自己紹介⑦ 落ちた時のこと | 習い事教室&レンタルスペースのデコクラフトスタジオ、癒しとフェイシャルのビューティークラフト@バンコク

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セミナー、お誕生日会、イベント、ワークショップ等の為のスペース、キッチンレンタルも行っています。

自己紹介を書き終わって少し落ち着いたので、誤字脱字直しながら、書き足しながら校正しました。
 
ここまでは、こちらから。
自己紹介① バイトとダイビングに明け暮れた学生時代
自己紹介② 外資系企業に就職しました

自己紹介③ タイに来て恋に落ちちゃった話

自己紹介④ 国際結婚を決めたのは誰?!

自己紹介⑤ 別居婚からの双子出産

自己紹介⑥ 子育てとキャリア

 

 

自己紹介書き始める時、それから書いている途中でもずーっとモヤモヤしている理由はこの章にあります。それは、私がまだ消化しきれていないところだから。

そして一番家族に迷惑をかけた時だから。

 

これまで、色々とそれなりにアップダウンはあったけれども私は環境に恵まれていたし、割と順調に人生送ってきたんだと思います。人並みに学校を出て、仕事をして、結婚をして、子供もできて。

 

そんな中で青天の霹靂がある日やってきました。

予兆はあったんだと思います。でも自分で気づいて無かった。気づかないふりをしていた。

 

それは、育児休暇から仕事に復帰して数年経った時。会社の置かれた環境に大きな変化があり、日本に戻って仕事を続けるか、タイに残るために会社を辞めるかの選択をしなくてはいけなくなった事がきっかけでした。

 

少しは悩みましたが、やはり家族が一緒にいる事を選ぶのは当然。ただ、楽しかったしやりがいのあった仕事が続けられなくなる喪失感がとても大きく、なんとか前を向こうとしていた時に、心ない人の言動に凄く傷つけられる出来事が重なりました。信頼できると思っていた人が陰で別の行動をしていたことがわかったり。

でも、耐えてました。やらなくてはいけない仕事が目の前にあるし、守ってあげたい、支えてあげたい部下の子達がいました。ギリギリの所に自分がいることに気づいていませんでした。

 

ある日、出張から帰ってくる飛行機の中で、なぜか涙が止まらなくなり。

翌日の朝、ベッドから起きることが出来なくなりました。

 

感情がコントロールできず、自分が内側から壊れると思いました。壊れていたんだと思います。

幼い子供達の前でも泣き続け、娘達に気を遣わせてしまいました。何が起きているかは当時4歳ぐらいだった娘達には理解できなかっただろうけど、いつもと様子の違うママを見て怖かっただろうと思います。夫も驚いたと思います。どうしたらいいのかわからなかったと思います。

でも、同じ会社にいたから無理に色々説明する必要がなく理解してくれたし、無理に励まそうとしたりしなかったのがありがたかった。守ろうと必死だったんだと思います。

 

何もできない日々の始まりでした。人と会うことが怖くなりました。

会社に紹介されたサミティベの先生に会いに行きました。風邪でもないのにマスクをしないと外出できなくなっていました。

主人が一緒について行ってくれて、状況説明を代わりにしてくれました。ありがたかったです。英語で細かい感情のこととか上手く話せない、もどかしいと日本語で話せないもどかしさを初めて感じました。そのころは面倒な作業ができない脳みそになっていたんだと思います。

薬が処方されました。飲んだら更にベッドから起きられなくなりました。

思考が停止して体が重くてただただ眠くなって横たわってました。でも不意に涙が出てくる。

 

どのくらいそんな日が続いたのか。

子供が小さかったから、良かったと思う。二人が幼稚園から帰ってきたら笑顔が出たから。フィルターのない愛情に包まれることが支えでした。

子供達がいる時は、この子達の為にしっかりしたい、元気になりたいって思えた。

 

そして夜になると、闇が襲ってくる。眠れないので、薬を飲む。重い体で朝子供を送り出したら薬を飲んでベッドに横たわる。午後に子供が帰ってきて、子供が夜眠寝付くまでしか生きていなかった。でも、その時間だけは生きていた。それが希望でした。唯一の光だった。

 

家族の為に、もっと良くなりたい、という気持ちが芽生えてきて、治る為には日本へ行かないと。と思いました。本能だったと思います。日本語で話しを聞いてもらいたかった。助かりたかった。

 

ちょうど子供達がもうすぐ小学校に上がるという頃で、幼稚園をインターに行っていたので、子供達の日本語が私からのみであやふやでした。二人の会話は英語がメインで。小学校からは日本人学校と夫婦で決めていたので、このままだと小学校に通ってから大変だ!とも思いました。だから、子供達も連れて日本にしばらく行き、私の治療と同時に子供達に日本の生活を経験させる事にしました。

実家の母に相談したら、母が動いてくれて、短期的に受け入れてくれる幼稚園が見つかりました。

 

私も子供達の新しい挑戦を応援する事で、やらなくてはいけない事をこなす練習ができました。日本でも最初はまだまだ日中はベッドで過ごすことが多かったけれど。家族は私の状態については何も言わず、ただただ見守ってくれました。

 

次は、治療の過程について書きました。自己紹介⑧ 治る為に必要だったこと

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写真は記事とは関係なく、今年のお正月に撮り溜めしたものです。