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 南仏は、ギリシャやローマの文化が及び易い地域だったので、主要都市から離れた鄙びた小さな街や村にも古い歴史的な建造物が残っていて、陶芸などの産地も少なくない。また、多くの芸術家たちが住んでいたことでも良く知られている。1996年3月初版。

 

【ヴァロリスの陶工ピカソ】
 ヴァロリスの町は数度訪れているが、今回も碧い風が頬をなでてくれた。
 町の名は、ラテン語で「黄金の谷」という意味。陶土が豊富にあったことに由来するのだろうか。
 16世紀初頭、ムスティエと同じように、イタリアの陶工が住み着いたことにより、今日のヴァロリス陶器ははじまるが、ほんらいは地味な半農半漁の貧しい小さな村であった。
 この村に不滅の刻印を残し、豊かな陶器の町にしたのがピカソであった。彼は1955年からヴァロリスに住み、陶器制作に励んだ。(p.34)
  《参照》  『南仏おいしい物語』 島静代 (東京書籍) 《後編》
          【ヴァロリスの陶器】
 「工夫という智慧」、そして「土によってわれわれは生かされている」というピカソの言葉に、僕は生きることの意味をあらためて教えられた。(p.34)
  《参照》  『世界・美術の旅ガイド2 南フランス』 (美術出版社) 《後編》
          【ピカソ】~【南仏で・・・】

 

 

【ポン・デュ・ルー】
 歴史はまだ浅いが、「フランス美味の金賞」を獲得して以来、南仏の名物菓子となったようである。
「コンフィズリー(糖菓)はマロン・フラッセ、ショコラ、ボンボンなどが知られていますが、ここ(ポン・デュ・ルー)では新鮮なフルーツの形をそのまま生かした素朴な糖菓をつくっています」(p.44)
 ポン・デュ・ルーは、カンヌの北20kmにある。
 新鮮なフルーツを保存する方法として考え出された砂糖漬けは、ルイ14世の時代から始められ、1655年に出版されたラ・ヴァレンヌの「フランスの菓子職人」にも、その技術がしっかりと納められている。(p.44)
 砂糖づけは保存するために技術なのだから、そんなに繊細な味を保つことはできない。砂糖づけにしたフルーツって、時々空港の売店で見ることがあるけれど、買うのはおそらく昔を懐かしむ高齢の方だけだろう。

 

 

【グラース】
 2月、3月のミモザ、4月のスミレ、5月のバラ、6月のジュネ、7月はラヴェンダー、8月はジャスミン、そしてスイセンと花の色と香りでつつまれるグラース。
 シャネル、ゲラン、ディオール、サン・ローランなど、名香水の産地として世界に名高い。(p.50)
  《参照》  『グリ、ときどきグランボー』 山本三春 (本の泉社) 《後編》
          【香水の故郷、南仏のグラース】
 調香師のアトリエにて
「香水をつくることは、作曲するのと同じことかも・・・・。音符をあやつるように、わたしは無数の香りをあやつる。それをひとつにまとめ、香りの花束をつくるの」 ・・・中略・・・。
「鼻が疲れるのよ。こうしてイトスギ、マツ、オリーブの木々に囲まれると鼻が休まるわ」
10分仕事をして、10分は外に出て鼻の休息をとる。ミッシェルさんは、香りの完全主義者で魔術師でもあった。(p.50-51)
 へぇ~、魔術師が作る“香りの花束”かぁ・・・。この表現、イカシテる。
 匂いを感受する部位は、人間の脳の中の古皮質脳にあるから、これが起動した場合の記憶は、深く刻まれ残るのだろう。故に誰であれ、匂いに関する記憶を辿ったら、面白い話が並ぶはずである。
  《参照》  『臭脳』 鳥居鎮夫 (イーハトーブフロンティア)
 なにはともあれ、グラースに半年ほど住んでみたい。

 

 

【ゴルド郊外のセナンク大修道院】
 僕はキリストの教えには興味ないが、11世紀末に誕生したシトー派だけは例外中の例外。中世の精神世界は、おなじブルゴーニュ生まれのクリュニー派とシトー派でまっぷたつに割れた。
 この地方にも、両派の教会や修道院跡がある。過美で威圧感のあるクリュニー派とは違い、クル・ド・ヴージョや森の奥にあるフォントネーの修道院など、シトー派の建物は素朴で、まるで禅堂にたたずんでいるような錯覚におちいる。
 ゴルド郊外、セコンナルの谷にあるこのセナンク大修道院にたたずむと、ホッとするのは僕だけではあるまい。これである。やすらぎとは、これでないといけない。(p.52)
 セナンク大修道院は1148年創建と書かれている。
 ゴルド近郊はハーブ街道として有名らしいけれど、セナンク大修道院もラヴェンダーの畑に囲まれている。
  《参照》  『南仏おいしい物語』 島静代 (東京書籍) 《前編》
          【プロヴァンスのゴルド村周辺】

 

 

【プロヴァンス人の自慢】
 紺碧の地中海。雲ひとつない、同じく紺碧の空。コクリコの赤、ラベンダーの紫、ヒマワリの黄。ゴッホでなくとも、南フランスの万華鏡のような光と色彩を目の当たりにすれば、絵筆をとりたくなる。
プロヴァンス人の自慢は、北のパリで自信を失った芸術家たちが、この地の明るい太陽のもとで、ふたたび光と色と自信をとりもどすことだという。そういえば。偉大といわれた画家たちが、晩年を南で過ごした例は多い。(p.64)
“万華鏡のような光と色彩”。
 こういう表現を覚えると、プロバンスで詩でも書いてみたくなるだろう。
 失意の芸術家は、先人に倣ってプロバンスに行くという手がある。
 アルルの美女と戯れることを期待しつつ・・・。

 

 

【アルルの女】
 ビゼーの「アルルの女」で有名になった街で、文豪バルザックがほめたたえたようにギリシャ彫刻のような美人が多いらしい。美女と闘牛の街。
 アルルといえば美女の産地。夏の「時代祭り」には、プロヴァンス中の美女たちが、民族衣装を着て集まってくる。・・・中略・・・。
 ところで、きれいなバラにはトゲがある。「アルルの女」には、美貌ゆえに男を不幸にさせるという意味も含まれていることを、世の男性がた、お忘れなきよう。
 だから、もし、フランスで「あなたはアルルの女のようだ」といわれたら、世の女性がた、純粋に美貌を誉められたのか、皮肉を込められたのか、一応お考えのほどを。(p.64)
 プロバンスの民族衣装とは、草花模様を押し染めした木綿の生地(ソレイアードと呼ばれる)でできた衣装のことらしい。
   《参照》  『世界・美術の旅ガイド2 南フランス』 (美術出版社) 《前編》
            【ソレイアード】
 アルルは、ゴッホが「ひまわり」を描いた街でもある。
   《参照》  『世界・美術の旅ガイド2 南フランス』 (美術出版社) 《後編》
            【ゴッホ:南仏へ:35歳~】

 

 

【パリの母親 = エクス・アン・プロヴァンス】
 どのガイドブックにも書いてないが、エクスは偉い。・・・中略・・・。
 理由は、パリの母親だからである。第一、あのシャンゼリゼも、実はこのクール・ミラボーを模倣したものだ。・・・中略・・・。
 とにかく、この街の中央を貫く並木道の美しさにヒントを得て、18世紀、ナポレオンの凱旋を記念してパリにつくられたのが、シャンゼリゼ大通りだったことは確か。(p.66)
 「へえ~」と思いつつ、グーグルマップのストリートビューでミラボー通りを見てみたけれど、なんかイマイチ・・・。両側の3階建て建物の2階部分にある鉄製手摺のバルコニーでは、貴婦人たちが御自慢のファッションを披露したとか。
 紀元前2世紀につくられたローマ帝国の要塞の街が、エクス・アン・プロヴァンスの起源。西ローマ帝国の滅亡後、15世紀にはプロヴァンス伯領の主都として栄えたという。街の名「エクス」はラテン語で「水」をあらわすように、街の至る所に噴水がある。また、画家セザンヌが生まれた街で、街の至る所にセザンヌのイニシャルの「C」がプレートとなって埋められている。
  《参照》  『世界・美術の旅ガイド2 南フランス』(美術出版社) 《後編》
          【セザンヌ:現代絵画の父】~
          【印象派からキュビズムへの橋渡しをしたセザンヌの絵】

 

 

【プロヴァンス人と日本人】
 最近、テレビで興味深いレポートを見た。
 スズムシの「音をテープに録音し、その音をパリとプロヴァンスの人々に聞かせていた。パリでは口々にうるさい、耳ざわりと不快をあらわにしていたが、プロヴァンスではその反応はまったく逆。心地よい、メロディーのよう、気持ちよいという。
 プロヴァンスの人々は、虫の音を愛でることを知っているのである。スズムシが奏でるりんとした音色に僕らは風流を覚えるが、彼らもまた数奇者であった。(p.94)

 そのプロヴァンス人の代表格が、昆虫の生態を文学にまで高めた詩趣の人ジャン・アンリ・ファーブル。ファーブルは、1876年に出版された地理の教科書に、
「日本はミカドを戴く国で、人口3500万人。生産物はレベルが高く、白人以外ではもっともフランス人にちかい五感を持っている」。
 おそらく、ここでいうフランス人とは、プロヴァンス人のことと思うが、「日本の光」をもとめてプロヴァンスに来たゴッホのことを考え合わせると、この地を流行のたんなる田舎とは思えなくなってきた。(p.94)
 この記述は、とてつもなく重要だろう。
 下記リンク内の、※1の記述を、「厳密には、ポリネシア人とプロヴァンス人だけは日本人と同じ結果」に改める必要があるだろう。
  《参照》  日本文化講座⑩ 【 日本語の特性 】 <前編>
         ■ 日本語と日本人の脳の特異性 ■
 『昆虫記』で有名なファーブルは、プロヴァンスで生涯を過ごした人。

 

 

【メリメが修復したカルカソンヌ】
 フランスでは、カルカソンヌほど中世の城郭都市の姿を昔どおりにとどめている町は少ないと言われている。・・・中略・・・。修復に力をつくしたのは、当時、歴史建造物保存委員会の監督官をしていた小説『カルメン』で知られるプロスペル・メリメだった。(p.102)
 『カルメン』 はスペインを舞台にした小説だけれど、それを書いた作者のメリメはフランス人で、作中のカルメンもジプシーだからボヘミア人でこれまた異邦人。ドン・ホセもバスク人だからスペイン人にとっては内なる異人。つまり、スペインを舞台にし、スペインを象徴する作品と思われている『カルメン』は、異邦人や異人ばかりの物語ということになる。
 メリメが歴史建造物を修復したカルカソンヌは、スペインとの国境に近く、ピレネー山脈の国境付近はバスク地方とも重なる所だからこそ、このような『カルメン』が生まれたのだろう。

 

 

【グルノーブル】
 いまでは下町になっているジャン・ジャック・ルソー通り14番地に、スタンダールの小さな生家があったが、誰も目にかけない。かつての宮殿に、彼の博物館ができたためかもしれない。(p.120)
 グルノーブルといえば、冬季オリンピックの開催地として名前を記憶していただけだった。
 通りに名が残っているルソーはジュネーブ生まれ。グルノーブルにいた時期があったということか。
 バスティーユ要塞に登るロープウェイに乗れば、一気に視界が開け、街並みが分かると書かれている。

 

 

【シャモニ】
 この有名な山の町の正式名称は、シャモニ・モン・ブラン。(p126)
 アルプスの最高峰4807mのモン・ブラン(白い山)観光で賑わう街で、標高はおよそ1000m程度。
 シャモニは、山梨県の富士吉田市と姉妹都市。
 モン・ブランはスイスの山ではなく、フランスとイタリア国境にある山。
 イタリア側でも白い山を意味するモンテ・ビアンコと呼ばれている。

 

 

【サルラ】
 17世紀以来の街並みをそのままとどめるサルラ。ここは、フォアグラの産地、集散地としても名高い。(p.136)
 サルラは、カルカソンヌの北北西130kmほどにある。
 美食家は、フォアグラは美味だの珍味だのとタワケタことを言うけれど、フォアグラは、苦しみ嫌がるガチョウの喉に強制的に餌を詰め込み、肝臓を肥大化させたところで殺して肝臓を取り出すという、動物虐待の限りを尽くしたチョー最低・チョー最悪の食材である。
「フォアグラが好き」と言うタワケ者がいたら、「お前さんにガチョウと同じことをしたろうか」とマジに詰問するだろう。

 

 

                <了>