■ 音読みの日本語 vs 訓読みの日本語 ■
 日本語が上手になった留学生達は 「日本語を話していると気持ちが優しくなる」 と言います。一方、普通の日本人は、中国人や韓国人が母国語で話しているのを聞いていて 「少し乱暴な言葉に聞こえるなぁ」 と内心では思っているのです。何故でしょうか。
 日本語で漢字を読む場合、日本古来の大和言葉の読み方である 『訓読み』 と、中国から伝わってきた漢語の読み方である 『音読み』、二つの読み方あることは、皆さん御存知の通りです。 『訓読み』 と 『音読み』 を対比した表をご覧ください。

 読み  読みのルーツ   外海   内海   読み方の違いによる日本人の感じ方
音読み  漢語(中国語) がいかい  ないかい  大きい感じ・外的・外交的・意思的・量的
訓読み  大和言葉    そとうみ  うちうみ  小さい感じ・内的・内向的・情緒的・質的


 音読み訓読み、いずれであっても辞書を引けば同じ意味になってしまいます。しかし日本人は、全く同じには感じていません。読み方が異なれば、感じ方は違うのです。内海(ないかい)と読めば、“客観的に外の世界にあるもの” と感じ、内海(うちうみ)と読めば “心の中にある小さな海” という風にも感じられるのです。どの漢字であれ、音読みと訓読みによる感じ方の違いは、上記の対比表に記述したようになります。
 日本人は、読み方の違いを巧みに使い分けてきました。幼少の子供たちが覚える 「童謡」 は殆どが訓読みです。また 「演歌」 という情感の世界を表現する歌謡曲の歌詞は自ずと訓読みが多く用いられています。音読みにしてしまうと 「演歌」 にならないのです。では、音読みが主体の歌はあるのでしょうか? あります。 「軍歌」 です。1900年代前半の戦争の時代、日本人全体の覇気を鼓舞するために作られた軍歌の歌詞は、殆どが音読みで構成されていたのです。
   《参考》 朝鮮語の “ハングル” は日本語の “ひらがな” に相当しますが、
        ハングルには、日本語の訓読みに相当する読み方の単語は殆ど残っていません。
        朝鮮固有の文化は絶たれているようです。



■ 日本古来の文化芸術 “ 短歌 ”の世界に見られる日本語の特性 ■
 『万葉集』 は5世紀から6世紀にかけて書かれた短歌を集めた、日本最古の歌集です日本文化講座 ⑤ 【 言霊・天皇 】 参照のこと)。この時代は、中国から様々な文献が流入していました。有閑な貴族階級は、漢語の仏教文献を読んでその思想を深く吸収しつつ仏教文化のパトロンとなりました。また、中国の詩人の漢詩を読んでその文言の一部を自らの短歌に取り込むことで教養を競ってもいました。漢語文化の最大の理解者であり、日本語に音読みの漢字を定着させた功労者である貴族階級の読んだ歌が、『万葉集』 の中には幾つも集められています。
 このような時代背景の中で成立した 『万葉集』 です。では、『万葉集』 の中に、音読みの歌は何首選ばれているのでしょうか? 一首も選ばれていないのです。政治制度や仏教思想や漢詩など、すべて漢語文献を通じて、日本に多大な影響を与えていたにも関わらず、音読みは、神代の時代から伝承してきたといわれている日本古来の文化芸術である短歌の世界には、影響を及ぼしていなかったのです。

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『万葉集』 の後に編纂された 『新古今和歌集』 の選者である藤原定家と藤原家隆の二人は、 『古今集』における秀歌として、期せずして同じこの歌をあげました。
 
  有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし 

 意味を先に考えようとする現代人には、これが最高の歌であると評価される理由が分りづらいのですが、古代の日本人は、意味よりも音(言霊)が形成する世界を敏感に感じ取って評価していたらしいことは分かるのです。
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 大和言葉の短歌のみを収集したことは、『万葉集』 や 『古今集』 の選者が保守的だったからという理由ではありません。現代人より繊細な感性(霊性)で音を看ていた古代の日本人は、大和言葉(訓読み)の中にしか美しさを感じられなかったのです。
 現在の日本にも短歌を愛好する人々は多く、短歌に習熟すればするほど、大和言葉の美しさに魅了されてゆくのです。言い換えるならば、大和言葉は、神代の時代といわれる太古の昔に、既に言霊として完成されていたのだと思うのです。


■ 日本語と日本人の脳の特異性 ■
 下記の表は、日本人と外国人を被験者とし、3つの音を聞いてもらった実験結果の対比表です。

  ・母音とは日本語の 「あ・い・う・え・お」 であり、子音は母音以外の発音です。 
  ・自然音とは川の流れる音や虫の鳴き声を意味しています。
  ・人間の脳の構造は、左脳と右脳に分かれており、
左脳は一般的に言語脳といわれています。


 被験者  母音 子音 自然音  結果の解釈           自然との関係 神との関係
 日本人
 左脳 左脳 左脳 全てを言語脳で処理 (自然と会話する)    共生・親和的 血縁(祖先)
 外国人  右脳 左脳 右脳 
言語脳の対応域が狭い (自然を雑音と感じる)  分離・対立的  契約

   ※1 厳密には、ポリネシア人だけは日本人と同じ結果
   ※2 日本人であっても、上記の結果を生ずるのは9歳まで日本語だけで育った人に限定される。


 この実験結果から分るのは、「日本人は音として言葉を理解する傾向があり、外国人は意味として言葉を理解する傾向がある」 ということです。
 また、神道の基本思想である 「自然は神なり」 という発想も、虫の声や風の音に耳を澄ます日本人にとっては至極当然であることが分ります。
 さらに、神との関係であってすら 「契約」 とする聖書の発想も、自然から分離してしまった言語脳が、怖れを緩和するために、必然的にロゴス(意味)を主体とする言語文化へと導いてきたことの顕れであることがよく分ります。
 ※2 は興味深いことを語っています。「両親が日本人であっても、幼少期に日本語環境に恵まれなかった子供は日本人の脳の特異性を持てない」 ということです。つまり、DNA(遺伝子)が日本人を作るのではなくて、日本語が日本人を作っているのです。 


<後編> に、日本語が日本国家の国力の根源であることを記述しました。