 
【本文】
 
豊浦宮へ戻られてからも、足仲彦天皇《たらしなかつひこのすめらみこと》が一つところに留まることはありませんでした。
 
筑紫の豪族たちとの会談。
海路の確認。
穴門から西へ、東へ。
 
ようやく戻られたかと思えば、また数日で発たれる。
そのような日々が続いていたのです。
 
息長帯姫《おきながたらしひめ》は、それを責めようとは思いませんでした。
大王とは、本来そういうものなのでしょう。
国を巡り、人を結び、地を治める。
その務めがあることは、理解しておりました。
 
けれど、
静かな夜の宮で、一人火を見つめていると、胸の奥にぽっかりと空洞が残るのです。
 
ある夕刻。
天皇は珍しく、長く帯姫の部屋に訪れました。
風が簾を揺らし、灯火が静かに揺れています。
 
「帯姫」
不意に、天皇が口を開かれました。
その声音は、どこか言い淀むようでした。
「話しておかねばならぬことがある」
 
帯姫は静かに顔を上げます。
「……何でしょうか」
しばし沈黙が落ちました。
 
やがて天皇は、低く言います。
 
「吾に、もう一人子が出来た」
帯姫の指先が、わずかに止まりました。
「……御子が」
「ああ」
静かな肯定。
「伊勢の女との間に生まれた」
 
帯姫は何も言いません。
ただ、胸の奥が冷えていくのを感じていました。
 
最初の后との間に皇子がいることは、知っております。
けれど、自分と婚姻した後にも、他の女との間に子を成していた。
その事実は、理屈とは別のところで、帯姫の心を刺しました。
 
この時代、天皇が妃を複数持つことは珍しいことではありません。
複数の妃を持ち、沢山の子を持つのは、推薦されていることです。
だから、怒るのは違う。
責めるのも違う。
帯姫自身、それは分かっているのです。
 
けれど。
(……私は)
胸の奥に、小さな痛みが滲みます。
(私とは、なさらぬのに)
その言葉は、声にはなりませんでした。
 
拒んだのは自分です。
あの雪の夜。
怯え、身を強張らせた。
だから天皇が遠慮していることも、帯姫には分かっていました。
けれど今さら、どうすれば良いのでしょう。
どう言えば。
どう触れれば。
もう分からなくなっていたのです。
 
「母である弟媛《おとひめ》は、子を産んで間もなく亡くなった」
天皇が続けられました。
「子は今、伊勢に残されておる」
その声音には、かすかな憂いがありました。
「……誉屋別《ほむやわけ》と申す」
まだ幼い皇子に思いを馳せているのでしょうか。
それとも、もうこの世にはいない弟媛のことを、思い出しているのでしょうか。
 
「帯姫」
天皇は、まっすぐ帯姫を見ました。
「誉屋別を、そなたの養子としたいと思う」
 
帯姫は、すぐには答えられませんでした。
灯火が揺れています。
波の音が、遠くかすかに聞こえていました。
 
誉屋別という幼子に罪はない。
母を亡くした子を思えば、胸も痛みます。
 
大后としては、受け入れるべきなのでしょう。
それは分かっているのです。
けれど――
 
帯姫の胸を締めつけていたのは、別の感情でした。
(私とは……)
言葉にならない想いが、喉の奥につかえます。
天皇は、他の女のもとへは行かれた。
子を成し、その子を案じておられる。
それなのに、自分との間には、いまだ何もない。
 
あの夜以来、天皇は決して無理に触れようとはされません。
優しく、気遣うように距離を置いておられる。
その優しさが、苦しかったのです。
 
本当は。
もっと近くにいたい。
触れてほしい。
抱きしめてほしい。
他の誰かではなく、自分を求めてほしい。
けれど、そんなことを口にするのは、あまりにも恥ずかしくて。
 
帯姫は膝の上で、そっと指を握りしめました。
このままでは駄目だ、とも思っていました。
何も言わなければ、きっと天皇はこれからも遠慮されたままです。
けれど今さら、どう切り出せばよいのでしょう。
 
そのようなことを自ら願うなど、浅ましく思われはしないか。
胸が熱くなり、息が詰まりそうになります。
それでも。
帯姫は、勇気を振り絞るように顔を上げました。
 
「あの……」
声が、かすかに震えます。
天皇が静かに帯姫を見つめました。
その眼差しは穏やかで、だからこそ余計に、胸が苦しくなります。
 
帯姫は視線を逸らし、消え入りそうな声で言いました。
「……私も、子が欲しゅうございます」
 
言った瞬間、顔が熱くなりました。
それだけしか言えませんでした。
 
天皇は、一瞬目を見開かれます。
それから、心底安堵したように、ふっと表情を緩められました。
 
「そうか」
 
その声音は、どこか安心したようでした。
「それは良かった。誉屋別も、きっと喜ぼう」
 
帯姫は、自分の言葉が大きく空振りするのを感じました。
 
違う。
そうではないのです。
 
けれど天皇は、嬉しそうに続けられます。
「すぐに迎えに行ってやりたいところだが、幼いうちの長旅は命に関わる。幸い、弟媛の姉がしばらく養ってくれると言っているので、ある程度大きくなってから迎えに行こうと考えているのだか、それで良いだろうか」
 
帯姫は唇をきゅっと結びました。
今さら違うとは言えません。
 
「……はい」
小さく頷くしかありませんでした。
 
灯火が静かに揺れています。
 
帯姫は、その火を見つめながら、胸の奥へ言葉を押し込めました。
 
“あなたと私の子が欲しい”
 
その想いは誰にも届かぬまま、そっと胸に残り続けていました。
 
――――――
 
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次回、第20話「穴門、開く」では
 
帯姫の予見通り穴門の海が変わり始め、熊鰐を巻き込んだ新たな海路の時代が動き出します。
 
6月16日(火)21時公開予定。
どうぞお楽しみに。

香春岳は銅の山であると同時に鉄の山でもあった。製鉄遺跡、羽白熊鷲伝承、そして田油津媛伝承の空白地帯から、古代北九州に生きた人々の姿を探る。

 

美奈宜神社

 

 

【序章】銅の山の、その先へ

 

前回、香春岳は古代の銅山だったことを記載しました。

しかし調べていくうちに、この山に残されている金属の記憶は、銅だけではないことが分かりました。

 

そして、鉄と深く結び付いている存在がいます。

熊鷲です。

 

 

【第一章】香春岳と鉄

香春岳の周辺では、実際に製鉄炉や鍛冶炉跡が発見されています。

宮原金山遺跡の発掘調査では、製鉄に関わる炉三基、鍛冶炉四基、そして大量の鉄滓が確認されました。 

この地域では鉄の生産も行われていたのです。

 

 

 

 

製鉄には大量の木炭と水が必要です。

山林資源が豊富で、水にも恵まれた田川盆地は、製鉄を行うには適した土地だったのでしょう。

 

さらに興味深いのは、この地域に渡来系文化の痕跡が色濃く残っていることです。

周辺の横穴墓や寺院跡からは、新羅との関係をうかがわせる土器や瓦が見つかっています。 

 

香春岳周辺には早い段階から大陸系の技術や文化が流入していた可能性があります。

香春岳は単なる鉱山ではなく、金属技術の集積地だったのかもしれません。

 

 

【第二章】羽白熊鷲という熔鉄の民

 

興味深いのが、美奈宜神社に伝わる羽白熊鷲の伝承です。

 

美奈宜神社と羽白熊鷲の伝承

 

美奈宜神社のはじまり

 

朝倉の古処山には羽白熊鷲(はじろくまわし)という熔鉄の民が住んでいました。

翼を持った鳥のように軽々と動き回ることのできる山岳系人物で、皇命に従わなかったと日本書紀にも記されています。

  

秋月周辺にある荷原と、「荷」がつく地名は、 羽白族が大きな荷物を運んでいた姿から付いたと伝えられています。製鉄の資材を人力で運ばせていました。

また、事故も絶えず、人手不足を補うために集落の村人をさらい、また作り上げた刀を試すために人里を襲い村人を困らせていました。

 
 

美奈宜神社の伝承で興味深いのは、羽白熊鷲が単なる反逆者ではなく、「熔鉄の民」として語られていることです。

 

彼らは山を移動し、大きな荷を運び、鉄を生産していたといいます。

 

 

仮にこのことが事実だったとしても、どこで鉄を作っていたかや、どこからどこに運んでいたか分かりません。

しかし、香春岳周辺で実際に製鉄遺跡が発見されていることを考えると、もしかしたら関連があるのではないか、と考えてしまいます。

 

古代の人々が見た製鉄集団の姿が、後世になって熊鷲伝承として語り継がれた可能性もあるのではないでしょうか。

 

 

【第三章】田油津媛伝承の穴

田油津媛の伝承地を地図に落としてみると、興味深いことに気付きます。

 

福岡・北九州・大分の地図

 

伝承は田川郡・市とみやま市周辺に分布しているのですが、その間の飯塚市・嘉麻市・朝倉郡等の地域が、不思議なほど空白になっているのです。

 

それだけで何かを断定することはできません。

 

しかし地図を眺めているうちに、私はあることを思い出しました。

羽白熊鷲です。

熊鷲の伝承地は、ちょうどその空白地帯に重なっていました。

 

福岡の地図と銅鉄遺跡

 

田油津媛と熊鷲。

両者を結び付ける史料はありません。

 

けれども、どちらも神功皇后の時代に朝廷と対立した勢力として語られています。

そして、その伝承が地図の上で隣り合うように存在している。

 

それは単なる偶然なのか。

あるいは、何らかの関係を持つ集団だったのか。

 

もちろん答えは分かりません。

ただ私は、その可能性に惹かれました。

 

そして小説では、その二つの伝承がひとつの物語につながっていたとしたら――という仮説を描いています。

 

【終章】山に残された記憶

熊鷲とは何者だったのでしょうか。

 

山の資源を握り、金属を生み出し、人々を束ねていた集団。

そんな人々の記憶が、後の時代に「熊鷲」という名で語り継がれたのかもしれません。

 

そして、田油津媛の伝承地と熊鷲の伝承地を地図の上に重ねたとき、私はふと考えました。

彼らは本当に無関係だったのだろうか、と。

 

もちろん、それを示す史料はありません。

けれども、史料に残らなかった人々のつながりを想像することもまた、歴史を歩く楽しさの一つです。

 

香春岳を調べるほどに見えてくるのは、銅と鉄が支えた古代北九州の姿でした。

そして私は、その山の記憶を、小説という形でも描いてみることにしました。

 

第16話|香春岳の火/「神功皇后 ― 海を越える巫女王 ―」

 
夏羽と田油津姫、神夏磯媛の血を引く者  

第18話|大王の勤め

 
【あらすじ】
 
山門で開かれた宴にて、田油津姫は巧みに人心を掴み、足仲彦天皇や家臣たちをも魅了していく。
その様子を見た武内宿禰は、筑紫を束ねるためにも田油津姫を妃に迎えるべきだと進言した。
だが帯姫との間に未だ埋められぬ距離を抱える天皇は、「子を成すこともまた大王の務め」という言葉に、静かに心を揺らすのだった。
 
――――――
 
【本文】
 
山門《やまと》は、女山《ぞやま》の麓に築かれた地でした。
かつて大乱を鎮めた女王も、この山へ籠り、神託を下したと伝わっております。
 
田油津姫《たぶらつひめ》は、女山を見上げながら言いました。
 
「ゆえに私は、この地を守る門を築きました。山門とは、その意味にございます」
 
そこには、豊前《とよくにのみちのくち》に築かれた長峡宮《ながおのみや》と同じような、立派な石垣が築かれておりました。
 
足仲彦天皇《たらしなかつひこのすめらみこと》一行は田油津姫に導かれ、石垣内部にある館へ入りました。
 
 
 
館には、その夜、絶えず火が灯されていました。
 
高く掲げられた篝火。
炙られる魚や獣の肉。
香草と酒の匂い。
 
「さあ、大王。こちらを」
 
田油津姫は自ら酒を注ぎ、天皇の傍へ腰を下ろしました。
その所作には迷いがありません。
まるで最初から、この場の主であるかのようでした。
 
「筑紫の酒は、口に合われますか?」
「ああ。悪くない」
「それは良うございました」
 
田油津姫は、ふふ、と小さく笑います。
その距離は近く、袖が触れ合うほどでした。
 
宴の隅には、熊鷲たちの姿もありました。
ですが、彼らは大和の者たちとは交わりません。
 
酒を飲みながら、じっとこちらを見ている。
その視線の先にいるのは――田油津姫でした。
 
特に、最も大柄な男。
羽白熊鷲。
彼は、田油津姫が足仲彦天皇へ酒を注ぐ様子を、面白くなさそうに見つめております。
 
「……機嫌が悪そうだな」
武内宿禰が小さく呟くと、
田油津姫は、くすりと笑いました。
「すぐ直ります」
その言葉には、不思議な慣れがありました。
 
宴の間、田油津姫は絶えず場を回っておりました。
時には武内宿禰へ酒を注ぎ、
「宿禰殿ほどの御方が来てくだされば、この地も安堵いたします」
と柔らかく微笑みます。
 
あるいは家臣の腕へ軽く触れながら、
「皆様がおられるなら、筑紫もきっと一つになりましょう」
と囁く。
そう言われて悪い気のする者はおりません。
男たちは皆、頬を緩めていました。
 
宴の終わり頃。
田油津姫は席を立つと、熊鷲たちの方へ向かいました。
何を話しているかまでは聞こえません。
ですが羽白熊鷲は、先ほどまでの険しい顔を崩し、やがて大きく笑い始めます。
 
その肩へ、田油津姫が自然に手を置きました。
まるで長年連れ添った妹背《いもせ》のようでした。
 
武内宿禰は、静かにその様子を眺めております。
 
最初は気になっていたのです。
田油津姫は、自らが上に立つことを疑っていない。
その目には、明らかに“支配する者”の光がありました。
 
ですが――
 
敵意はない。
むしろ、こちらへ寄ってくる。
媚びるというほど露骨ではないものの、天皇側へ従う意思を隠そうともしない。
 
筑紫島は難しい土地でした。
山があり、海があり、豪族たちが割拠し、それぞれが誇りを持っています。
 
大和の理だけでは、収まりません。
だからこそ、こうした土地を束ねる者は必要でした。
 
しかも、それが天皇へ恭順を示しているのであれば、これほど都合の良いこともありません。
 
「……なるほどな」
宿禰は、ひとり小さく呟きます。
 
田油津姫は、その頃には再び天皇の隣へ戻っていました。
「大王」
「なんだ」
「この地は、お嫌いではありますまい?」
酒に濡れた声。
けれど、その目は酔っておりません。
 
足仲彦天皇は、少し考えるように周囲を見渡しました。
火。
山。
人々の熱。
大和とは違う荒々しさがあります。
 
「悪くはない」
そう答えると、田油津姫は嬉しそうに笑いました。
「それは何より」
その笑みは美しく、どこか獲物を逃さぬ獣にも似ております。
 
宴は夜更けまで続きました。
 
そして翌日。
田油津姫とは一旦離れ、一行は周辺を巡行することにしました。
 
しばらく歩いた後、武内宿禰がふと口を開きます。
 
「……息長帯姫尊《おきながたらしひめのみこと》を大后《おおきさき》に据えられたのは、少々早かったやもしれませぬな」
足仲彦天皇の眉が、わずかに動きました。
「どういう意味だ」
 
宿禰は静かに続けました。
「帯姫尊を妃に迎えられたこと自体は、間違いなく良き判断にございます。敦賀を開き、海路を整え、渡来の者を惹き寄せる。その才は見事」
そこで、一度言葉を切ります。
 
「……されど、大后でなくとも良かったかと」
その声音だけが、しばし静かに響きました。
 
「前の后は既に亡く、今や帯姫しかおらぬ」
天皇は低く返します。
 
「何を申されます。大王となられた以上、これより先も妃は増えましょう。……いえ、増やさねばなりませぬ」
 
その声音は穏やかでしたが、揺らぎはありません。
 
「妃を迎え、子を成すこともまた、大王の務めにございます」
 
宿禰――武内黒男の脳裏に、ある男の面影がよぎっていました。
稚足彦《わかたらしひこ》。
黒男と同じ日に生まれた皇子です。
 
幼き頃より、二人は常に共にありました。
周囲から双子のようだと囁かれるほどに。
その縁あって、黒男は重く用いられ、稚足彦が13代天皇に即位されると、ついには大臣の位まで与えられたのです。
 
ですが、その御子は早くに亡くなりました。
稚足彦天皇の血は、そこで絶えてしまったのです。
 
12代天皇、大足彦天皇《おおたらしひこのすめらみこと》には、かつて三人の後継がありました。
日本武尊。
稚足彦。
そして、五百城入彦《いおきいりひこ》。
 
日本武尊が薨じ、稚足彦の御子も失われたとき、皇統が五百城入彦の流れへ移る可能性もありました。
 
もしそうなっていれば。
稚足彦との縁によって取り立てられた自分が、なお朝廷に重きをなしたかは分かりません。
 
けれど、日本武尊の御子である足仲彦天皇は違いました。
経験ある黒男を、そのまま大臣として側に置いたのです。
その恩を、武内は忘れてはおりません。
 
同時に――
この地位を、失うわけにもいきませんでした。
 
足仲彦天皇には既に二人の皇子がおります。
ですが、この時代、人の命はあまりにも脆い。
病ひとつ、戦ひとつで、血筋など容易く途絶えてしまいます。
 
だからこそ。
王の子は、多ければ多いほど良い。
それが武内宿禰の偽らざる本心でした。
 
宿禰は静かに続けます。
「田油津姫尊など、良き縁ではありませぬか」
足仲彦天皇は黙ったまま、視線を落とします。
 
「この地において、あれほどの勢を持つ姫は他におりますまい。しかも、大足彦天皇の血を引く御方」
宿禰の声は静かでしたが、その言葉には現実の重みがあります。
「帯姫尊は、確かに尊きお方。されど、大王家より五世離れております……それに、若くもない」
 
さらに続けました。
「田油津姫尊は若く、しかも天皇の孫にございます」
 
宿禰は天皇を見ました。
「天皇に連なる子を成すこともできましょう」
 
足仲彦天皇は、答えませんでした。
ただ、帯姫との夜を、思い出していました。
 
雪の夜。
触れた温もり。
けれどその先を、帯姫は拒みました。
 
怯えさせてしまった――そう思って以来、天皇はそれ以上を求めておりません。
 
その後も、共に過ごしながら、なお距離を残したまま。
宿禰がそのことを知れば、帯姫の立場はさらに弱くなる。
それが分かっていたからこそ、天皇は何も言えませんでした。
 
――――――
 
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次回、第19話「誉屋別皇子」では、
 
弟媛の死によって残された誉屋別皇子を迎える中、帯姫は足仲彦天皇への秘めた想いと、自らも子を望む心に向き合います。
 
6月9日(火)21時公開予定。
どうぞお楽しみに。

香春岳の山並みと水辺の風景

 

【序章】仲哀峠の先にある山

 
景行天皇は、行橋市から京都郡を経て南へ進んでいきました。
しかし仲哀天皇は、それとは異なり、西へ向かっています。
 
なぜ仲哀天皇は西へ向かったのか。
 
「仲哀峠」を越えた先にあるのが香春岳です。
もしかすると、仲哀天皇はこの山を目指していたのではないか。
私はそう考えました。
 
香春岳周辺の地図、採銅所、鏡山
 
香春岳周辺の地図、採銅所・鏡山・宇佐神宮関連地。

【第一章】採銅所という地名

 
八世紀初頭の古文書『豊前国風土記』逸文の鹿春郷条には、
 
昔者、新羅國神、自ら度り到来りて、此の河原に住みき。便即ち、名づけて鹿春の神と曰ふ。又、郷の北に峯有り。頂に沼有り(周り三十六歩ばかりなり)。黄楊樹生ひ、兼ねて龍骨有り。第二の峯には銅、並びに黄楊・龍骨等有り。第三の峯には龍骨有り。
 
とあります。
 
ここには、香春岳の第二峰に銅があることが記されています。
 
また、香春岳の麓には、今も「採銅所」という地名が残っています。
 
現在はJR日田彦山線の駅名として知られていますが、その名前自体が、この地で長く銅が採掘されていたことを伝えています。
 
 

【第二章】宇佐神宮に奉納された銅鏡

 
香春町採銅所にある古宮八幡神社には、次のような由緒が伝えられています。
 
この神社は、もともと豊比咩命神社と呼ばれ、香春三ノ岳の麓・阿曾隈に鎮座していました。
 
養老四年(720)、宇佐八幡宮の託宣によって三ノ岳の銅を掘り、その銅で鋳造した神鏡を宇佐宮放生会に奉納しました。
 
その縁により、貞観元年(859)に応神天皇と神功皇后を勧請し、八幡神社となりました。
 
 
 
三ノ岳には、宇佐宮へ奉納した神鏡を鋳造した場所とされる清祀殿跡も残っています。
建物の背後には祠と三基の石柱があり、完成した神鏡をここに安置していたとも考えられています。
 
 
さらに付近には銅を採掘した坑道跡が残されており、宇佐神宮との関わりから「神間歩(かんまぶ)」と呼ばれています。
 
 
 
奈良の大仏は、聖武天皇の発願によって天平十七年(745)に造立が始まりました。
 
その際、宇佐八幡神から
「われ天神地祇を率い、必ず成し奉る。銅の湯を水となし、わが身を草木に交えて障ることなくなさん」
という託宣があったと伝えられています。
 
宇佐神宮と深い関わりを持っていた香春岳。
そのため、東大寺大仏の鋳造に用いられた「西海の銅」は香春岳産ではないか、という説もあります。
 
確証はありませんが、十分にあり得る話です。
 
 

【終章】神功皇后が鏡を奉納した鏡山

 
香春岳の近くには鏡山があります
『豊前国風土記』によると、神功皇后が天神地祇に祈り、御鏡を安置したのが鏡です。
 
鏡山神社鳥居と緑豊かな風景
 
神功皇后が武具を奉納したという伝承は各地に見られますが、鏡を奉納したという話はそれほど多くありません。
どこか特別な意味を感じさせます。
 
もしかすると、香春岳の銅を用いて鏡を鋳造し、それを奉納したのかもしれません。
 
それを示す史料はありません。
しかし、かつて香春岳には銅が採掘され、その銅で神鏡が作られていたことがあるのは確かです。
 
国家を支える金属資源。
仲哀天皇と神功皇后は、その価値を見据えて香春岳を訪れた可能性があります。
 
 
 
けれど、香春岳に残されていたのは、銅の記憶だけではありませんでした。
 
この山には、他にも鉱物があるのです。
 
次回へ続く。