精神科医的発想とその治療方針について | kyupinの日記 気が向けば更新

精神科医的発想とその治療方針について

読者のkyさんから、引き続き長嶺氏の本についてコメントを求められている。

このブログは個人的なブログであり、特定の人とのQ&Aの場ではないし、いつかも、このブログは「気が向けば更新」でやっているので、そのような質問は控えてほしいというようなことをかつて書いたことがある。

こういうことを書くと、いや、ここではこんな処方があったとかいろいろ挙がってきそうだが、このブログのコメント欄でそういう議論は控えてほしい。ここは僕の個人的なブログであり、そういう世の中の多剤大量処方を糾弾するようなサイトではないから。よくブログのタイトルを見てほしい。「気が向けば更新」とある。あんた毎日更新しているじゃん、と言われそうだが、これは自分の好きな内容を誰かに命じられたわけでもなく書いているから。そこが仕事とは大きく異なるところだ。

こういう内容であれこれ議論していると、やはり色々な人たちがいて、彼らを呼び込み、ブログが荒れるのが嫌なのである。

kyさんは多剤併用の被害を受けたということで、精神科医に文句を言いたい気持ちは理解できるが、苦情を言う相手を間違えている。彼が受けていたかつての治療と僕のこのブログは直接、関係がない。僕は決して多剤大量処方を推奨してはいないからだ。彼は過去ログも十分に読んでいないように思われるので、ぜひ1回、全体を通してこのブログを読んでほしいと思う。そうすれば僕が多剤併用についてどのように考えているか、あるいは難しい人たちの治療についてどのように行っているかがわかると思う。まずそれをしてもらわないと、いろいろ僕がレスをしても話もかみ合わないしキリがない。

今回だけ、kyさんの質問に対し一通りのレスをすることにした。今後はこのブログをすべて読むまでこの手の「物言い」は控えてほしい。なぜなら、僕が書きたいエントリが全然書けないからだ。僕の個人的なブログなのに、これはちょっとおかしな話なのである。本当はあの日はノラネコのブログの日だったのに。

しかし、下記に書きましたが、私の主治医のように何も知らない医者も本当にいるのです。

僕はあまり知識がない精神科医もいることを過去ログで指摘している(参考)。心療内科の標榜はしようと思えば容易にできるからだ。また多剤併用のこれはちょっとと思えるような処方が全然ないとは言っていない。これまでのブログのエントリにも、多剤大量を僕なりに多剤少量?にしていったプロセスなどを紹介している。

日本人は西洋人に比べ向精神薬の忍容性が低く、その副作用軽減のため向精神薬以外の薬、例えば胃腸薬、便秘薬、口渇のための薬、起立性低血圧の薬、抗パーキンソン薬などの併用が多くなり滅茶苦茶な処方に見えやすい面はある。(参考)まして、他科のドクターには尚更そう見えるだろう。実際、向精神薬以外はわりあい必要だから入っているケースが多い。これは幻覚妄想軽減のため、あるいは酷い躁病やうつ状態のため、主剤となる抗精神病薬や気分安定化薬をどうしても処方せざるを得ないという前提がある。そのことに他科のドクターは気付いていないか、あるいは軽視していると思う。長嶺氏の本などはその最たるものだ。

デパケンR」から
なぜこのようなことに悩むかと言えば、こんな副作用の面倒を見始めると併用薬が増えるばかりだからだ。副作用の面倒を見始めて多剤併用になるのは、従来の精神科薬物治療の最も大きな欠点と思っているからである。僕はその上昇の程度、その人の治療環境(入院か外来か)、仕事の内容(外で炎天下働いているとか)に応じて柔軟に決めている。

まあ、こういう風に書くと、抗精神病薬の併用のことに触れていないので焦点をぼかしていると思われるかもしれない。元々、抗精神病薬は単剤で処方するのが理想だが、そうもいかない人たちも多いのである。非定型抗精神病薬単剤少量と言っているが、これらの薬物はそれぞれに個性が強く、万人に合うわけでもなく、かえって病状が悪化するケースも多い。古いタイプの薬はEPSは多いが、それほどでもない薬もあるし、かえって安定することもしばしば見られる。僕はわりあい新しい薬にこだわらず、これらを使うタイプの精神科医である。これは過去ログにもある。(参考

一般の処方では、はっきり変な処方も見られるが、それはたぶんその精神科医のセンスが悪いと思う。ある症状があって、どれを重視して対応するかは考え方の相違があるし、例えば、統合失調症に対するうつ状態にしても抵抗なく抗うつ剤を併用する人とそうでない人がいる。リスパダールは安定している薬物に見えて実はそうでなく、その特性から長期的に多剤併用になりかねないのは過去ログでも触れている(参考)。リスパダールに関しては他の抗精神病薬との併用療法に価値が見出せるという個人的意見も書いているので参照してほしい。

また、変な病院に行ってまずい治療をされるケースは精神科以外の科だってあるし、歯科なんかももちろんそうだ。一部の酷さを見て、すべてそうだと言う論調がおかしい。それはマスコミもそうだ。マスコミは2ch的にはマスゴミなどと揶揄されているが、変に歪曲して報道し視聴率を上げたり、購読者を増やす手法は昔からある。

このような論調やマスコミの悪い点は、そういうものの見方が精神科治療や精神科に受診する患者さんへの偏見を生み、精神科に受診すべき人たちが精神科治療を避けたり、あるいは治療が継続されないという弊害を招くことだ。あるいは、無理に薬を止めるような原因になっていることもある(参考)。つまりコンプライアンス、アドヒアランスに影響するのである。うちの県のある救急外来で、自殺未遂で受診した人について過去に精神科受診歴があったかどうかを調査したところ、驚愕するほど受診率が低かったという結果が出たという。かように精神科にはまだ敷居の高さがある。マスコミがああいう風では、いつまで経っても精神医療のスティグマが取り払われないし、開かれた医療になっていかないと思う。

参考
素人の診療内科クリニック
セカンドオピニオン
いったん混沌とさせる減量の方法
デパケンR
アルプスの少女ハイジ
リスパダールvsジプレキサ
ポールヤンセンとプロピタン
精神疾患と服薬

3剤の多剤(2004年1月)で、CP換算値1950mg(合ってるかな)、すごい量ですね(実際はそうでもないか)。標準は800mgですよね。現在は、QOL向上されているのでしょうか。以前にも伺っていると思いますがCP値4000~5000mgを処方する、多くの精神科医の存在については、いかが思われますか。

こういう質問についてもしっかり過去ログを読んでほしいと思うよ。うちの病院の統合失調症の患者さんの平均CP換算は625mgなのである(参考)。病状の悪い人はいろいろな考慮の後、高いケースもある。上で挙げた「座敷牢」の人のような処方は僕には特別であることを言いたい。なおこの患者さんのその後の経過は書きたくなかったのであるが、書かないと何か隠しているように思われるのが嫌なので、その後の消息に触れておきたい。彼女はその後、ある癌のために今年になり亡くなっている。享年70数歳だったが、あのような壮絶な人生だったわりには長生きされたのではないかと思う。多剤併用だったとはいえ、寿命がとりわけ短くなったとは言えない。まさか、多剤併用により癌になったと思うとしたら、それはたぶん間違っている(参考)。彼女を多剤併用にしても隔離室に入れたくなかったのは、彼女が15年以上も座敷牢に入れられていたというのもある。その気持ちは、精神科医でないとわからないだろう。(長嶺氏には到底無理。隔離室症候群などと擬える感性を見ても。)

総CP換算値
座敷牢

このブログの特徴は、非定型精神病薬やSSRIのような新しい向精神薬だけでなく、古いタイプの抗精神薬や漢方薬、バッチフラワーやエゾウコギなどの代替療法による治療経験について取り上げていることだ。やや治療が難しいように見える患者さんも、治療法を工夫すれば現在よりずっと良くなる可能性があることをメッセージとして伝えているのである。

他、特殊なものはECTのエントリであろう。ECTは精神科でもエビデンスのある治療法として認められているのに、一部の人々のゲッペルス的宣伝により、その有用性が誤解されている。このブログではECTにより劇的に改善した患者さんも紹介している。

例えば、「アトピーによる精神病状態」の患者さんの治療は、結果的にECTによる治療になったが、僕の心の中にずっと残り、今でも色々な場面が僕の脳に焼き付いている。あれは誰かに忘れろと言われても、それは無理な話だ。なぜなら、僕はたくさんの人たちを平行して診ているが、あのような不思議な経過を辿った人はなかなかいないし、またあのように劇的な結末になった人も滅多にいないこともある。彼女を治療した2年間は僕の人生から見ても決して短い期間ではなく、僕の人生の1ページでもあるのである。

参考
アトピーによる精神病状態
どのようないきさつで医学を志したか

私は序文で、患者さんのQOLを考えた治療を「カメの治療」と名づけ、「ゴールはQOLです。カメの治療をしましょう」と呼びかけました。全人的存在である患者さんのQOLを考えるには学問の壁はじゃまなだけです。心を意識しない議論をしてもだめですし、科学のない議論をしてもだめです。学問の壁を取り払い、脳科学的と症状を常に考える治療をしたいものです。

これは元々彼の言うQOLの意味について触れるために引用したのであるが、「カメの治療」について意見を求められている。実際、カメの治療についても僕なりの意見がある。

この「カメの治療」と言う言葉は、リアルな精神医療をする立場からするときれいごと過ぎると思う。あくまで、一般精神科の患者さん向けの言葉のように見える。必ずしも現実的な言葉ではないし、むしろ弊害もある。まず上にも書いたように、非定型の少量だけでうまく治療できる人ばかりではないということが1つ。他、これはとても重要な点であるが読者の大吉さんも書いているように、時間をかける治療が必ずしも優れているとは言えないこともある。過去ログにも「こういうのは時間がかかってしまうと予後が悪くなる」と言ったことを書いている。一気に幻聴や妄想を消退させてしまわないと、そういう異常体験が残遺し、いつまでも患者さんが苦しむような経過になりかねない。

3人目の女性患者」から
当時、既に幻聴、被害妄想は軽く2ヶ月を超えており、一刻の猶予もできないと思った。しかし、万策尽きかけていて、今後の見通しも立たない状況である。実は当時、発売前にエビリファイも処方している。これはもともと非常に親しい友人の治療のために特別に取り寄せたものだ。あまりにも打つ手がないので、この子にも処方してみたが、吐き気が酷すぎて続かなかった。本人も幻聴で大変だろうが、こちらも大変なのである。だいたい、この子以外にもたくさんの外来や入院患者を治療していかねばならないから。4月末頃は僕も精神的に追い詰められていた。ある時、ひょっとしたら、プロピタンの最高量かそれ以上を使えば幻覚妄想に効くかもしれないと思い始めた。

急速交代型」から
なんと、その女の子は躁状態では幻聴も激しかったのである。普通、幻聴と言えば、統合失調症と思う人が多いだろうが、激しい躁状態では幻聴が出現することもある。当初1ヶ月は治療に難渋した。まず躁状態を抑えることが大切だが、それと同じくらいの決意で幻聴を止めなくてはならない。こういうのは時間がかかるとダメなのだ。1ヶ月ほどで、女子の慢性期病棟(療養病棟)閉鎖に移動できるほどになったが、まだ症状は落ち着いておらず退院には程遠い状態だった。

素人の診療内科クリニック」から
何の病気でもそうなのだが、初期の対応が非常に重要だと思う。僕はあの年齢であそこまで重い患者さんを久しぶりに診た。かわいい感じのお嬢さんであり、もしきちんと治療を受けていたなら、今の病状はかなり違っていたと確信する。中途半端な対応で、おそらく止まるはずの幻聴を残してしまったのが、機能的な予後を悪くしたと思う。いろいろやって幻聴がどうしても止まらないのならまだしも、放っておいて止まらないのは話にならない。しかし、若い時期から幻聴がいつまでも続いていたから、現在のある意味、幻覚との共存状態になったことも言える。社会への適応力が良いのはそんな経緯もあるだろうと思う。それは、彼女にとって、良くなかったことには変わりはない。

これは考え方の相違ではあるが、精神科治療の技術や治療方針にも大きく関係している。「カメの治療」は気持ちはわからないではないが、治療目標が低すぎると思う。つまり、カメの治療は「どうせたいして良くならない」という気持ちが言外にあり、治療のこころざしが低いように僕には思えるのだ。良くなっていないからこそ、そういう話が出てくる。現在、治癒か寛解状態であれば、そういう議論にならない。

僕は逆に「ウサギの治療」とは言えないが、僕なりに最大限に急いでいる。それは僕の処方変更の多さを見てもわかる。僕は使い始めてすぐでも、しかも多剤併用されていても、自分の患者さんなら、その人に合うか合わないかわりあいわかるのである(参考)。だから、合わない薬を漫然と長く使うことはほとんどないし、人より早く対応していると思う。合うのか合わないのか微妙な場合、あるいは代替の薬がなさそうな時は、結果的にあまりフィットしていない薬を使っていたことはある。

僕は精神科の治療はウサギとカメの治療うんぬんではないと思っている。基本的に表面的なこと(つまり少量治療)にこだわり、本質的な事がないがしろにされている。いくら少量だったとしても、幻聴が止まっていなければ意味がない。(注;僕は薬を減量したためにかえって精神症状が改善したことも過去ログで触れている>>参考

例えば、上の「素人の診療内科クリニック」で出てくる若い女性患者さんの場合、一時的に大量処方でもすべきあったと思われる。もしそうすれば、幻聴が残遺せず、現在もリスパダールのそこそこ多い量を服用しなくても良かったかもしれない。これは結果論であり、真実はわからないものであるが、僕は彼女のように若く、しかも重い統合失調症の患者さんはあまり診たことがないので、この考え方が正しい確率は高いと思う。

同じ精神科治療でも精神科医によって考え方は多様なのである。僕は精神科治療は結果が重要であって、その過程がどうであれ、良くなって本人や家族に喜んでもらえれば良いといった感じだ。だから今回のようなエントリも、kyさんが質問しなかったら、他の人たちの治療法はそこまで興味はないので、たぶん、この書物についてもこのような文脈ではエントリとして取り上げなかったと思う。

(これで長嶺氏の本の話はおわりです)