
この本のインパクトは強い。江戸時代に生きていた日本人たちが備えていた身体意識(ジンブレイド)は、あらゆる領域において達人を生み出しやすい意識環境になっていたとする著者の考えは、本質的な日本人論の要になっている。
著者は、最上級のスピリッチュアリストが有するのと同じ身体能力を持っているのが分かる。故に、この本の奥の深さは、活字に表現できないところに所在するのであるけれど、いろんな側面から理解できるように表現してくれている。
著者は、最上級のスピリッチュアリストが有するのと同じ身体能力を持っているのが分かる。故に、この本の奥の深さは、活字に表現できないところに所在するのであるけれど、いろんな側面から理解できるように表現してくれている。
この本には、カタカナ英語がキーワードとして繰り返しでてくるので、最初にきちんと日本語に置き換えて理解しておくことが大切である。
ジンブレイド : 身体意識
スティフルクラム (stiff fulcrum) : 固定支点
フリーフルクラム (free fulcrum) : 可動支点
ジンブレイド : 身体意識
スティフルクラム (stiff fulcrum) : 固定支点
フリーフルクラム (free fulcrum) : 可動支点
【野球のイチローと将棋の羽生】
日本発祥のアニメで既に世界語となっている “ビミョウ” という単語は、場面によりけりで一意に特定できないというファジーなユラギを持っている。このような、日本文化に偏在するファジーなユラギは、科学技術という面から見ても、その有用性は既に十分認識されているのである。
著者は、それを社会的な実践活動にまで拡散させようとしている。
最近の新聞から一つ彼(羽生善治)が語った言葉を拾うと「自分から動ける戦法でないと、これからは苦しいでしょう。動けないと、相手に十分に組ませてしまう。自分が動く余地のあることで、そうさせないのです。」
正にスティフルクラムを超えた、フリーフルクラムから発する典型的な思考、そして発言である。正確に構えているのに常に固くなく、フレキシブルでファジーなユラギを持った野球のイチローの “構え” と、驚くほど共通したファジーなユラギを持った “戦法” が語られているのである。 (p.71)
ファジー(曖昧)なユラギ、という言葉は、科学の世界では、案外よく用いられている言葉である。自然界を解析してみると、「ファジーなユラギのない自然世界などない」 と言い切って差し支えない。正にスティフルクラムを超えた、フリーフルクラムから発する典型的な思考、そして発言である。正確に構えているのに常に固くなく、フレキシブルでファジーなユラギを持った野球のイチローの “構え” と、驚くほど共通したファジーなユラギを持った “戦法” が語られているのである。 (p.71)
日本発祥のアニメで既に世界語となっている “ビミョウ” という単語は、場面によりけりで一意に特定できないというファジーなユラギを持っている。このような、日本文化に偏在するファジーなユラギは、科学技術という面から見ても、その有用性は既に十分認識されているのである。
著者は、それを社会的な実践活動にまで拡散させようとしている。
社会人類規模の現象の、最根底をなすシステムが、もしかするとイチローのバッティングや羽生の将棋を支えるシステムと同じであるという可能性は、私の研究と社会的な実践活動に、今後大きな影響をもたらすことになるだろう。 (p.82)
これは、日本文化ルネッサンスというに相応しいことなのではないだろうか。
【大相撲:退化の歴史】
現在の相撲は、量としての力勝負なので、「鍛錬」までせず、「鍛」で争っている。
昔の相撲は、「鍛錬」までしたので、「力の鍛」の先、つまり技術水準の異なる「繊細さの錬」の領域で勝負をしていたのだろう。
現代の相撲は実に単純な力と力のぶつかり合い、頑張り合いに終始しているのです。体が大きく筋力ばかりが強い力士が闊歩するのは、こうした広い意味での筋出力を封ずるシステム(封力システム)が乏しいからです。 (p.89)
千代の富士のスピードや集中力も、初代の若乃花や栃錦のレベルの力士には通用しがたいと考えるべきでしょう。
それはどうしてですか?
それは初代若乃花や栃錦クラスの力士になると、千代の富士のような単純なスピードと集中力を封じてしまうほどの、複雑で精緻なコントロール能力を伴ったスピードと集中力を持っていたからです。 (p.91)
もっと時代を遡るとこうなる。69連勝したという力士・双葉山について書いている。
千代の富士のスピードや集中力も、初代の若乃花や栃錦のレベルの力士には通用しがたいと考えるべきでしょう。
それはどうしてですか?
それは初代若乃花や栃錦クラスの力士になると、千代の富士のような単純なスピードと集中力を封じてしまうほどの、複雑で精緻なコントロール能力を伴ったスピードと集中力を持っていたからです。 (p.91)
双葉山の前では、栃若も赤子みたいなものでしょう。あの大鵬ですら子供扱いされると考えてよいでしょう。 (p.99)
実は、明治時代には双葉山を遥かに超える力士が存在したのです。その名を、常陸山といいます。当時常陸山は勿論最強の力士でしたが、双葉山程度の力士は何人もいたと推測されています。 (p.107)
著者ご自身も、凡人をはるかに超えた身体能力の秀でた方(いわゆる超能力者)なのであるけれど、東京大学の教授らしく、力士の写真から、身体構造を解析し、強さの原因を説明している。
実は、明治時代には双葉山を遥かに超える力士が存在したのです。その名を、常陸山といいます。当時常陸山は勿論最強の力士でしたが、双葉山程度の力士は何人もいたと推測されています。 (p.107)
現代の若い人達、そして身体運動の専門的研究者であるスポーツ科学者達のほとんどは、昔の相撲が現代の相撲にかなうわけがないと思っています。・・・(中略)・・・。
ところがこの考えには、実に決定的な誤りがあるのです。それが、技術水準が同じという前提にあることは、もうお分かりでしょう。 (p.93)
「技術水準」 が違うということは、「鍛」と「錬」の違いといえるのではないだろうか。ところがこの考えには、実に決定的な誤りがあるのです。それが、技術水準が同じという前提にあることは、もうお分かりでしょう。 (p.93)
現在の相撲は、量としての力勝負なので、「鍛錬」までせず、「鍛」で争っている。
昔の相撲は、「鍛錬」までしたので、「力の鍛」の先、つまり技術水準の異なる「繊細さの錬」の領域で勝負をしていたのだろう。
【鍛錬】
相撲が退化してきた現代の名横綱・千代の富士の愛弟子、千代大海は、出足の威力で相手を制する「鍛」のトレーニングにばかり終始してしまったので、さっぱり泣かず飛ばずである。
短距離スケートの金メダリスト清水選手やゴルフのバレステロス選手は、筋力トレーニング=「鍛」にばかり励んで「錬」= 繊細さ、を失ったがために、世界のトップから完全に滑り落ちてしまったのではなかろうか。
著者は以下のようにも書いている。
相撲が退化してきた現代の名横綱・千代の富士の愛弟子、千代大海は、出足の威力で相手を制する「鍛」のトレーニングにばかり終始してしまったので、さっぱり泣かず飛ばずである。
短距離スケートの金メダリスト清水選手やゴルフのバレステロス選手は、筋力トレーニング=「鍛」にばかり励んで「錬」= 繊細さ、を失ったがために、世界のトップから完全に滑り落ちてしまったのではなかろうか。
著者は以下のようにも書いている。
【現代の日本人は、江戸時代の日本人より退化している】
相撲が日本文化を代表するものであるとすれば、つまりはこのことは日本文化全体が江戸時代以降、退化し続けていることを意味することになるわけですね。
その通りです。・・・(中略)・・・。具体的なパフォーマンスレベルの低下として現れています。
こうした退化は、武術、能、茶、書、日本画に始まり各種の工芸、民芸に到るまで、ほとんどの伝統文化に観察することが出来ます。(p.108)
江戸時代以前の日本人のジンブレイド(身体意識)が優れていたことは、武蔵が描かれた絵や、浮世絵に描かれた人物たちの奇妙な体のねじれに現れていると、著者は書いている。
その通りです。・・・(中略)・・・。具体的なパフォーマンスレベルの低下として現れています。
こうした退化は、武術、能、茶、書、日本画に始まり各種の工芸、民芸に到るまで、ほとんどの伝統文化に観察することが出来ます。(p.108)
我々日本人の、日本人全体のレベルが下がってきたということを、意味しているわけですか。
その通りです。・・・(中略)・・・。一つの文化種目をうまくなろう、それに上達しよう、その道を物にしようと思い立ったとき、今の日本人は過去の日本人に比べて “その道を物にする能力” が低下している、ということなのです。 (p.113)
その通りです。・・・(中略)・・・。一つの文化種目をうまくなろう、それに上達しよう、その道を物にしようと思い立ったとき、今の日本人は過去の日本人に比べて “その道を物にする能力” が低下している、ということなのです。 (p.113)
【日本語に隠された秘密】
身体意識に秀でていたかつての日本人たちは、当然のことながら身体にまつわる多様な言語表現を持っていた。これは際立った日本人と日本語の特性である。
身にしみる など、「身」を用いた表現は 54例 (p.151-153)
目が合う など、「目」を用いた表現は146例 (p.165-169)
腰が入る など、「腰」を用いた表現は 34例 (p.173-174)
骨身にしみる など、「骨」を用いた表現は、10例 (p.191-192)
身体意識に秀でていたかつての日本人たちは、当然のことながら身体にまつわる多様な言語表現を持っていた。これは際立った日本人と日本語の特性である。
身にしみる など、「身」を用いた表現は 54例 (p.151-153)
目が合う など、「目」を用いた表現は146例 (p.165-169)
腰が入る など、「腰」を用いた表現は 34例 (p.173-174)
骨身にしみる など、「骨」を用いた表現は、10例 (p.191-192)
も記述されている。
これらの身体表現の意味を中国語や英語に翻訳すれば、ほとんど身体の単語は入らなくなってしまう。
つまり、日本語を用いていた日本人は、ジンブレイド(身体意識)が抜きん出て強い珍しい民族だったということになる。
これらの身体表現の意味を中国語や英語に翻訳すれば、ほとんど身体の単語は入らなくなってしまう。
つまり、日本語を用いていた日本人は、ジンブレイド(身体意識)が抜きん出て強い珍しい民族だったということになる。
かつて日本には 「その文化は独自にして世界最高水準にある」 という時代があり、これを支えた最高水準の 「身体意識」 に溢れた時代があったと、私は考えてきました。
そしてこの 「身体意識」 の高さと豊かさをはぐくんだ大きな秘密が、日本語の 「身言葉」 を中心に形成された 「身体意識強化システム」 に隠されていることが、分かってきたのです。 (p.194)
著者は武道もスキーも超上級者の腕前を持っているそうであるが、かつてはスキーなどしなかったという。
そしてこの 「身体意識」 の高さと豊かさをはぐくんだ大きな秘密が、日本語の 「身言葉」 を中心に形成された 「身体意識強化システム」 に隠されていることが、分かってきたのです。 (p.194)
今では、武道も益々真剣に、そしてスキーも「身を入れて」楽しんでいます。(p.228)
【お株を奪われている日本人選手たち:スピード・スケート】
江戸時代に生きていた日本人たちが熟達していたジンブレイドが、今日では日本人選手に忘れ去られ、外国人選手によって実施されているのだという。その例として、スピードスケートの橋本聖子とボニー・ブレアが比較されている。二人は年齢が同じで、同じようにデビューして将来を期待されていた。
江戸時代に生きていた日本人たちが熟達していたジンブレイドが、今日では日本人選手に忘れ去られ、外国人選手によって実施されているのだという。その例として、スピードスケートの橋本聖子とボニー・ブレアが比較されている。二人は年齢が同じで、同じようにデビューして将来を期待されていた。
「身体意識の構造変革」に成功し「ジンブレイド」に到達したボニー・ブレアは三度のオリンピックで5個の金メダルを取り続け、相変わらずの遅れた「身体意識」の橋本聖子選手はたったの一度かろうじて銅メダルを取るだけで終わってしまったと・・・・結果は大変な違いとなって現れてしまったわけです。 (p.203)
【お株を奪われている日本人選手たち:スキー大回転】
男子大回転・スーパー大回転の2種目で金メダルを取ったドイツのバスマイヤー選手は、かなりの「ジンブレイド」が使えていました。
バスマイヤーは、滑り終わって優勝のインタビューで「今日は雪が柔らかかったので優しく滑った」と言ったそうですね。一方敗れた日本の代表選手は「雪が硬くて硬くて、エッジが飛ばされてしまった」という感想をもらしたそうです。(p.224-225)
バスマイヤーは、滑り終わって優勝のインタビューで「今日は雪が柔らかかったので優しく滑った」と言ったそうですね。一方敗れた日本の代表選手は「雪が硬くて硬くて、エッジが飛ばされてしまった」という感想をもらしたそうです。(p.224-225)
【お家芸復活は容易なはず】
[著者] 欧米のトップ選手も、いまだこうしたディレクター群をすべて揃え、完全なディレクト・システムを構築しているわけではありませんが、流れは確実にその方向に向かっているのです。
[編者] しかし、日本の選手の方が自覚してディレクト・システムを徹底的に鍛えたら・・・。
[著者] 歴史は覆るでしょう。
[編者] 日本人の祖先は、先生のお話によれば 「ジンブレイド」 を駆使して生きていたわけですから・・・。しかし、宮本武蔵の神技とリレハンメルのバスマイヤーの金メダルの滑りとあの浮世絵の美しさが同じ原理で成り立っているというのは、なんて人間というのは不思議な存在なのでしょうか・・・・・。 (p.227)
[編者] しかし、日本の選手の方が自覚してディレクト・システムを徹底的に鍛えたら・・・。
[著者] 歴史は覆るでしょう。
[編者] 日本人の祖先は、先生のお話によれば 「ジンブレイド」 を駆使して生きていたわけですから・・・。しかし、宮本武蔵の神技とリレハンメルのバスマイヤーの金メダルの滑りとあの浮世絵の美しさが同じ原理で成り立っているというのは、なんて人間というのは不思議な存在なのでしょうか・・・・・。 (p.227)