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 ロケット工学の専門家として有名な著者のインドに関する著作。既読本の書架をポヨヨ~~~ンと眺めながら、何気なく手にしてみた。92年9月初版。

 

 

【日・印共同宇宙科学研究】
 1965年から67年の3年間にわたって、私はインド政府のアドバイザーとして、インドで仕事をしていた。
 インドに、ヴィクラム・サラバイ博士という科学者がいた。
 専門の宇宙科学の分野では国際的に著名であったが、インド国内ではむしろ、サラバイ家の当主として高名であった。 ・・・(中略)・・・ 5大財閥となると、これにサラバイ家も加わるそうである。(p.16-17)
 著者は、アメリカ流にヴィクラムさんをヴィックスと呼んでいたという。
 本格的に宇宙研究をやるのには、自前でロケットを持ちたい。
 ついては、宇宙科学研究所をインドにつくりたい。
 その仕事を手伝ってくれないか、というのが彼の相談であった。 ・・・(中略)・・・ 
 しかし、当時のインドと、アメリカ、ソ連、ヨーロッパ諸国との間柄を考えると、彼が何故、日本人の私を選んだのか不思議である。 ・・・(中略)・・・ 。
 ヴィックスは大変な喜びようで、気が変わらないうちに契約をしようというわけで、日ならずして、私はデリーの、インド政府中央政庁によばれ、当時の首相、インディラ・ガンジーさんから、正式の依頼を受けた。(p.18-19)
 しかし、余りにも激務であったヴィックスさんの急死を機に、著者はこの研究から去ることにしたと書かれている。
 インドは、東京裁判において日本を客観的かつ正統に擁護してくれたパール判事の出身国。インド独立に関わった日本人を今でも評価してくれている人々が決して少なくない。だから、欧米人ではなく日本人の著者が選ばれたんだろう。
   《参照》   『若きビジネスマンはインドを目指す』 芝崎芳生 (プレジデント社) 《前編》
             【チャンドラ・ボーズ】

   《参照》   『悲しい日本人』 田麗玉 たま出版 (その2)
             ◆ 『東京裁判』はどのようなものであったか

 今後、日本とインドそしてアジアとの協力関係は、さらに進展することだろう。
   《参照》   『中国が目論む世界支配の正体』 ベンジャミン・フルフォード (扶桑社) 《前編》
             【インドと中国の歩み寄り】

 

 

【インドを訪れる観光客の割合】
 インドのある旅行業者の説によると、インドを年間に訪れる観光客の70%はフランス人で、20%がアメリカ、北欧。日本は仏教関係という特殊なグループを除くと、せいぜい1%だそうである。(p.54)
 この本が書かれた92年は、バブル崩壊後とはいえ、ジャパン・マネーの威力で世界中の観光地に日本人旅行者がたむろしていたはず。だのに1%は確かに異常に少ない。病気を恐れる安全志向が最大の原因なんだろう。
 車やラジオといった世界中でよく目にする日本製品も、インド市場では殆ど目にしないとも書かれている。
 しかし、今日のインドでは、インド政府と合弁で自動車生産をてがけてきたスズキ自動車が成功している。
   《参照》   マルチ・スズキ・インド社(Maruti Suzuki India Limited)

 

 

【インド・ルピー】
 インドのルピー紙幣の表には、13の言語で、これが印度の紙幣であることが明記されている。
 少なくともインドには、13前後の主要な言語系がある証拠である。(p.56)
 主要でない言語を数えたら、かるく3桁である。
           【多民族国家】

 

 

【天国行きのパスポート】
 「天国行きのパスポート」を手にするためにバナラシに集まるのは、インドのヒンディーだけではない。
 アメリカからも、ヨーロッパからも、それに日本からも「ヒッピー」とよばれる人たちが集まり、かつ、住みついている。
 「物質文明」にいや気のさした欧米日の若者たちが「魂の原点」を求めて「吹きだまり」のように集まってくるのもこの町である。(p.66)
 インターネット時代の現在は、いろんな人がデジタル写真付きの旅行記をアップしているから、ガンジス河のバナラシの様子はすぐに見ることができる。それ故にこそ、精神の深みを模索しようとする“心に旅”に出づらいような気がする。チャンちゃんが学生の頃はまだPCの勃興期で、インターネットなんてなかったから幸いだったと思っている。藤原新也の『東京漂流』や、横尾忠則の『インドへ』 なんかを読んでいた頃が懐かしい。
   《参照》   『ディングルの入江』 藤原新也 集英社
             【『東京漂流』民】

 

 

【ジャイナ教徒】
「ジャイナ」は信仰上、身体にまとうものはもちろん、一切の「物」を持たない。したがって、生涯を文字通り「裸一貫」で過ごす。都市部では、丸裸というわけにもいかないのか、それこそ申しわけ程度の、フンドシ様のものをつけ、ポシェット位の小さなバッグを肩からかけて、ハダシで歩いている。 ・・・(中略)・・・ 。
 生計は「商売」で立てるらしい。ジャイナはウソをつくことはなく(つく必要もないだろうが)正直で通っており、「商売」の達人として知られている。
 ハダカの男が歩いていたら、それは乞食でもないし、気がおかしい人でもない、一生を何ひとつ持たないで生きることを誓った敬虔な「ジャイナ」教徒なのである。(p.126)
 江戸時代の日本のお坊さんたちは、服こそきていたにせよ、みんなこんな感じで生きていたはず。今でも良寛さんを好きな日本人は多いだろうけど、インドに憧れる人って、精神の基盤がそこら辺にある人なんだろう。

 

 

【バクシー地獄】
 インドに旅行する人は「バクシー」に悩まされる。
「バクシー」と耳に聞こえるけれど、ヒンズー語で正確に言えば「バクシーズ」であるそうだが、大抵語尾が聞こえないから「バクシー」となる。
 日本語に訳せば「施しを」とか「お恵みを」とかに相当するらしいが、要するに「おカネ チョーダイ」ということになる。
 インドは好きだけれど、「あのすさまじいバクシー攻勢だけは」といって苦笑される方が多い。(p.74)
 心優しい日本人観光客は特に、バクシー地獄に連れ込まれちゃうんだろう。
 東南アジア諸国でも同様なこと(バクシーじゃなくて物売り)を経験している人は多いはずである。

 

 

【ヒンズー教と仏教】
 インド人にいわせると、シャカは、ヒンズー教のいちばん古くて、えらい神、「ビシュヌ」が9度目に生まれ変わってきたときの名前である。
 ヒンズー教にはたくさんの神々がいる。シャカもその一人で、中興の祖といわれている。
 したがって、仏教徒は、インドのヒンディーからみると、自分たちの神々の中の、一つの神を信じている人たちという意味で、兄弟というか、「一派」という感じらしい。(p.123)
 仏教関係の本の中で、この様なことをちゃんと書いている本はあまりないだろう。
 キリスト教とイスラム教の関係も、現地の人々の見方を知っていたほうがいい。
   《参照》   『途上国から見た日本』 小森毅 (文芸社) 《前編》
             【中東の神霊界】