香春岳は銅の山であると同時に鉄の山でもあった。製鉄遺跡、羽白熊鷲伝承、そして田油津媛伝承の空白地帯から、古代北九州に生きた人々の姿を探る。
【序章】銅の山の、その先へ
前回、香春岳は古代の銅山だったことを記載しました。
しかし調べていくうちに、この山に残されている金属の記憶は、銅だけではないことが分かりました。
そして、鉄と深く結び付いている存在がいます。
熊鷲です。
【第一章】香春岳と鉄
香春岳の周辺では、実際に製鉄炉や鍛冶炉跡が発見されています。
宮原金山遺跡の発掘調査では、製鉄に関わる炉三基、鍛冶炉四基、そして大量の鉄滓が確認されました。
この地域では鉄の生産も行われていたのです。
製鉄には大量の木炭と水が必要です。
山林資源が豊富で、水にも恵まれた田川盆地は、製鉄を行うには適した土地だったのでしょう。
さらに興味深いのは、この地域に渡来系文化の痕跡が色濃く残っていることです。
周辺の横穴墓や寺院跡からは、新羅との関係をうかがわせる土器や瓦が見つかっています。
香春岳周辺には早い段階から大陸系の技術や文化が流入していた可能性があります。
香春岳は単なる鉱山ではなく、金属技術の集積地だったのかもしれません。
【第二章】羽白熊鷲という熔鉄の民
興味深いのが、美奈宜神社に伝わる羽白熊鷲の伝承です。
美奈宜神社のはじまり
朝倉の古処山には羽白熊鷲(はじろくまわし)という熔鉄の民が住んでいました。
翼を持った鳥のように軽々と動き回ることのできる山岳系人物で、皇命に従わなかったと日本書紀にも記されています。
秋月周辺にある荷原と、「荷」がつく地名は、 羽白族が大きな荷物を運んでいた姿から付いたと伝えられています。製鉄の資材を人力で運ばせていました。
また、事故も絶えず、人手不足を補うために集落の村人をさらい、また作り上げた刀を試すために人里を襲い村人を困らせていました。
美奈宜神社の伝承で興味深いのは、羽白熊鷲が単なる反逆者ではなく、「熔鉄の民」として語られていることです。
彼らは山を移動し、大きな荷を運び、鉄を生産していたといいます。
仮にこのことが事実だったとしても、どこで鉄を作っていたかや、どこからどこに運んでいたか分かりません。
しかし、香春岳周辺で実際に製鉄遺跡が発見されていることを考えると、もしかしたら関連があるのではないか、と考えてしまいます。
古代の人々が見た製鉄集団の姿が、後世になって熊鷲伝承として語り継がれた可能性もあるのではないでしょうか。
【第三章】田油津媛伝承の穴
田油津媛の伝承地を地図に落としてみると、興味深いことに気付きます。
伝承は田川郡・市とみやま市周辺に分布しているのですが、その間の飯塚市・嘉麻市・朝倉郡等の地域が、不思議なほど空白になっているのです。
それだけで何かを断定することはできません。
しかし地図を眺めているうちに、私はあることを思い出しました。
羽白熊鷲です。
熊鷲の伝承地は、ちょうどその空白地帯に重なっていました。
田油津媛と熊鷲。
両者を結び付ける史料はありません。
けれども、どちらも神功皇后の時代に朝廷と対立した勢力として語られています。
そして、その伝承が地図の上で隣り合うように存在している。
それは単なる偶然なのか。
あるいは、何らかの関係を持つ集団だったのか。
もちろん答えは分かりません。
ただ私は、その可能性に惹かれました。
そして小説では、その二つの伝承がひとつの物語につながっていたとしたら――という仮説を描いています。
【終章】山に残された記憶
熊鷲とは何者だったのでしょうか。
山の資源を握り、金属を生み出し、人々を束ねていた集団。
そんな人々の記憶が、後の時代に「熊鷲」という名で語り継がれたのかもしれません。
そして、田油津媛の伝承地と熊鷲の伝承地を地図の上に重ねたとき、私はふと考えました。
彼らは本当に無関係だったのだろうか、と。
もちろん、それを示す史料はありません。
けれども、史料に残らなかった人々のつながりを想像することもまた、歴史を歩く楽しさの一つです。
香春岳を調べるほどに見えてくるのは、銅と鉄が支えた古代北九州の姿でした。
そして私は、その山の記憶を、小説という形でも描いてみることにしました。
・第16話|香春岳の火/「神功皇后 ― 海を越える巫女王 ―」




