自己紹介② 外資系企業に就職しました
娘達が小学一年生になった時。段々と自分が落ち着いて来て、薬も本当に少なくなって来たな〜と思って、少し外に出て行こうと思い始めた頃。
事故のように、人を傷つける事を厭わない人たちに出会ってしまった。生まれて初めて人前でいわれのない事を大声で怒鳴られ、中傷された。理解ができない行動をする人が不気味だった。
タイに来てからもずっと仕事をしていたし、どちらかというと引きこもっていたし。子供が生まれても、サトーンに住んでいて双子育児は毎日が必死すぎて、友達を作る余裕もなかった。幼稚園はインターで他に日本人がいなかったから、その頃私は日本人の友達が一人しかいなかった。彼女は今でもとっても大事な友人だけれど、才能豊かでキャリアも凄い彼女は普通じゃないから
免疫がなかった。
異国で知り合った日本人には優しくしなきゃって思っていたから、変な人がわからなかった。人を威嚇する事を楽しむ人がいるなんて、知らなかった。親切が仇になることがあるって気づかなかった。
その事件のあと、私の症状はあっという間に元に戻ってしまい、起き上がれない日がまた始まった。家から出るのが怖くなった。また外出の時にマスクが外せなくなった。
この時も、主人が全力で支えてくれました。精一杯守ろうとしてくれた。二度と同じような被害を受けないで済むように、同級生の警察官に連絡し、被害届を出し、相手に警告書を送って近づかないようにしてくれた。
サミティベの以前と違う先生のところに連れていってくれて、状況を説明してくれた。この時あった女性の先生が、本当に助けてくれました。薬を出すだけでなく、寄り添って話を聞いてくれた。出される薬も強すぎず、多すぎず。
They are not worth our feeling. They have no ipact or meaning to our lives.
この先生が言ってくれた言葉を今でも携帯のメモに入れてあります。不安が襲って来たらいつもこの言葉を見るようにしていました。落ち方は酷かったけれど、日本に行かなくてもこの時はこの先生のおかげで大丈夫でした。
それから、時間に関わらず話を聞いてくれて一緒に怒ってくれた友人が本当にありがたかった。SOSを出しても届かない友達もいた。悲しかったけれど、人にはそれぞれタイミングがあるという事を学んだ。
ラッキーだったのは、この時はいつか良くなることを知っていたからか、主人と友人たちのおかげで、数ヶ月で薬も最低限に戻りました。
PTAの活動や学校での読み聞かせを通じてママ友的なお友達が初めてできて、時折ランチに行ったりもできるようになって。
心を開こうと思った人にいきなり悪意剥き出しでいわれのない事を誹謗されるという経験がトラウマとなって、ママ友になる人も恐る恐るだったけれど。
『ひろみはすぐに心を開きすぎだから、気をつけな』って主人にも注意されたけれど、疑ってかかるのもよくわからなかったので、ゆっくりと子供を通して知り合いができたら、ほとんどみんな普通で良い人だったから、やっぱり悪意のある人はごく少数派でした。
でも、自分は人を見る目がないな、という気持ちは今も引きずっています。どこまで心を開いて良いのかも、あまりよくわからないです。
ただ、当時と違うのは今は不安な時に相談して答えてくれる友人がもっと多くなったかな。信頼できるきちんとした友人達がいるから、自分の判断に迷う時には積極的にアドバイスをもらうようになりました。
次がやっと最後です!自己紹介⑩ スタジオを始めるきっかけ
写真は記事とは関係なく、今年のお正月に撮り溜めしたものです。
