《前編》 より

 

 

【シク教(シーク教)】
 ちなみに、シク教とは、ヒンドゥとイスラムの中間のような宗教で、ヒンドゥの輪廻転生主義は標榜するが、イスラム同様カースト制度はもたない平等主義で、偶像崇拝禁止の唯一神信仰である。(p.92)
 インド人のイメージとして定着しているターバンを巻いているは、イスラム教徒でもヒンドゥ教徒でもなく、シーク教徒。シーク教徒はキンパルという短剣を所持してもいる。成年期以前の子どもたちは、登頂の髷が飛び出した髪型に短いスカーフ状の布(パトゥカ)を巻きつけたヘアスタイルをしている。シーク教徒の人口比は2%。
    《参照》   『笛吹きインドひとり旅』 うえの善巳 (中央アート出版)
              【ターバン】
    《参照》   『驚異の超大国インドの真実』 キラン・S・セティ (PHP研究所)
              【シーク教徒】

 

 

【仏教】
 仏教は本家本元ながら、とうの昔に廃れてしまい、現在はごく少数の信者を有するのみだ。お釈迦様が悟りを開いた菩提樹の祀られたマハボディ寺院がブッダガヤーにあるが、異教徒のヒンドゥ統制下にあるため、仏教徒への返還請求が長年出されている。(p.93)
 海外からの観光客が参拝できないわけではない。

 

 

【ジャイナ教】
 ジャイナ教徒は敬虔な不殺生(アヒンサー)主義者で、菜食一本やり、蟻一匹殺さないことで有名で、徹底した苦行、禁欲主義者で、ビジネスに従事しているクラスが多い。(p.93)
  《参照》  『第三の道』 糸川英夫 (CBS/ソニー出版) 《前編》
             【ジャイナ教徒】

 

 

【パルシー教】

 数にすれば一番少ないパルシー教徒は、その昔イスラムに追われて、ペルシャから流れてきたゾロアスター(拝火)教にさかのぼり、リッチな特権クラスだ。インドの最大財閥タタがパルシーということは巷間に知れ渡る事実で、故インディラ・ガンジー元女性首相のご主人も同教徒だった。全土に6万人強存在し、その半分以上は西インドの商都ムンバイに住み、インド社会に大きな影響力を持つ。(p.93-94)
 パルシー族はカーストとも無縁なので、ビジネス上ではメリットがあるらしい。であるなら、タタ財閥のアドバンテージは、カーストに無縁な外国企業としての出自があったからこそと、いえなくもない。

 

 

【インド人男性は逆玉狙い?】
 一獲千金を夢見て海外行きたさの偽装結婚も多く、そうでなくとも、外人女性を娶ったインド男性は逆玉に乗ったと思われ、周囲のやっかみを受ける。
 近年経済繁栄を謳歌しているといっても、大半はまだ貧しいため、外人女性にとっては買い手市場だ。日本女性は高根の花で、大もてなのである。ブスだろうと、本国ではありえないちやほやのされ方なので、ころりと参ってしまうようだ。
 結婚詐欺に引っかからないよう、要注意! (p.103)
 結婚したくても縁がない日本人女性は、インドに行けばいい。俗にいう「入れ喰い状態」なのだから。
 日本国内では、報道されていないだけで、中国人女性の結婚詐欺に引っかかった日本人男性がたくさんいるけれど、近年のインド経済発展で、中国人女性もインド人男性狙いに変更しているかもしれない。であるなら、どっちが玉に乗ることになるのか、その行方を見てみたいものである。

 

 

【「ナマステ」】
 ナマステとは「敬礼」の意味で、「ナマス」はサンスクリット語で「うやうやしくお辞儀をする」の意、「テ」とは「あなたへ」という意味がある。出会いがしらは無論のこと、別れしなにも行われ、インドや、隣国ネパールでもごくポピュラーな挨拶法だ。(p.106)
 「こんにちは」の意味だと思っていると、別れる時に使えないと思ってしまうから、書き出しておいた。

 

 

【「ラデラデ」】
 女性の挨拶には「ラデラデ」があり、これはヒンドゥ教のクリシュナ神に・・・中略・・・一番愛された、幼馴染の永遠の恋人ラーダのようになれますようにとの祈りの込められた、女性っぽい優しさに満ちた挨拶の仕方だ。クリシュナ神に由来する、動作の伴わないフェミニンな挨拶で、誕生地ブリンダバーンでは男もみな、ラデラデだ。(p.107)
 「ラデラデ」は、日本語では奇妙な言霊になってしまうけれど、パープリン系のオッサンは、女性の挨拶言葉なんていう前振りだけで「デレデレ」って覚えてしまうだろう。「デ」じゃなくて、クリシュナの恋人ラーダの「ラ」ではじまる「ラデラデ」。
 本書には、クリシュナの生誕地“ブリンダバーン”とあるけれど、大抵は“ブリンダーバン”と書かれている。下記リンクでは、ブリンダーバンは寡婦の捨てられ場所として記述されている。「悲しい寡婦たちが、クリシュナの生誕地で守られますように」ということだろうか。
    《参照》   『家なき鳥』 グロリア・ウィーラン 白水社
              【ヴリンダーヴァン】

 

 

【何事も両極端】
 何事も両極端、中間がないのがインドである。(p.126)
 この文章は、ホテルの値段の価格差が余りにも激しい状況を記述した後の締めくくりとして記述されているのだけれど、ホテル値段に限らず、両極端な事柄は、本書内にいっぱい書かれている。
 日本人のように、和をもって対応するとか、事を荒立てないように事前に根回しして妥協しておくということは、インドに限らず諸外国には普通にない。だから、日本人から見れば、大抵は落差の激しい両極端な社会になっている。そのような社会であれば、日々ノー天気に徹して生き切るか、歪んだ心を裏に秘めつつ機を見て強烈に爆発させることになるから、両極端は一層鮮明に印象付けられることになる。この点において、インドは中国の状況とほぼ同じというより全く同じ。つまり、憂うることなきノー天気気質と、チョー手前勝手な無法地帯維持人間気質が同居するのである。階級社会が根強く維持されている日本以外の諸国家では、インドや中国に限らず大抵はこうである。だから、先進国と思われているヨーロッパのどこの国であっても、その実情を知ったら、日本人は大抵、ビックリするというか呆れるというかドン引きするのである。
 しかし、そういう日本人は、自国・日本の本当の腐敗ぶりを全く分かっていない。自他の違いは、単に、公然か隠然かの違いだけである。日本の腐敗実態を知りたいなら、下記リンクに紐付けられているタコ足状のリンクにうんざりするほど記述されています。
    《参照》   『ヤクザ・リセッション』 ベンジャミン・フルフォード (光文社) 《前編》
               【外国のマスコミは「駆け込み寺」】

 

 

【乞食王国】
 インドの路上生活者のカルチャーは実にユニークだ。インドは世界に冠たる乞食王国で、そこら中に蛆虫のようにたむろして、外国人をたじたじとさせる。・・・中略・・・。女子供、老人、不具者はこちらの罪悪感を突くような、憐みのこもった上目遣いで媚びてくる。プロだから、どうやったら相手にガマ口を開かせるか、よーく心得ているのである。(p.127)
 「インドが経済発展しても、乞食の数は一向に減らない」と書かれているけれど、乞食さんたちは、それなりに豊かになっているらしい。
 ときたま身寄りのないお乞食さんが亡くなって、死後びっくりするほどお金を残していたなんて、愉快な記事が新聞に載ったりする。 (p.127)
 インドにおいて、乞食は、ジャーティ(職業)のひとつ。
 生活苦でやっているのではない。

 

 

【「世界のゆりかご」】
 グジャラート州のアナンドにある、アカンクシャ不妊クリニックは、「世界のゆりかご」ともいうべき、不妊のアウトソーシング業で有名だ。(p.135)
 代理母のアウトソーシングをするのは主にアメリカ主体の欧米人と書かれている。
 依頼理由は、自国よりはるかに安価だから。

 

 

【スイス銀行への預金大国】
 スイス銀行の第2位の国外預金者はロシアだが、インドの半額以下にすぎず、インドはまさに、世界最大の闇預金国家ということになる。もしこの膨大な脱税金が回収されれば、24時間以内に米経済と互角に渡り合えるだけの経済力にのし上がり、4億5000万人の貧民に1ラーク(約15万円)の割り当てが可能となり、そうなると貧困線を上回り、もはや第3世界でなくなるとすらいわれている。(p.144-145)
 へぇ~、インドがそれほどの闇預金大国とは知らなかった。
 しかしながら、預金者名秘匿の秘守義務を堅持するスイス銀行以外にも、タックスヘイブンなどたくさんあるのだから、闇預金額に関する実際の序列において、インドが世界一ということはないだろう。