私ができるまで⑦〜社会人時代 その1 | 春はあけぼの 女は美学

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50過ぎた女が感じたこと、考えたことを書いてます

こんにちは。渡邊美帆子です。



アラフィフオンナが、
感じるままに綴るブログです。

 

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このところ、
自分の過去を思い出すことも多く
幼少期からの自分の過去を綴ってみようかと
思い立ち。
 
金曜日のブログは、
「私ができるまで」として
自分の中での振り返りとしてみようと思う。


 
前回は、大学生の頃のお話でしたね。

社会に出ても特別やりたいこともなく
ふんわりのお嬢様学校で、
周りの人は殆どが親のコネで大企業に決まる。

私は就職活動もほとんどせずに
親のコネでいくつか試験を受けて
とりあえずとあるコンピューター会社の
販売店に就職した。
会社に入ったら
なんか手に職つけられるかしらと、
甘い考えで、入った部署は
システム開発本部。


なんせ、30年前である。
ビジネスコンピューターという、
大きな本体があり
そこと繋がった端末からプログラムを作っていく。
マウスもまだなかった。

だいたい、プログラムなんてやったことがない
そもそもコンピューターなんて全く知らない、
ワープロだったらちょっと知っている、ぐらいの
知識とも呼べないもの。

そうそう、昔はワープロ専用機があったのだ。
ビジネスコンピューターとパソコンは全く別のものだった。



一から学ぶのは本当に大変だった。
まず、コンピューターの概念すらない。


ただ、
コンピューターのプログラミングというのは、

もしもこうなったらこうなる
もしもこうなったらこの道をいく
もしもこうならなかったらこの道をいく
という、
いかに物事を
的確に論理的に正確に考えることができるのか
という世界であることに気づいた。


論文と似たような、
思考する時と似たような、
文章を筋道立てて書く時と似たような。
卒論を指導してくださった先生に、
あの時は本当に感謝した。



だが、時はバブル。
こなせないほどの仕事があり
仕事が慣れてきた2年目から、
帰るのは11時。
土曜日も出勤は当たり前。

日曜日は泥のように寝る。

一年目は遊んでいた私も
バブルというのに遊ぶ時間などなかった。
たまに飲みに行くのは
お客様の接待。
疲れ果てていた。

顔に覇気が無い笑。端末が大きい!昔はブラウン管だったからね。そもそも、この制服も古い笑笑


この頃から、
自分が学んだ知識や
教育実習で培った「人に教えること」を生かして
ショールームでコンパニオン兼インストラクター
として、働きたいと願うようになっていた。

しかし、
異動の希望は上司にもみ消されていた。


ありがたいことに、
ショールームの先輩達と
仲良くさせていただいていて、
ぜひ私に異動してきてもらいたいと
思ってくださっていたので、
先輩達が自分の部署の上司に掛け合い、
なんとそこから人事に話が入ったらしい。

常識を逸脱した正規のやり方ではないと、
私の上司は大激怒し、
しかも、
「資格も持っていないくせに、
異動なんてできるはずがない!」と怒鳴られた。

ショールームコンパニオンと
インストラクターの資格?


はい。
わかりました。
では、とってやろうじゃないのさ。

とは言っても、そんな資格って…
どんなもの?


そこから再び、学びの日々が始まる。

コネでなんとなく入った会社だったが、
私は異動のために夢中になっていた。

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