MAYUです。
 
今だから書けるNICU時代の振り返り。
続きです。
 
 2012年に壮絶出産で重度の心身障がい児となり、NICUに長期入院。2015年に2歳で天使になった次女のことを不定期で書くシリーズです。
 
 
流れ星天使の次女についてこちら
 
流れ星壮絶出産からNICUまでのお話
 
■壮絶出産のこと
 
■壮絶出産からNICUまでのあらすじ
 
第三子出産時に胎盤剥離が起き、緊急出産となった私。重症仮死で産まれた次女はNICUに入院し、私も生死をさまよう。私は回復後、命の危機をなんとか乗り越えた次女と面会を果たす。
 
■NICUのこと→
 
 
★★★★★★★
 
 
次女はNICUで脳の治療を受け、
人工呼吸器や点滴を付けてはいるものの、
なんとか命を保てるようになりました。
 
 
 
そして私は、次女よりも先に
退院することになりました。
 
 
 
 
私の病院と赤ちゃんの病院は
少しだけ離れていたので
 
私は外出許可をもらって
搾乳した母乳を届けに
次女のところへ通っていました。
 
 
 
そして私の退院の日。
 
 
主治医(執刀医)から
超緊急帝王切開の時のことを聞きました。
 
 
 
 
前にも書きましたが、
 
6リットルもの輸血を受け、
助かる確率10%以下で奇跡的に助かった私。
 
診断書には「失血性ショック」という
恐ろしい言葉がありました。
 
 
 
 
 
そんな奇跡の生還を果たし、
なんの後遺症もなく退院できたこと。
 
 
 
 
「胎盤剥離」がどんなに危険か。
その真相を知れば知るほど、
 
私が生還したことがどれほどの奇跡の確率なのかと思い知らされ、
今ここにいる自分が有り難くて仕方ないのです。
 
 
 
 
病院を出た私たちは、まっすぐに次女のNICUへ向かいました。
 
 
 
そして、退院することを報告し、
 
これからの面会のことや
母乳のことなど、
 
「NICUママ」としての生活を
看護師さんたちに聞きました。
 
 
そして、次女がだいぶ安定してきたことを
聞いて、帰路につきました。
 
 
「きっとすぐ回復して家に帰れる日がくる」
 
 
そう信じていました。
 
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私と夫はNICUを出たその足で
大型ベビー用品店に行きました。
 
 
自宅で搾乳するための機械や、母乳パックが
すぐにその日から必要だったからです。
 
…ところが、
 
お店に入った途端
私は泣きそうになりました。
 
 
 
 
それまで意識したことはなかったけど
 
お客さんはみんなお母さん達。
そしてお腹の大きな妊婦さん。
 
 
みんな、出産したら
「家で育児できるのが当たり前」と思って
ベビー用品を買ってるんだ。
 
 
それなのに私は「家にいない赤ちゃん」のために買い物をしている。
その状況が、胸をえぐられるほど辛く感じたのです。
 
 
 
 
すでに「今までの私」とは
感覚が変わってしまっていたからでしょう。
 
幸せそうなママたちを見るのに耐えられず、
逃げるようにお店を出ました。
 
 
今思うと、よく行ったなぁ、私…ゲロー
辛すぎるよ!
その状態でそのシチュエーション!
 
 
 
 
そして夕方、二人で食事をとるため、
お店に入りました。
 
 
 
そこで夫に言われた言葉は
今でも忘れられません。
 
 
「MAYUとここでご飯食べてるなんて、
本当に信じられない。
もしあの時いなくなっていたら、
この瞬間もなかったんだよな…」
 
 
 
「ありがたい」
 
 
私の顔を見ながら、夫は何度もそうつぶやきました。
 
 
 
急にこんなことになってから10日間、
 
赤ちゃんと私、
どちらの危篤状態も乗り越え
ろくに寝ずに家と病院を行き来していた夫。
 
 
 
とっても疲れ果てていましたが、
私がこうして助かり
普通にご飯を食べていることに
心から感謝しているのがわかりました。
 
 
あのとき助かったから、
今があるんだ。
 
今でも時々二人で思い出す言葉です。
 
 
 
当たり前は当たり前じゃない。
 
生きていることも、当たり前じゃない。
 
 
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この時の経験がきっかけで、「生きているだけで価値がある」という言葉が身をもって分かるようになりました。
 
 
 
ところが、そんな私たちを試すかのように、
さらなる試練の時が近づいていました。