四年前の壮絶出産を振り返るシリーズです。
★これまでのお話★
②の続きです。
私が大学病院に運び込まれたのが、夜中の3時すぎ。
その後まもなく、手術で次女が産まれた。
「常位胎盤早期剥離」だった。
その時私は全身麻酔で意識なし。
術後もなかなか子宮からの出血が止まらず、輸血が繰り返されていた。
後で聞いたら、あと少し止血が遅かったら、
子宮を摘出するか、
私も次女も最悪のパターンになっていた。
「胎盤剥離」は本当に恐ろしく、妊婦の10人に9人は助からないと言われている。こうなったら一分一秒でも早く、手術するしかないのだ。
この時の私が助かる確率、10%以下。
もし助かったとしても、母体へのダメージは計り知れず、後遺症や障害が残る確率も高かった。
ところが、私はギリギリのところでなんとか止血し、その後は驚異的な回復を見せた。
翌朝には意識が戻り、
どこにも障害が残ることなく、生還した。
後で聞くと、
私は自宅からすでに大量出血をしており、手術の時には全部で6リットルもの輸血をしたとのこと。
つまり、全身の血液をまるごと入れ替えたほどの量だそうだ。
一気に胎盤が剥がれ、それがどんどん進行していったらしいと分かった。
つい三日前の検診まで順調だったのに、こんな信じられないことが起きるのだ。
胎児にとって胎盤は、酸素をもらう、命の源。
その大事な胎盤が、赤ちゃんが出る前に母体から剥がれるということは、赤ちゃんにとって、とてつもなく苦しいということ。酸素がもらえなくなるわけだから。
間一髪のところでお腹から出されたものの、次女はすでに脳に酸素が足りなくなっていた。
「低酸素性虚血性脳症」だった。
呼吸も、心拍も、とても危険な状態だ。
胎盤が剥がれてから低酸素の時間が長かったために、脳の状態はもう限界になっていたのだ。
一時は心肺停止の状態になり、
すぐに医師が心臓マッサージをした。
しかし、なかなか心拍が戻らない。
約8分間の心臓マッサージが続いた。
あと少し、あとちょっと、もう少しだけ、続けよう…‼︎
これ以上はマッサージしても回復が望めないリミットの時間が、過ぎていく…。
でも、もう少しだけ‼︎
この時先生が粘って下さったおかげで、奇跡的に、次女は息を吹き返した。
母子共に、ギリギリのところで奇跡の生還を果たした。
とはいえ、脳と身体に大大大ダメージを受けている次女。
自分で呼吸することもできない。
産声を上げることも、できなかった。
「重症仮死」
…それが、次女が産まれたときの状態だった。
次女はすぐに近くの別の病院に運び込まれ、NICUで脳に特別な治療が施されることになった。脳の治療が長期化すると予測されたが、この病院ではNICUの空きがない状況だったようだ。
その後、私たちは、これまで想像することもできなかった、壮絶な日々を経験することになった。
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