*Rayさん、「Rayまといのば」14周年、おめでとうございます!!!!
14年間、一度も立ち止まることなく走り続けてきて、圧倒的な成果を出してきたことを深く尊敬します!14年前に、Rayさんは唐突に開業を業務命令され、そこから怒涛の日々が続いていますが、引き続き頑張ってください!!祝14周年!!
最後の偉大な魔術師が翻訳したのがエメラルド・タブレットでした。
そこには上にあるものは下にあるものと同じと書かれていました(雑なまとめだ)。
("下にあるものは上にあるものの如く、上にあるものは下にあるものの如く、一つのものの奇跡を成し遂げる。)
「万物(アルケー)は数である」とピタゴラスは言い(アルケーなので万物の本質はと訳すべきでしょう)、ガリレオ・ガリレイは「自然という書物は数で書かれている」と言いました。アリストテレスは最も重要な学問は論理学と言い、その教科書にオルガノン(Tool)と名付けました。

*おなじみラファエロのアテナイの学堂ですね。右側がアリストテレス
彼らが言いたいのは、自然の後ろにあり支配している法則やアルゴリズムを見つめよということです。
それが物理空間に直交する抽象度の空間です。
物理空間も物理法則が支配しており、情報空間も法則が支配しています(というか、法則が場を創り、場が法則をつくるという相互的なものでしょう。だから場が変われば法則は代わり、法則が変われば場は変わります)。
エメラルド・タブレットには「下のものは上のもののごとく、上のものは下のもののごとし」と書いてあるなどと言いますが、「まといのば」流に翻訳すれば、どの抽象度でもそれぞれの法則が支配しているということです。下のものは上のもののごとく、上のものは下のもののごとし、なので。
4次元ではなく5次元を観るということをもう少し現実世界の抽象度に落とすとすれば、結果に執着しないで、アルゴリズムに注目するということです。
我々はつい自分が変えられない結果や物事に執着します。
そうではなく、その後ろにありすべてを支配する法則に注目する癖をつけましょう。そうすれば、望ましい結果が手に入るように少しずつデザインすることができます。
錬金術がらみで言えば、錬金術の有名なエメラルド・タブレットのラテン語を英語に翻訳したのは誰あろうアイザック・ニュートンです。
"That which is Below corresponds to that which is Above, and that which is Above, corresponds to that which is Below, to accomplish the miracles of the One Thing.
That wch is below is like that wch is above & that wch is above is like yt wch is below to do ye miracles of one only thing.(The Translation of Sir Isaac Newton 1680)
("下にあるものは上にあるものの如く、上にあるものは下にあるものの如く、一つのものの奇跡を成し遂げる。)
近代科学の父としての表のイメージとは違う魔術師としてのニュートンの存在を白日の下に晒したのは、同じ天才のケインズでした。
そして僕らもニュートンと同様にわずかでも「一万年には少し足りない昔にわれわれの知的遺産を築き始めた人たちと同じような目で、可視的および知的世界を眺め」たいのです。
というのも、金融資本主義が奇妙な形で賞味期限切れを迎えようとしており、情報化社会と言ってもIQの価値が下がり(これについては丁寧に議論すべきですが)、次のパラダイムに移動しようとしている現代において、我々が確実な足がかりとできるのは、このニュートン的なあり方だからです。
タレブではないですが、長く生き残っているものにはそれ相応の理由があります。
かなり昔のことになりますが、これからはIQ(知能指数)ではなくEQ(心の知能指数)だというような物言いが流行りました。
でも、「まといのば」としては、その先の密教的IQが重要ではないかと思います(それをMiQと名付けていますw懐かしいですよね。OnLine MenTor2期組の人には特に懐かしいのでは?)(いま調べたら、遅くとも2015年のはじめての気功講座でMiQを紹介しているようです)。
というわけで、IQ(知能指数)でも、EQ(心の知能指数)でもMiQ(みっきゅー:密教的IQ)を高めていきましょう!!
現代的なテクノロジーを用いながらアーユルベーダの古典書の中身を研究しているアーユルベーダドクターの口から化学式での解説とともに「ローカ・プルシャ・サーミヤ(チャラカ・サンヒター)」という言葉を聞いたときに、梵我一如からアルケミーに繋がる宇宙の相似形を観た気がしました。
ローカ・プルシャ・サーミヤとはシンプルにローカ(宇宙)、プルシャ(人体)、サーミヤ(同一性)であり、「人体に存在するものはすべて宇宙にも存在し、宇宙に存在するものはすべて人体にも存在する」というフラクタル構造の話です(梵我一如はブラフマンとアートマンの一致なので、レイヤーが異なります)。
そしてこれを宇宙物理学者が言えば「僕らは宇宙のかけら」ということになります。
「まといのば」では、「僕らは宇宙の核廃棄物からできている」と言います。
星が生まれ、死んでいき、星の中心でできた思い元素が僕らの身体を構成しています。
インフレーション宇宙を経て、ビッグバンがあり、宇宙の晴れ上がりがあり、宇宙創生の元素ができている過程があり(周期表を順に埋めていき)、生命がなぜか誕生し、生命の奇跡的な進化があり、我々に至ります。
我々の身体は宇宙創生の過程で作られた元素によって構成されています。それは星の一生が終わって、その内容物が拡散された結果です。すなわち、僕ら(の肉体)は星のかけらなのです。核廃棄物とも言えます(笑)。
星のかけらが見たかったら、宇宙旅行などしなくても、自分の手をかざして見ればよい。人間の肌や肉体や骨を構成している原子は、天空の彼方の宇宙の炉でつくられたものだからだ。(p.8マーカス・チャウン『僕らは星のかけら 原子をつくった魔法の炉を探して』)
そして著者のマーカス・チャウンはホイットマンのこんな詩を紹介しています。
私は、草の葉の一枚一枚が、星の労作にほかならないと信じている。(ウォルト・ホイットマン)
その意味では、「星の欠片」のほうが「ローカ・プルシャ・サーミヤ」的です。
梵我一如も「下にあるものは上にあるものの如く」(エメラルド・タブレット)も少し抽象度が高いのです。
同様な例で言えば、「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」というヘーゲルを思い出すでしょう。
そしてまた弁証法というパターンの繰り返しがゾンビのように蘇ってきます。
パターンは永遠に不滅です。
過去は関係ないのですが、パターンは未来を縛ります。
なぜならそれは無時間な情報空間に存在するからです。そのパターンを変えるためにも、パターン自身のことを知る必要があります。
p.s.
未来さんにリブログしていただきました!
未来さんからアーユルベーダやインド風水、インド占星術を学ぶのは有りだと思います!(と勝手にオファー)







