MAYUです。
今だから書けるNICU時代の振り返り。
不定期更新と書いてますが、とりあえずしばらく続いてます(^^;
前回の続きです。
2012年に壮絶出産で重度の心身障がい児となり、NICUに長期入院。2015年に2歳で天使になった次女のことを不定期で書くシリーズです。
■壮絶出産からNICUまでのあらすじ
第三子出産時に胎盤剥離が起き、緊急出産となった私。重症仮死で産まれた次女はNICUに入院し、私も生死をさまよう。私は回復後、命の危機をなんとか乗り越えた次女と面会を果たす。
★★★★★★★
2012年12月23日。
生後16日目のこと。
夕方、仕事帰りの夫と二人でNICUに呼び出されました。
次女は先日MRIという「脳のレントゲン」を
撮っていました。
その結果を聞くために、二人で先生に
呼ばれたのです。
NICUは保護者が面会に来る時間を過ぎると
照明が落とされ、ほぼ真っ暗な空間に。
午後7時。
いつもとは違う暗がりの中、私と夫は先生の
PCの前に座りました。
あの、なんとも言えない緊張感。
普段は明るいNICUも、私が知らないほとんどの時間帯はこんな感じなんだと妙にドキドキしたのを覚えています。
未知の世界を垣間見たようなほの暗い空間に
ここがとても特別な場所なんだということを
改めて思い知らされた気がしました。
来る時から、
なんとなくいやな予感はしていました。
先生はすごく言葉を選びながら、
すごく慎重に、次女の病状について
話し始めました。
詳しい説明は省きますが、
次女の検査結果を聞いた私たちは、
一瞬で頭が真っ白になりました。
次女ちゃんは、産まれるときに酸素が足りず、苦しい時間がとても長かったので…
脳に酸素が回らず、脳のほとんどの部分が
機能しない状態になってしまいました。
自分で目を開けることや、自分で呼吸をすることは…おそらく…今後も…難しいでしょう。
身体を自分で動かすことも…難しいです。
次女の脳の画像を目の前に、詳しく
説明してくれた先生。
だけど、、、内容がほとんど頭に入らない。
本当に本当に衝撃が大きすぎてショックすぎると、人って思考停止するんですね…
目は画面を見ているのに、
耳は説明を聞いてるのに、
心は遠い宇宙の彼方にいるような感覚で
これが現実だという感覚がなくて
我が子に起こっていることだ、っていう感覚もなくて
まるで映画を見ているような現実感のなさでした。
(リアルに「コウノドリ」の世界です)
泣き叫ぶでもなく
取り乱すでもなく
私と夫は放心状態のままでした。
泣いてもおかしくないシチュエーションなのに
「悲しい」とか「嫌だ」とか「不安だ」とか
そんな「こころ」のスイッチが全てOFFになっていて
「ただそこに漂っているだけのヒト」と化していました。
出産時に胎盤剥離が起こり、
赤ちゃんがまだお腹にいるのに
お母さんの胎盤から酸素がもらえなくなる。
そんな悪夢のような状態で数時間。
命が助かっただけでも奇跡の次女。
「どんな障がいが残ってもいい。命だけは!」
と祈っていたけれど…
「最も重い障がい」を引き受けて生きることになってしまった、生後間もない我が子。
その現実がリアルな「私たち家族の現実」で
「私たち家族のこれから」であるという事実。
そして何より、その悪夢のような現実を
自分のせいで作ってしまったのではないかというとてつもなく重い後悔、自責の念。
脳のほとんどの機能を喪った我が子に対して
申し訳なさと悔しさと不憫さが黒い波を打つように押し寄せてきて
私たちは完全にフリーズしました。
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