四年前の壮絶出産を振り返るシリーズです。


★これまでのお話★


③の続きです。


超緊急大手術から意識を失っていた私は、
気づいたらICU(集中治療室)のベッドにいた。

息できない。しゃべれない。何これ?今は何日?何時?私なにしてんの?あれ?赤ちゃんは?


自分の置かれた状況全てが、謎だらけ。


人工呼吸器のせいで、筆談しかできない。体力もない。身体は点滴やら何やらで管だらけ。手足はぐるぐる巻きにされ、血栓予防のためにベッドにマッサージ器みたいな機能が付いている。身体が思うように動かない。


ダンナさんが来たときに、真っ先に赤ちゃんのことを筆談で聞いた。聞くのがものすごく怖かったけれど…


「あかちゃんは?」


ダンナさんは、

「うん、ちゃんと産まれたよ。今は他の病院で治療を受けてるから、安心して。ほら、赤ちゃんの写真。」


と言って、一枚の写真を見せた。口と鼻に、チューブが付けられている。頭に何か巻かれてて、身体にもたくさんのチューブがつけられていた。


それまで普通に経験してきた、可愛らしいふっくらとした赤ちゃんの姿とはまるっきり違う、痛々しい新生児の姿。


お腹の中で心拍が下がってきていた赤ちゃん、というところまでは覚えていた。とりあえず、何らかのダメージを受けるであろうことは覚悟していた。

ちゃんと生きているんだろうか…私の意識がない間に、いなくなってしまったんじゃないか。

そんな不安がよぎったけれど、赤ちゃんは奇跡的に生きていた。

とりあえず、生きてるんだね?赤ちゃん、ちゃんと、いるんだね?

そんなことを思って、ホッとした。

出産の瞬間を覚えていない出産なんて、初めてだ。おめでとうと言われない出産も。赤ちゃんを抱けない、顔を見られない出産も…。


ダンナさんは、涙目だ。

何か、すごく、疲れている。

私に気を遣って、普通を演じている感じが醸し出されている。

いまは、何日?

と聞くと、あれから丸一日経っていた。



夢かと思った。あまりにも非現実的で…。

この一日で、私がどんな状態だったか、何が起こったのかを少しずつ聞いた。



私は色々大変で、よく持ち直したということ。

赤ちゃんは別の病院にいるらしい。

そこで治療を受けているらしい。

ダンナさんは両方の病院を行ったり来たりしているらしい。

私が持ち直したあと、一旦自宅に戻ったが、着いてすぐまた赤ちゃんの病院に呼び出され、夜中に車で1時間かけてまた引き返したらしい。


結果、ほとんど寝てないらしい。


ということが、わかった。


ダンナさんは、
妻と娘を同時に失う恐怖をその時一人で経験していたのだ。

私ともう会えないかもしれない。

子供達になんて言うんだ。

「このまま止血しなかったら覚悟して下さい」

と宣告されていたんだから…。





私は少しずつ回復し、人工呼吸器が外れ、だんだん普通に会話ができるようになってきた。

ICUの面会時間は朝、昼、夕方の3回、それぞれ一時間までと限られていて、その時間を狙ってダンナさんや両親もかけつけてくれた。

赤ちゃんに届けるからと言われ、私の匂いをタオルに染み込ませたりもした。

それ以外の時間は、一人で天井や窓の外を見ているしかなかった。他の入院患者さんたちも、同じように重症の方ばかりだ。色々聞こえて、怖い思いもした。

一人になると、赤ちゃんのことを考えた。

赤ちゃんは、生きている。

「元気な女の子」ではなかったけれど。

どんな障害が残ってもいい、とにかく生きていてくれさえすれば…。大丈夫。NICUに入っても、今元気に育っている子の例も知ってる。

もし、たとえ障害が残っても、うちの大事な子だ。心拍が下がったあの状況で、生きていてくれただけでもありがたいんだ。


とにかく、生きていて…‼︎


その時は、ただひたすらそればかり祈りながら、3日が過ぎた。

私は驚異的に回復し、意識が戻ってからわずか3日でICU(集中治療室)を出て、一般病棟に移ることになった。


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