自己紹介⑤ 別居婚からの双子出産 | 習い事教室&レンタルスペースのデコクラフトスタジオ、癒しとフェイシャルのビューティークラフト@バンコク

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自己紹介を書き終わって少し落ち着いたので、誤字脱字直しながら、書き足しながら校正しました。
 
ところで、なんだか自己紹介には長すぎて、自分歴史になってきてますが、
自己紹介① バイトとダイビングに明け暮れた学生時代
自己紹介② 外資系企業に就職しました

自己紹介③ タイに来て恋に落ちちゃった話

自己紹介④ 国際結婚を決めたのは誰?!

 

さて、母の直感に背を押されて、付き合い始めてまだ半年も経たずにタイ人主人と結婚をする事になり、その4ヶ月後に付き合うきっかけとなったペニンシュラホテルで結婚式を挙げました。ちょいとロマンチックラブラブ

その当時まだ新しかったんですよ、ペニンシュラ。綺麗だったのも決め手でした。

 

この4ヶ月間の間に結婚式の準備と同時に、残念ながら義母の肺ガンがわかったり、快適だったタイでの最初の家、エンポリスイーツ(デパートの上にあるサービスアパート、BTSにも直結している)暮らしから彼が元々買っていたワチャラポーンというバンコクから3−40分かかる場所のムーバーン(大きな塀で囲まれたデベロッパーによる一軒家が集まるプロジェクト、車無しだと移動ができません)での生活が始まったりと変化がいっぱいありました。

 

結婚式は、タイでのみ挙げました。タイの結婚式は立席形式だと席次を考える必要もないし、誰でも呼んでいい感じなので、日本の式準備よりもずーっと簡単だと思うのですが、それでも色々とあり、喧嘩増えたり疲れたりしたので、二度とやりたくない!って思いました。

 

私のタイでの任期が終了に近づき、シンガポールに転勤の話を頂いたのですが、色々生活の変化で疲れちゃっていた私は、日本に帰任を希望しました。

なぜタイに残らなかったかというと、主人との結婚はすることにしたけれど、タイにずっと住む覚悟がこの時まだできていなかったからです(今も覚悟があるのかどうか?!ですが)。また、自分が仕事を通して成長して行くのが楽しくて、キャリアを中断したくないという気持ちもこの頃はまだ強かったのです。主人は9歳年上なので、多分すぐ家庭を作りたかったと思いますが、私はそんな事に気付かないふりをして自分優先でしたガーン

 

こうして、約2年間のタイ・日本の別居婚が始まりました。最低月に1回は私がタイに来て、この頃まだ正式に結婚をしていても主人が日本に来るのには毎回ビザを取らなくてはいけず手続きが面倒だったので、主人が日本に来るのは2−3ヶ月に一度でした。不思議なんですが、別居婚を初めてつくづく結婚して良かったなぁ、と思いました。

主人はマメなので、毎日何度も電話、メールをくれました。離れる時の寂しさを何度も経験したから、一緒にいられることの有り難さも感じたし。もちろん喧嘩もしたので、多分あのまま結婚しないで遠距離恋愛としてだったら続かなかったかも、とも思ったり。

金曜日の仕事を半日で切り上げ、職場から成田に直行。そして夕方便に乗って深夜にバンコクに到着。土日を過ごして日曜日の深夜便に乗り、早朝成田についてそのまま出勤。これができたのは一重に若かったから。。。びっくり

あと、新婚だったから、かなラブ

 

日本での仕事を頑張り、友達とも会い、やりたかった事をやっていたら段々とタイに住む自分が想像できるようになって来ました。そんな頃、予定外の妊娠がわかり、数日後にそれが子宮外妊娠という異常妊娠で、酷い腹痛ののち救急病院で緊急手術という事態になりました。

 

予定していなかったのに、赤ちゃんができたと分かって心が踊った事、あっという間に赤ちゃんがいなくなり、痛みと傷だけが残った自分。産婦人科の人たちが集まる階だったので、同室の人たちは『おめでとうございます』『授乳に行きましょう』と声をかけてもらっている中空っぽな自分。もちろん主人はすぐに飛んで来てくれましたが、見守ることしかできず辛かったと思います。

 

これがきっかけで私達夫婦は子供が欲しい、と強く願うようになりました。ただ、別居婚では計画的には難しく。。。そろそろタイに行く事を考えなければ、という頃に、会社のプロジェクトでタイに再度赴任できる事になりました。

これは、私を元々タイに送り出してくれ、結婚の時に気の迷いじゃないかと心配してくれたアメリカ人社長さんのおかげです。今思うと本当にありがたいのですが、平社員だった私にも色々と教えてくれました。自分が仕事中心で家族や子供たちとも大事な時間をおろそかにした事を、今後悔している。夫婦は一緒にいなきゃいけないよ、と別居婚状態の私達を心配してくれていて、タイでのプロジェクトに選んでくれました。

 

タイでのプロジェクトはチームのスーパーバイザーとして人をまとめる、育てるという経験もでき、新しい分野の仕事で経理や簿記の勉強もして、仕事としてもチャレンジのしがいのある良い経験でした。ただ、この頃はまだ上司としての資質がまだまだ未熟で、自分基準で判断したり指導する事が多かったから、振り返ると反省する事が多いです。

 

新しい仕事と同時に妊活もしていたのですが、せっかく一緒に暮らし始めても欲しい時にはできない赤ちゃん。自分達の頑張りだけではどうにもならない事がある、という事を悟りました。なかなか出来ないので、不妊治療にも行ったり、疲れて治療を休んだり。という事をしていて、タイに戻って約2年がたった頃に妊娠がわかりました。心音確認したら、なんと双子滝汗 たまげました。人生計画が変わりました。

 

途中酷いつわりで2ヶ月ほどベッドルームから出られなくなり(もちろん仕事も休まざるを得ない)、栄養失調気味になって入院したり、後半はとにかく重くて重くて息が出来ない、辛い妊娠生活を終えて、2006年12月に娘達を帝王切開で産みました。妊娠生活が辛かったので、娘達が生まれて楽になったーーー!!!と思いましたてへぺろ 大間違いなんだけどね。自己紹介⑥ 子育てとキャリアへ続きます。

 

 

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写真は記事とは関係なく、今年のお正月に撮り溜めしたものです。