私ができるまで⑨〜妊娠と退職 | 春はあけぼの 女は美学

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50過ぎた女が感じたこと、考えたことを書いてます

こんにちは。渡邊美帆子です。



アラフィフオンナが、
感じるままに綴るブログです。

 

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このところ、
自分の過去を思い出すことも多く
幼少期からの自分の過去を綴ってみようかと
思い立ち。
 
金曜日のブログは、
「私ができるまで」として
自分の中での振り返りとしてみようと思う。


前回は、
希望していたショールームに異動でき
充実して楽しく仕事をしていた所まででしたよね



1995年。
忘れもしない。
阪神淡路大震災があった年だ。
2年前に結婚したオットも私も
関西には親戚はいなかったが、
毎日の悲しいニュースに胸が潰れる思いだった。

その頃私は体調の変化を感じていた。

そう、妊娠していたのだ。
日に日に悪阻がひどくなり、
食べては吐きを繰り返し
人前に出るショールームでの仕事や
立ちっぱなしのインストラクターの仕事が
とても辛くなってきた。
妊娠していることを伝えていなかった人からも
最近どうしたのと言われるほどやつれ、
7キロも痩せた。

あまりにトイレに籠もっている時間が長く
清掃の方々に心配され、とても仲良くなってしまったほど。


まずはショールームの先輩や後輩、
直の主任と課長に話をすると
とても喜んでくれ、
これからどうしていくかを部長と
話し合うことになった。

その時の様子を、25年たった今でも
ありありと覚えている。



(部長)
君。妊娠したんだって?

(私)
はい、そうなんです。

(部長)
そうなんです、じゃない!
どうしてくれるんだ!
君の後継者を作るのは大変なんだ!
ちょっとやそっとで、
すぐにショールームに入れて
インストラクターになれるわけがない。
人材を作るのはどんなに大変か、
君も勉強してきたのだからわかるだろう!

(私)
…………。
申し訳ございません。

(部長)
子供なんてちっとも可愛いものではない。

仕事を辞めるか続けるか
続けるとしても休まなければならないから
早めに返事をしてもらわないとこちらも困る!

(私)
はい…。


悪阻でボロボロの身体と心に
部長の言葉がさらに追い討ちをかけた。
妊娠している人に、
子供がかわいくないなんて言う言葉じゃない…

復帰したとしてもこの上司のもとで働けるのか…

実は、その部長はその年に海外から帰ってきて
我が部に異動してきたばかりの人だった。

一緒に付き添ってくれた主任は
とても気を遣ってくれ、心配してくれた。


部長室から出てきた時に
私の心は決まった。


辞めてやる!

ワープロ教室も
パソコン教室も
地元の方々や企業との交流も
やりたいことはやった!


もういい、辞める!

一時の感情ではなかった。
その時からしばらく考え続けていたが
気持ちが変わることはなかった。



今から思うと、
相当な能天気でお気楽で
責任感のかけらもなかった。

「おめでとう」の一言だけでも
言ってもらえることを期待していた私。
そして、勉強して勝ち取った異動と資格、
それを全て投げ捨て、
ギリギリの人数で回っていた仕事も
全て先輩たちに押し付け、
迷惑をかけて辞める。

それでもショールの仲間たちは、
優しく受け入れてくださった。


お腹が大きくなって、
ショールームの制服が
全く入らなくなってしまった私は
6月の退職まで事務に移り、
代わりに事務をやっていた後輩が
ショールームに異動してくれることになった。


その後すぐに、
NECから販売店向けに、
計画したプロジェクトの報告のコンペがあり
主任に強く勧められて
私はワープロ教室の報告書を提出した。

あれよあれよと最終審査にまで残り
NECのお偉い方々の前で
発表することとなりウカれていたにも関わらず

私の子宮は居心地が悪かったのか、

お腹の息子が反乱を起こし
切迫早産で緊急入院となり
そのまま退職…(TT)。


そして私は
その3ヶ月後に母となった。

お宮参りの写真。なんだか昭和っぽいが笑、平成七年。


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