陰徳を積む人間力と成長の法則

 国際線ファーストクラスの客室乗務員を経て、人材を育成するマネジメントコンサルティングをしている著者さん。ある日、故・渡部昇一先生に会った時、「あなたはこれから女性として心学を柱に徳を説いてゆくとよい」(p.5) と言われたそうです。2021年9月初版。

 

 

【陽徳と陰徳】

 私がこれまで実践したり、指導してきたものは、まさに「陽徳」。目に見える形で誰かに認識される行動です。(p.38)

 これに対して「陰徳」とは、目には見えない内面を掘り下げる世界です。(p.39)

 「陽徳」と「陰徳」は、「人に知られる形で行う善行」、「人に知られぬように行う善行」と区別すればいいはずだけれど、渡部昇一先生から「心学を柱に徳を説くように」と言われたからだろうか、陰徳の解釈がかなり「心学」的になっている。

 

 

【5S:整理、整頓、清掃、清潔、しつけ】

 日本で働きたいという若者はみなとても純真で、心から応援したいという気にさせられます。・・・(中略)・・・。

 彼らが日本の企業になじみ、活躍できるように私が指導するポイントの一つに「5S」があります。

 5Sは、整理、整頓、清掃、清潔、しつけの頭文字に共通する“S”をとってつけられた名前で、一般には「職場環境を整える」と説明されますが、これは、場を清めるという日本人特有の思想から来ています。外国には基本的に5S活動はありません。トヨタなどが少しずつアジアに広げているようです。(p.60)

   《参照》  『志のみ持参』 上甲晃 (致知出版)

           【清掃に関する塾生の反応にビックリ】

           【場のエネルギーを高めるのが、清掃の原意ではないのか】

 チャンちゃんは、『道徳』って、「高次元世界の常識を、この地球次元に合わせて語ったもの」だと思っている。高次元世界は、“想像即創造”となる世界で、綺麗より汚い方が好きという人はいないので、綺麗な場を想像するだけで綺麗な場が創造されてしまう。地球世界で高次元世界の常識をまねようとすれば、5Sはどうしたって必要不可欠。場と人の意識が清らかに整えば、その意識を導体として高次元からエネルギーが場に流入する。バッチイとどうしたって無理。

 また、HEBたちで構成される高次元世界は、すべてが波動として感知されるから、隠すということが出来ない。であれば、犯罪などが起こることはなく、おのずと全体最適な社会へと収斂してゆく。隠すことが可能で、我良しな人々がテンコ盛りいる地球人社会を、高次元社会に似せたいのであるなら、正直で、損得を離れた行動をする人々が必要。道徳はそのような人々を育成し維持するためにある。陽徳は、地球次元内で評価されるけれど、陰徳は、高次元世界で評価される。前者より後者の方が遥かに大切。

   《参照》   『神との対話 ③』 ニール・ドナルド・ウォルシュ (サンマーク出版) 《後編》
             【HEBと人間の違い】

 

 

【「おかげさまで」】

 日本人は「おかげさまで」という言葉をよく使います。

 この「おかげさま」、外国語に訳そうにも相当する言葉がないそうです。努力して何かを成し遂げた日本人は、多くの場合、自分が頑張ったことを称えることよりも、まず周りへの感謝、そして謙虚さを示します。(p.78)

 なぜ、日本人は 「おかげさま」 と言い、感謝や謙虚さを示すのだろうか?

 日本神霊界を解する日本人なら、 御稜威(みいづ)という言葉や、御成敗式目第一条の「神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添う」という文言を知っているはずであり、物事の成就には神(高次元)からの加護が大きいことを心得ている。

   《参照》  『ついに始まった大禊祓い 日月神示』 中矢伸一 (ヒカルランド) 《後編》

             【御稜威(みいづ)】

 

 

【恥を知る】

 日本の先人は、自分の中の陰の部分を直視せず、その痛みを感じ取ろうとしない人を「恥知らず」と呼びました。罪や罰の意識から人々に道徳的な振る舞いを求める西洋と違い、日本人は「恥ずかしいことはしたくない」という良心への痛み、つまり内なる動機から道徳を実行する。日本が世界に誇る精神文化ではないでしょうか。(p.84)

 個々の内に、「恥を知る」という内規(道徳)があれば不文律で社会は収まるけれど、成文律(法)を作ると内規(道徳)が疎かになる。今の日本社会がまさにそれである。

 汚れた心で死にたくない。清らかな善い心で死のう。

 死生観から先人が何を大事に生きてきたのか。日本人がどう徳を積んできたかを知ることが出来ます。死んでも魂は生きるのです。(p.86)

 この記述は、下に書き出した『葉隠』から教えられた死生観に関する記述のまとめとして書かれているものなのだけれど、「恥」という概念の大元は死後の世界(高次元世界)にある。

   《参照》  『高次の存在と最短距離で繋がる法』 真印 (東方出版) 《前編》

            【魂レベルの視点で物事を見る】

 

 

【「葉隠」】

「武士道とは死ぬことと見つけたり」

 これは江戸時代の佐賀藩士、山本常朝の『葉隠』にある一節です。『葉隠』は男性に好まれ読まれてはいたものの、私はなかなか手に取る気持ちになれませんでした。名誉、忠義を果たすために死ぬことを厭わない。自分の命よりも大切なものに命を懸けるーー。これが理解できなかったからです。(p.84-85)

 「えぇ~~~、なんで理解できないの~~~」と思ってしまった。

 男性脳とは構造が違う女性脳では無理っちゅうこと?

   《参照》  日本文化講座⑧ 【 武士道 】

           『武士道と云うは、死ぬこととみつけたり』

 まあ、ここでは、タイトルの「葉隠」が意味することに向かう前振り記述なので・・・

 しかしあるとき、鈴木大拙『禅と日本文化』の第三章「禅と武士」を読んで、ここに一筋の光明をみつけることができました。「葉隠」、それは文字通り「葉の陰に隠れる」との意味で、わが身を誇示せず、世間の目から遠ざかって社会同胞のために深情を尽くすのが武士の徳のひとつだ、ということなのだと。

 つまり、死ぬことを称賛しているのではなく、自分が覚悟したことに今、全力を尽くす、一所懸命に生きることを説いているのです。(p.85)

 武士であれ何であれ、隠遁(葉隠)してからでも徳が積めるということで、陰徳を積む生き方の一つとして記述しているのだろう。

 山本常朝が、隠遁するに至った経緯は下記リンクにあるから、それを読めば、著者さんのこの記述も理解しやすい。

   《参照》  『もう朝だぞ!』 友常貴仁 三五館

          【山本常朝の心】

 ついでに 『葉隠』 関連をリンク。

   《参照》  『人生は時間学』 半田善三 (青萠堂)

          【「狂い死に」】

   《参照》  『サムライの日本語』 久保博司 (幻冬舎) 《前編》

          【「武士とは、武勇に大高慢の、大曲者でなければならぬ」】

   《参照》  『あなたの「死にがい」は何ですか?』 草柳大蔵 福武書店

          【 『葉隠』 の 「常住死身」 】

 

 

   《参照》   道徳をタイトルに含む書籍の読書記録

       『愛の循環の中で宇宙に徳を積む生き方』 知花敏彦 (新日本文芸協会)

    『道徳力 「まこと」の甦りが日本を正す』 丸山敏秋 (風雲舎)

    『 「道徳」 という土なくして 「経済」 の花は咲かず』 日下公人 (祥伝社)

       『教科書でおぼえた道徳』 文春ネスコ編 (文春ネスコ)

    『清く美しい流れ』 田口佳史  PHP研究所

 

 

<了>