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 密度の濃い内容のインド書籍。インド人と結婚してオリッサ州の観光都市プリーに住むこと25年の著者さんなので、様々な内容の現地事情が詳細に分かり易く記述されている。インド旅行したい人が事前に読むのであっても役立つばかりか、多くのビジネスマンが読んでいる 長谷川慶太郎さんの『インド』の著作より、この本の方がインド財閥に関して遥かに深く詳細な内容が記述されてもいた。
 全般的に、面白い書き方をしているので、楽しみながらサクサク読める。インドに興味がある人なら、誰でも「読んでよかった」と思うことだろう。2012年9月初版。
 なお、『○○人には、ご用心!』は、三五館のシリーズ本らしい。既掲載に 『台湾人には、ご用心!』 がある。

 

 

【バクシーシはインドの必要悪】
 インドのお役所仕事の悠長ぶりは悪名高く、少しでもスピーディーにしてもらおうと思ったら、「バクシーシ」といって袖の下を握らせるしかない。インドの官僚はまとことに一筋縄ではいかず、手続きを速めるには買収するのが一番、バクシーシはインドの必要悪習慣と化しているのである。(p.16)
 「バクシー」ないし「バクシーシ」と言われる単語は、本来「施し」の意味だけれど、上記の例は明らかに「ワイロ」である。自分の家を造るとなっても、何年かかるかはバクシーシの総額次第らしい。
 ちなみに、わが安宿「ラブ&ライフ」は91年7月から着工して、総工程6年半で総室23部屋完築した(p.17)

 

 

【勤勉さは気候による】
 ルーズな北インド民に比べると、南インド民は比較的勤勉といえるが、これもインド基準で言っているのであって、日本に比べると、たかが知れたもの。インド人を弁護するわけではないが、四季に恵まれたマイルドな日本と違って、炎暑地獄では到底無理はきかなくなる。・・・中略・・・。のんびりするのはある意味、暑い国も生活の知恵なのである。(p.18-19)
 勤勉か否かに関する海外事情は、何度も書き出してきたけれど、「日本人の勤勉さは、秀でた民族性の証」と思い込んでいる人は、下記リンクを辿ってください。
    《参照》   『流学日記』 岩本悠 (文芸社) 《後編》
              【ぽれぽれ】

 

 

【清掃専門のカースト外あり】
 で、いったい誰がゴミだらけの線路や車両を清掃するのかというと、最下層のカースト外ヒンドゥ、清掃専門のスウィーパーなのである。(p.21)
 下記リンクにあるベトナムの「棒拾い」もそれで生活しているのだから、インドのカースト外スウィーパーと同じである。
    《参照》   『ハノイ式生活』 飯塚尚子 (世界文化社)
              【恐怖のリサイクル】

 日本人が日本の文化レベルの高さの実例としたがる “美意識” の視点とは異なった、文化的背景があることを知っておくことが肝要。
 というわけで、後片付けをしてくれるスウィーパー階級がいるもんで、カースト内ヒンドーは平気の平左でゴミ捨てポイをやる。かくいう私も、郷に入っては郷に従えで、マナーの悪さはいまやインド人並だ。(p.22)

 

 

【「水洗トイレ」ではなく「水式トイレ」】
 暑い国ゆえ、事後処理は水式、用足し後手桶で不浄の左手を使って、局所を清める方式が習慣化している。インドのトイレには必ず、小さな手桶がついて、床の隅に蛇口が設置されているのはそのせいである。・・・中略・・・。タイなども水式で、アジアの厚い国々では水で清める方式が一般的のようである。(p.23)
 エジプトのカイロ空港には、手桶ナシ、ホース付き蛇口のみのトイレがあった。ホースの水で手を洗い流すしかなかったのである。
 タイの北部には、蛇口などなくタイルの小さなプールのような水溜めがペアで設置されていたところが多かった。しかし、手桶に触ること自体がおぞましかったから、用を足した後、流しもせずに出てきてしまったことがあった。トイレに関しては異国仕様を事前に知っていたとしても、「郷に入ったら郷に従え」も、たぶんかなりシンドイ。インド方面に観光に行く場合は、ティッシュなりウエットティッシュをテンコ盛り持って行くこと。長期滞在なら慣れるしかない。
 

【騒音は気にしない】
 インド人は、騒音をいっこうに気にかけない。周囲が喧騒の渦巻く環境ということもあろうが、かしましさには並外れて寛容な国民ということになる。ピアノの音がうるさいといって殺人事件の起きる日本とは、実に対照的だ。(p.54)
 寛容という視点で言えば良いことに思えるけれど、寛容なのは、自分を含めて自分勝手な騒音バラマキ人間たちばかりだからということ。バスの運ちゃんは自分好みの音楽を大音量で流すのである。

 

 

【お祭りは市街戦】
 本来激しやすさを秘めた国民だから、無礼講のお祭りとなると、それっとばかりに、たがが外れて過激に走ってしまい、オーバーヒートする。・・・中略・・・。けが人も続出する。爆竹で負傷したりするほか、頭にかーっと血が昇って男同士の小競り合いになりかねないせいだ。
 街はあたかも市街戦の様相を帯び、夜中まで爆竹がこだまし、耳がツーンとなるので栓をして防いでいる私、(p.59)
 無礼講のお祭りともなれば、熱しやすいのは何人でも同じだろうけれど、市街戦状態になってしまうのは、揺るぎない階級社会(カースト制度)があることに関係しているだろう。

 

 

【カースト制度】
 カースト制度の「カースト」とは、ポルトガル語の「カスタ」(ピュアの意味)から派生し、今をさかのぼること3500年前、中央アジアから侵入した色の白いアーリア支配民族によって「ヴァルナ」(肌色)の違いによる枠組み、四姓がつくられたのがその始まりとされている。
 後年、ジャーティ(出生)による区分が生まれ、職業ごとの世襲制度で2000~3000にも細別されるようになった。
 大別すると「ブラーミン」(バラモン・司祭階級5%)が最上層で、次が「クシャトリア」(王侯貴族・戦士族7%)、3番目は「ヴァイシャ」(商業に携わる平民・地主3%)、4番目が「シュードラ」(農夫・大工などの労働者60%)となっている。
 上記の4階層のどれにも属さないのが「アウトカースト」といわれる最下層民(25%)で、「不可触賤民(アンタッチャブル)」との差別用語でおとしめられてきた。しかし、今は政府から指定優遇策を受けることで、「スケジュールド(指定)カースト」、もしくは「ダリット」などと呼ばれるようになった。(p.81-82)
 学校では、カーストの最上位を「バラモン」と習うけれど、本書では「ブラーミン」となっている。
 カースト最上位の「ブラーミン」とはいえ、経済優先の近代における実質的な最上位階級は「クシャトリア」すなわち王様(マハラジャ)であるらしい。
 “ジャーティ(出生)”とあるから誤解してしまいそう。ジャーティは、「出生(血縁)」というより「職業」による階層区分を意味すると理解しておいた方が無難。
 

《インドのカースト制度定着化に関して》
 白人系が支配者として流入したことでヴァルナ基準の階級が生じたことはあり得ただろうし、職業によって集団化するのはインドに限らず世界共通のことである。そして、この2つの因子はインドに限らず大陸国家ではどこもほぼ共通。故に、何故、インドでカーストが強く社会に定着したのかに関しては、別の要因を考えなければならない。そこで浮上するのが植民地政策。インドを植民地として支配する上で都合がいいように、明確な階級社会化を推進した連中がいたのだろう。やはり、イギリスの関与が大きいはずである。
   《参照》  『アメリカはどれほどひどい国か』 日下公人&高山正之 (PHP) 《後編》
            【カースト制度はイギリスがつくった!】
   《参照》  『驚異の超大国インドの真実』 キラン・S・セティ (PHP研究所)
            【カーストとIT産業】

 

 

【カースト外のダリット】
 一番最後が、カーストの枠組みから外された最下層のダリットだ。トイレ・庭清掃夫、洗濯夫、土地未所有の農夫、死体運搬人、堵殺人、靴職人、ハンドクラフト師など不浄とされる職業についているため、井戸水すら穢れるといって使わせてもらえない非人道的差別待遇をいまだに受けている。ブラーミンの影を踏んだり、覆ったりすることも許されず、寺院参拝も穢れが降りかかるといって許可が下りないほどだ。抗議のストが起きないのが不思議なくらいだが、これはジャーティー(出生)と諦観しているせいである。
 アウトカーストに生まれたのは前世の行いが悪かったせいで、今世で耐え忍んで上位カーストに仕えることで、次の世には高いカーストに生まれ変わると信じているのだ。が、ブラーミンら上位のカーストからのいわれのない攻撃を受けて虫けら同然に殺される事件も少なくないため、差別に耐えかねて、仏教やキリスト教、イスラム教に改宗する者も多い。インド憲法起草の父であるアンベドカルなど初代法務大臣の地位までのぼり詰めながら、仏教に救いを求めた口だ。(p.84-85)
    《参照》   『家なき鳥』 グロリア・ウィーラン 白水社
              【カースト差別思想行動の具体例】
    《参照》   『12億の常識が世界を変える インド』 長谷川慶太郎 (ポプラ社) 《前編》
              【アンベードカル】

 地球の周波数は変わっているのだから、もう輪廻などしなくていいのだけれど、仮に輪廻を選択し再びインドに生まれるのであっても、インドのカースト制度自体、数十年かけて変容して行くことになる。アウトカーストの現役ダリッドさんたちも、輪廻に基づいた諦め意識から、徐々に解放されてゆくだろう。
    《参照》   『空なる叡智へ』 サアラ (ヒカルランド) 《前編》
              【新たな楽園を築くために】

 

 

【ベナレスの火葬場】
 ヴァラナシ(ベナレス)では、「マニカルニカガート」という露天火葬場があり、観光客にも有名だ。・・・中略・・・。残骸を野良犬が漁っているのも、死が自然な現象として受け入れられているヒンドゥ国家ならではだが、外国人からすれば、衝撃的なシーンで息を吞むにちがいない。(p.89)
 藤原新也が『東京漂流』の中で書いていた「人間は犬に食われるほど自由だ」は、まさにベナレスの露天火葬場で見た光景から生まれたもの。
   《参照》   『ディングルの入江』 藤原新也 (集英社)
             【『東京漂流』民】

 カネ・カネ・カネと狂った文明生活は、「死んで犬に食われるほどの自由」さえ許容しないのである。