自己紹介⑥ 子育てとキャリア | 習い事教室&レンタルスペースのデコクラフトスタジオ、癒しとフェイシャルのビューティークラフト@バンコク

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自己紹介を書き終わって少し落ち着いたので、誤字脱字直しながら、書き足しながら校正しました。
 
長いです。すみません。。。
自己紹介① バイトとダイビングに明け暮れた学生時代
自己紹介② 外資系企業に就職しました

自己紹介③ タイに来て恋に落ちちゃった話

自己紹介④ 国際結婚を決めたのは誰?!

自己紹介⑤ 別居婚からの双子出産

 

 

タイで働いていましたが、日本の会社に所属していたので日本の制度適用で、ラッキーな事に出産後子供達が1歳半になるまで育休を取らせてもらいました。最初妊娠した時には仕事場も変化が大きい状態だったので一年だけ産休をとるつもりだったんですが、双子という事が分かってから復帰できる体制を整えるのに時間がかかると思い、延長しました。規定では確か2年間育休が取れる会社でした。タイは法律に基づき3ヶ月だけだから、大違いですね。ありがたかったです。

 

ずっと住み込みでナニーさんがいて、通いでお手伝いさんもお願いして、とにかく子育てだけしていた1年半だったのですが、この頃の記憶があまりないです。毎日があっという間に過ぎてたんでしょうね。ママ友と言える人も同じコンドに住む韓国人マダムだけでした。彼女には本当にお世話になりました。お互いにお手伝いさんがいるから、預かりあったりして。住んでいたのがサトーンだったから、日本人の友達もできなかったけれど、もともとタイに来て友達が少ない生活していたので、孤独とも不便とも思わなかったです。

 

ただ、子供が出来て初めて本当にタイが好きになりました。どこに行っても助けてくれて、可愛がってくれて、優しい目で見てくれる。愛情たっぷりの気持ちの余裕がある環境で子供達が育つメリットを肌で感じました。双子なので目立つし、勝手に写真撮られたり触られたりなんてしょっちゅうでした。親戚の人達も可愛いからってちっちゃい時から口移しもするし、チョコやアイスもあげちゃうし。アララーーって思う事ももちろんあったけれど、でも全部愛情からくる行動。目くじら立てるのが損って思ってました。こんなにいっぱいの人に愛されて可愛がられて娘達が育つ幸せを満喫して、日本に子連れで帰ると人の目を気にして緊張する自分に気づき、タイでの子育てサイコー!って思ったら、自然とタイが好きになってました爆  笑

 

娘達が1歳半で仕事に復帰しました。復帰前に準備した環境。

オフィスに徒歩5分で行けて、家が広くてコンドミニアム内の遊び場が充実している場所に引越し。双子一人ずつ見てもらえるように、住込みのナニーさんが二人。ナニーさんに任せっきりは心配だったので、午前中はインターのナーサリー。ナーサリーに行くためにドライバーさんも雇い。全部自腹です。正直、復帰するよりも休んでいた方が経済的には楽だったと思います。が、仕事に復帰しない選択肢は無かったです。

 

子供は超絶可愛い。少しでも目を離したくない。離れると切ない。でも、仕事場で得られる充実感、そして成長が自分には必要でした。

 

出産前とは違う部署に配属になり、新しいメンバーとの仕事をする事になったのですが、上司以外の人には本当に恵まれて笑い泣きまたまた仕事が楽しかったです。

 

ただ、当時いた部署の日本人上司は昔の日本の仕事スタイルそのまま。会議も長くて長時間労働を強いるタイプ。

仕事は好きだし責任感はあるので、必要な時には長時間かかってももちろんやり遂げますが、明らかに自分の中で優先順位がキャリア一位ではなく子供一位になった事を復帰後割と早い段階で悟りました。優先順位をつけると、理想のキャリアを諦めなくてはいけない現実にも直面しました。

子供って本当に時間とエネルギーとお金がかかる存在で、仕事にかけられるエネルギーが減ってしまう。これが自分の能力の衰えなのか、キャリアの限界なのか、それを周囲の人に悟られてしまわないか、なんだか不安でした。

 

良い面では母性が強くなった影響なのか、より部下の子を大事にするように自然と変わりました。どうやったら育てられるだろう、守ってあげられるだろう、って考えて人と接するようになりました。この頃一緒に働いていた仲間は、今も大事な存在です。

 

毎日が仕事と子育ての時間のバランスを模索する日々でした。一緒にいられない罪悪感から、子供が好きそうな服やオモチャを必要以上に買ってしまったりもしました。

タイの赤シャツ暴動や、日本の大震災の時も、洪水の時も家族を守りながら止められない仕事を続ける事の難しさの間でいつも悩みながら、必死でした。

振り返ると、かなり波乱万丈ですびっくり

 

自分なりに一生懸命でしたが、人から見たら勝手やわがままな事もしていたと思います。そう指摘された事もありました。でも、娘達は笑顔でいる時間が多かったし、大きな病気もせずに育ってくれました。だから悔いなし。

 

この次が、一番書くことを迷ったこと。自己紹介⑦ 落ちた時のこと

 

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写真は記事とは関係なく、今年のお正月に撮り溜めしたものです。