《前編》 より


 

【一神教起源のユートピア】
 ユートピアとは、英語でいえば「No-where」で、どこにもないという意味だ。これは、皆が進んで労働をし、困った人とは助け合うという理想社会を書いた本だが、日本人が読めんでもあまりピンとこない。当たり前ではないかという感覚になる。だが、イギリスでは王権批判の本だった。(p.108)
 この記述から言えるのは、「日本は、そもそもユートピアに近い国なのだ」ということ。
 逆に言うなら、「一神教基盤の諸国家は、支配・被支配関係によって維持されてきたいかに根深い人間差別国家か」ということが分かる。
 労働が苦役であるとき人間は心のよりどころを求めるが、この救いの部分を引き受けたのはヨーロッパではキリスト教だった。キリスト教は「労働は苦役」としながらも、そのつらさの原因は「俗」なる王様に引き受けさせて、自らは「聖」なる救いを引き受けた。(p.108)
 これこそ、まさにキリスト教教学を用いた「闇の支配者」による詐術である。
   《参照》  『空なる叡智へ』 サアラ (ヒカルランド) 《前編》
            【アダムとイブの「失楽園」について】

 

 

【「ものづくり」はアートである】
「ものづくり」は奴隷の仕事なのだろうか? それとも芸術家の仕事なのだろうか?
 近代の視点で見ればそれは「奴隷」かもしれない。だが、近代以外の視点を持つなら、それは「奴隷」の仕事ではない。
 レイバー(苦役)は奴隷がすることで、ワーク(仕事)は職人、アート(芸術)は芸術家がすると分かれているらしいが、日本人はほとんどの人がアートをしている。(p.106)
 支配・被支配という強固な階級社会を維持してきた西欧では、支配者の財力によって庇護された芸術家によるアートが数多く残されているけれど、それらは本当に優れているだろうか? チャンちゃん自身は、それらの多くに、ほとんど感心しない。優れていると思うのは、洗脳が効いている人だけだろうと思っている。
 日本の浮世絵などの作家たちは、ほぼ庶民たちではないだろうか。少なくともパトロンによって長期間生活を維持されなければできないような、大規模な作品などではないのだから、日本においては、庶民的な生活の中で生み出された芸術が主体だったと言えるだろう。つまり、日本の芸術家は、古来から、権力の影響力を免れた生活状態であったからこそ、苦役ではなくアートな日常生活を送れたのである。
 故に日本人は誰でも、仕事をアート感覚でこなすことが出来る。だから日本人の「ものづくり」は秀でている。
    《参照》   『これから働き方はどう変わるのか』 田坂広志 (ダイヤモンド社)
              【失われた「働く喜び」】

 

 

【徴兵と参政権】
 アメリカで既に問題になったことだが、昔は徴兵制で20才の男を無理やりベトナムへ送り込んだが、19才まで徴兵制を広げるとき、その19才が「じゃあ投票させろ」と言った。そこでアメリカの参政権は1971年に18歳以上に下がった。徴兵と参政権は、不可分である。(p.128)
 日本国民が望んだのでもないのに、選挙権を18歳にしたのは、これが目的。すなわち、戦争連れ込みによる日本人の大量人口削減が本来の目的。短期的には、IT機器に使い慣れている若年B層を利用する目的だろう。
    《参照》   『B層の研究』 適菜収 (講談社) 《前編》
             【選挙で利用されるB層】

 

 

【農協はいらない】
 日本は、民間会社に農業をやらせれば生産性は上がるだろう。・・・中略・・・。株式会社に農業を解禁する政策は何度も出たが、出てはいつも消えていく。つぶした元祖は自民党で、JA(農協)その他は票集めの手足だった。(p.149)
 人口減が確実な日本で、ありきたりな農産物の必要量は激減している。つまり、小回りの利かない農協の存在意義は既になくなっている。なくなっているどころか、人体に対する猛毒であることが分っているモンサントの農薬ラウンドアップを未だに販売し続けるという悪魔ぶりなのだから、まともな行政であったなら、とっくに強制解体しているはず。
    《参照》   『神国日本八つ裂きの超シナリオ』 菅沼光弘×飛鳥昭雄×ベンジャミン・フルフォード 《前編》
              【モンサントと住友化学】

 小規模農家だって農地を持て余しているのである。戦後の農地解放で10反百姓という、10反を上限とする小規模農家が量産された経緯があったけれど、このような小規模農家(大抵は兼業農家)にとっても、農地所有は実質的にお荷物以外の何物でもないのである。下記リンクのコメントに、チャンちゃんの水田耕作の事例を書いておいたけれど、この規模では、個人農業経営は100%成り立たない。
     《参照》   『日本のリアル』 養老孟司 (PHP新書) 《後編》
               【日本のコメ農家】

 田植え機と高額なコンバインを所有していない限り、10反の水田は一人でやるには広すぎる面積なので、農協に作業を委託すれば完璧ド派手に赤字である。つまり、農協は経営が成り立たない個人農業経営者の農地を食い物にし、さらにはJA共済契約書を偽造して掛け金をふんだり、裁判所と結託して訴訟を却下するという、堂々としたモラルゼロの悪徳経営で、収入を得ているのである。
 現在の経済環境下では、小規模農家&農協という紐帯システムは、完全に破綻しているどころか、消費者にとっても何等メリットをもたらさない。株式会社の農業参入は当然行われるべき。そのために必要なのが下記リンクである。
    《参照》   『トラ・トラ・ライオン!』 サミュエル・ライダー (マガジンハウス)
              【土地三法を廃止せよ!!!】

 チャンちゃんは、農地転用が可能であるならすぐにでも転用したいし、農業なんかに費やす時間があるなら、その時間を他のことに使いたいとマジに思っているから、農地の半分は耕作放棄地状態である。それほどまでに農地所有はお荷物(というより、ただの"穴の開いた財布")なのである。
 有機農業に興味があって始める人は以前から少なくないらしいけれど、実践した結果、経済的かつ体力的に厳しすぎることが分り、意気込んで始めた人でも数年で諦めて帰ってゆくのが実態らしい。今後、農地を借りたいという人がいても、農作業はこれだけ必要ですよ、収支はこうなりますよと、事前に説明すれば納得して、みんながみんな諦めるだろう。
 10反の土地に対しては、利益を生まなくてもいいから自給自足的に半農半Xに活用したいという意思のある3~4家族が共同で耕作するなら、まだしも現実的である。都市圏に住めなくなるような状況が明白になれば、そのような生活形態の集落が地方に多くできるだろうけれど、それ以外の農業生活は全く現実的ではない。

 

 

【歴史の変わり目】
 産業革命以降、250年続いた「大量に物を作って、貨幣でそれを買う」ということが主役の社会は、日本にとっては終わろうとしている。その歴史の変わり目に今、私たちが差し掛かっている、ということがわかれば、「デフレの正体」は自ずから分かるのである。(p.189)
 この本の初版である2010年は、チャンちゃんのプー太郎生活開始時期にほぼ重なるから、上記の記述は、納得至極である。
    《参照》   『日本と世界はこうなる』 日下公人 (WAC) 《中編》
              【近代が終わっても平気な大衆と近代に毒された人々】

 実家に住めば住宅費はない。他にローンがなければ、生活費は殆どかからない。プー太郎であれば住民税等は免除になる。セントラルヒーティングのような無駄なエネルギーシステムを採用するような超~愚か者でない限り、光熱費等の固定費はそれほど大きくはない。そして、固定費を親の年金で払ってもらっているチャンちゃんは、買いたい物などないから、プー太郎のまま極楽トンボな生活ができる。
 歴史の変わり目である今、チャンちゃんのようなタコというか極楽トンボ(日下さん流の表現で言うなら“風流”)な連中はいっぱいいるはずである。過渡期には必然的に現れる生活形態なのだから、何も恥じることはない。
 残念なのは、たっぷりある時間を、社会貢献のために使う方法がなかなか見つからないことくらいである。5年ほど前、山梨県甲斐市の保坂武市長に「給料はいらないから、市のために働かせてくれ」と直接頼んだけれど、なんだかんだ言いながら断られた。そんなに奇特な野郎に参加されては、たまに顔を出すだけで高額な給料を得ている市長をはじめとする職員全体が居ずらくなるからということだろう。ボーっとしているだけで脳と体に汗を流させて働く気のない地方行政の痴呆症は膏肓に入っている。
 話が横道に逸れたけれど、“歴史の変わり目”は、やはり“意識の変化”によって生ずるもの。日下公人さんのこの著作と同様な趣旨を語っている記事を、最後にリンクしておきます。
 山梨県北杜市をベースにして新しい時代を作るために常に行動し実践している滝沢泰平さんのブログ 天下泰平 で、先月の8月30日に紹介されていた記事です。

 


 

<了>