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 仕事論であるけれど、より本質的な生き方論でもある。小さな視野で「自分探し」に明け暮れている人が、この本を読んだら、ちょっとした衝撃を受けることだろう。著者の本には、この本に限らず、宗教家が書いているかのような、情熱というか使命感のようなものが満ちている。2003年10月初版。

 

 

【失われた「働く喜び」】
 なぜ、我々は「働く喜び」を失ってしまったのか。
 その理由は、おそらく、あの「寂しい言葉」にあるのでしょう。
「生き残り」
「勝ち残り」
「サバイバル」  (p.14)
 欧米発の経済学は、戦力発想で組み立てられているから、その用語の多くはダイレクトに軍事用語である。
 日本語の言霊における「働く」とは、「傍を楽にさせる」こと。だからそこに喜びがあった。しかし生き残れるか否か、勝つか負けるかという考え方では、いかんせん働く喜びなんて消えてしまう。
    《参照》   『何のために働くのか』 北尾吉孝  致知出版社
              【働くこと、仕事】
    《参照》   『枠を超える発想』 石井憲正 致知出版
              【働く】
    《参照》   日本の産業技術力について《後編》
              ◎ 金融技術に劣っている日本? その訳は? 日本の精神文化!? ◎

 

 

【見つめるべきは「目に見えない仕事の報酬」】
 さて、このように、「仕事の報酬」には、
「収入」や「地位」という「目に見える2つの報酬」と
「能力」「仕事」「成長」という「目に見えない3つの報酬」があります。
 しかし、それにもかかわらず、我々は、
 しばしば、「目に見える報酬」に目を奪われてしまいます。
 そして、「目に見えない報酬」を見失ってしまいます。
 しかし、もし、我々が
 失われた「働く喜び」を取り戻したいと思うならば、
 この「能力」「仕事」「成長」という報酬をこそ、
 見つめなければなりません。(p.38-38)
 今、お金に困っている人に「目に見えない報酬を見つめなさい」と言っても、「何を綺麗事言ってるんですか」と言われそうな気がする。しかし、著者は、根本的な意識の変革を要請しているのである。根本的な変革ということは、“急がば回れ”的な要請ということである。

 

 

【「目に見えない報酬」 : 「能力」「仕事」「成長」】
 その仕事を通じて何を学んだかを徹底的に反省するという習慣を持たなければ、
 せっかく一生懸命仕事をしても、あまり職業的能力を磨くことはできません。
 ・・・(中略)・・・ 
 「仕事の意義」を深く考えるという積極的な姿勢を持たなければ、
 日々の仕事から「働き甲斐」という報酬を得ることはできません。
 そして、「人間的成長」を遂げようと思うならば、
 誰からでも「謙虚に学ぶ」という姿勢を身に付けなければなりません。(p.42-43)
 これらを、仕事による「目に見えない報酬(働く喜び)」と捉えるのである。
 仕事を通じての「人生道場」的な視点である。
 個人的な向上と社会的な貢献に則した意識付けといえるだろう。
 「仕事の意義」に関しては、下記リンクにある教会を造っている石工の態度や、最澄の言葉が参考になる。
   《参照》   『未来を拓く君たちへ』 田坂広志 (KUMON)
             【人生の意味・仕事の意味】

 

 

【最近の若い世代】
 私はシンクタンクの仕事の傍ら、大学教授として学生に経営学を教えていますが、
 講義において、「企業の社会的責任」や「企業の社会貢献」の話をすると、
 多くの学生が、真剣に耳を傾けてくれます。(p.83)

 我々は、無意識に、
 「最近の若い世代は、自己中心的で、キャリアアップ志向だ」
 と固定観念で決めつける傾向がありますが、
 実は、それは正しくありません。(p.84)
 このような若者世代の特徴を解明するキーワードは「インディゴ、クリスタル、レインボー」である。
   《参照》   『宇宙の魔法』 Alice (ヒカルランド) 《後編》
             【宇宙チルドレンの意識と思考パターン】
 最近の若い世代のなかで、
 「仕事を通じて、いかに社会貢献や社会変革に取り組むか」
 ということを真剣に考えている人々は、決して少なくありません。
 ・・・(中略)・・・ 
 そして、それは決して、若い世代の人々だけの傾向ではありません。
 一方で、定年退職を、迎えるシニア世代の人々にも、同様の傾向があります。(p.85)

 

 

【営利企業と非営利組織の相互浸透化】
 すでに述べたように、いま、我が国においては、
「営利企業にも社会貢献が求められる時代となっている」
 という社会動向が生まれていますが、
 まさに、その逆の
「非営利組織にも事業性が求められる時代となっている」 (p.109)
 非営利組織が「事業性」を重視し出したのは、組織の「自立性」と「持続性」を図りたいという主体性の現れである。
 営利企業と非営利組織が、相互浸透化しているのである。
 「営利企業」は、「社会的責任」や「社会貢献」という姿勢を「非営利組織」から学び、
 「非営利組織」は、逆に、「効率性」や「事業性」という視点を「営利企業」から学び、
 互いに似た組織形態に向かっているのです。
 このような状況の中で、依然としてパラサイト意識しかないのが公務員や法人組織である。
 でも、まあ、公務員の中にも、一部ではあるけれど本気で国を憂えて真剣に考え行動している人々もいりにはいるけれど、ほぼ埋没している。時代意識を感受できないような旧タイプのトップだからである。

 

 

【21世紀の主流 : 社会企業家の必要性】
 おそらく、21世紀の主流になるのは、これまでのような、
「営利」対「非営利」や、
「利益追求」対「社会貢献」といった、
 硬直的な「二項対立」の視点による組織の捉え方ではありません。

 21世紀の主流となるのは、もっとしなやかな捉え方、例えば、

「企業や組織というものは、本来、社会に貢献するために存在する」
「社会貢献するためにこそ、事業を通じて適切な利益を上げていく」

 といった企業や組織のとらえ方となっていくでしょう。
 そして、いま、我々が、「社会企業家」としての歩みを始めるということは、
 実は、21世紀社会における、こうした企業や組織の進化の姿を、
 いち早く、一人ひとりの働き方のレベルで実現していくことに、他ならないのです。(p.112-113)
 「社会に貢献できる仕事がないから、働く気になれない」と言うのは、言い逃れであるという誹りを免れない。

 

 

【社会企業家を目指す人にとっての「警句」】
 臨床心理学の世界で、一つの警句が語られています。

「人間は、自分を癒すことができないと、目の前の世界を癒したくなる」

 この警句は、社会企業家をめざす我々が、一度、深く考えてみるべき警句です。
 我々は、自分自身の人間としての成長の課題から「逃避」するために、
 「社会貢献」や「社会変革」を語っているのではないか。
 その問いを、一度、自分自身の心に深く問うてみるべきでしょう。
 そして、「社会変革」を語る時、
 もう一つの警句を思い起こしてみるべきでしょう。

「自分を変えられない人間は、決して「社会」を変えられない。 (p.168)
 これは、男性脳に顕著に顕われる心理である。
   《参照》   『感じることば』 黒川伊保子 (筑摩書房)
             【少年と少女】

 この警句に鑑みて、「人間としての成長」が完了してから「社会変革」に取り組むべきである、とまで言うのは言い過ぎだと思う。「人間としての成長」がやや先行しつつ、「社会変革」と同時に進化してゆけばいいんじゃないだろうか。そうでないとチャンちゃんなんかはスタートラインにさえ立てない。

 

 

【社会企業家にとっての「強さ」】
 社会企業家にとっての「強さ」とは何か。

 生涯にわたって社会変革の歩みを続ける「志」です。

 それが、社会企業家の持つ最高の「強さ」なのです。
 なぜなら、その「志」を持つとき、
 社会企業家は、「2つの強さ」を身につけるからです。
 第一は、「失敗しても、かならず立ち上がる」という強さです。(p.198-199)

 第二は、「失敗を通じて、成長し続ける」という強さです。(p.200)
 ビジネス書を読めば、「失敗とは、成功する前に諦めてしまうこと」という記述が必ずといっていいほどある。101回目に成功が約束されていたとしても、100回目の失敗で諦めてしまったら、失敗である。こんな風に書くのは簡単だけど、やっている身はたいそう辛い。だから「志」が必要。

 

 

【社会企業家が歩む道】
 社会企業家は、
「野心」の道ではなく、「志」の道をこそ歩まねばなりません。
 己一代で何かを成し遂げようと願望するのではなく、
 己一代では成し遂げ得ぬほどの素晴らしき何かを求め、
 仲間と心を一つにして、その実現のために力を尽くし、
 それでも成し遂げ得ぬ何かを、祈りを込めて次の世代に託す。
 そうした歩みをこそ、すべきなのです。(p.210-211)
 己の肉体が朽ちても、社会は永続する。社会の方が遥かに長命である。
 故に、社会企業家は、次の世代に託すような「志」の道をこそ歩まなければならない。
 神の時間は悠久である。

 

 

 

  田坂広志著の読書記録

     『未来を拓く君たちへ』

     『未来の見える階段』

     『これから働き方はどう変わるのか』

     『複雑系の経営』

     『創発型ミドルの時代』

     『なぜ、働くのか』

 

 

 
<了>