忘れられない光景 | kyupinの日記 気が向けば更新

忘れられない光景

霊感への憂鬱」の続きである。

これは昨夏の話だ。当時、あまりにも暑いので体調を崩す人が続出しているという話を書いたことがある(参考)。もちろん僕の治療中の友人も同様であった。なんとなくぱっとしない状態が続いていたのだが、その日までは切迫したものではなかった(参考1参考2参考3)。当時、彼女には3日ごとに来てもらっていた。たぶん水曜日だったと思う。

その日の朝、僕は目覚めたとき、なんだこれは?と思った。ただの夏バテとはいえない様な倦怠感があったのである。体調がおかしいと思いつつ診察をしていた。水曜日は外来担当ではないが、彼女には特別に水曜日に来てもらっていた。

その日の診察では、彼女はプラダの定価8万円ほどのバッグをインターネットで買った話をしていた。セールで6万で買えたのだという。よくもまあ、現物を見ないで買うものだと思ったが、彼女はお金は持っているので、それを買ったとしても誤差みたいなものだ。精神症状は良くもないが、そう悪くもないといったところだった。

その夜のことだ。僕は家でテレビを見ていたのだが、なんとなく悪い予感がした。どうも彼女の状態が悪いのではないかと思ったのである。彼女のマンションに電話をかけてみると、なかなか出てこない。まだ寝ている時間ではないし、もう少し長く鳴らしていたら、やっと出てきた。

ところが、彼女は受話器を持ったまま、全く喋ることすらできないのである。すすり泣きも微かに聞こえるので、これはすぐに駆けつけないといけないと思った。僕はしかし彼女のマンションに直接は行かなかった。病院と彼女の家はとても近いので、まず病院に行きトロペロンとアキネトンを1アンプルずつと注射器セットを持ち彼女のマンションに向かった。

これはとても直感的なものなのだが、セレネースではなく、トロペロンでないといけないと思った。その時は漠然としていたが、トロペロンこそ、その局面ではベストの処置であることが後に謎が解けてきたのである。

彼女のマンションに着き、部屋の中に入った時、異様な光景を見た。部屋に入った瞬間、そこには悪い「気」が充満していると思った。重圧みたいなものが漂っていて、息苦しいほどなのである。

彼女は亜昏迷状態に陥り首を吊ろうとしていたのだが、適当なロープか紐みたいなものがないため、うろうろと部屋の中を歩き回っている状態だった。あまりに表情が硬く緊張病症候群を呈していてうまく会話もできない。本人に問いかけると、ハンカチやタオルにある模様が「死ね、死ね、死ね・・」と延々と書かかれていると言う。この症状は「パレイドリア」と呼ばれるものの亜型だと思った。器質的色彩が強い症状であるが、この瞬間においては彼女の希死念慮の原因になっていた。

(何が悲しゅうて、)
プラダのバッグも届かんうちに死なんといかんの? 今日、インターネットで買ったと言っていたじゃん。


昼の話を思い出して僕は彼女に言った。まあ自殺には日常生活の合理性がないことも多い。この時に言っても無駄な話ではあった。ともかく、急いでトロペロンとアキネトンを筋注した。僕は効果が出てくるまでしばらく待っていることにした。今のままだと心配で帰られない。

マンションの中をみると、非常にきれいに片付けられており掃除が行き届いていた。後で聞いたのだが、掃除は好きでよくしているのだという。彼女はわりと几帳面なのだ。B型にしては。

30分くらいで疎通性が急回復し、ずいぶんとはっきりしてきた。やがて普通に話ができるようになった。トロペロンで希死念慮の発作と器質性の幻覚が一気に吹き飛んだのである。彼女の苦痛がなくなってくると、「今日は具合が悪かったのにすいません」と彼女は言った。その時、一瞬、ピンと来なかったのである。そういえば、僕は診察中どうも今日は体調が悪いようなことを彼女に話していたのを思い出した。そのことを気遣ってくれたのである。

その日の流れがようやくわかってきた。今朝、こうなることを僕の体は予期していたのである。ただ、その日の診察時の彼女の病状がそこまで悪くなかったので、繋がりがわからなかった。結局は寸前で止めたので良かったのだが。

彼女によれば、ここ数週間エゾウコギとバッチフラワーを止めていたのだという。それにしても彼女は苦労をかけるが、僕のスキルアップには相当に貢献してくれる。

僕はテーブルの横の椅子に座り、トロペロンがなぜ希死念慮をここまで改善させたのか考えていた。

(続く)

参考
霊感と生物学的変化の謎
患者さんの死と霊感
霊感への憂鬱
忘れられない光景
希死念慮という物質とトロペロンの謎
霊感への畏怖について(番外編)