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《前編》 より

 

【尻尾に縞模様のあるシバ神の化身】
「ユミさん、リスの尻尾はなぜ黒い縞模様になっているのか知っていますか」と聞きました。私が答えられないでいると、「あれはね、シバの神さまが撫でたからですよ。シバの神様の額にある3本の縞模様が移ったのですよ」といいました。・・・中略・・・。リスはシバ神、すずめはブラーブマン、ねずみは、鳩は・・・と、生きているものすべては神様の化身だと語る(p.134-135)
 タージ・マハル内の、芝に囲まれたピンク色の歩道で遊んでいたシバ神の化身を、上に掲載しておきました。

 

 

 

【マリッス】
 1位はタイマッサージ、2位韓国垢すり、3位中国足つぼ押し・・・。
 アジアン・エステ・ベスト3でした。
 訂正、変更!断トツの1位をインドの村の“マリッス”とします。
 マリッスは村に伝わる全裸でするオイルマッサージのことです。
 ・・・中略・・・。
 まず、ちょっと温めたマスタードオイルをたらします。
 そして次に揉みほぐすその技といったら究極のテクニシャン。 (p.98)
 スリランカのシロダーラというオイルマッサージのことは、何度か読んだことがあるけれど、
    《参照》   『泣くために旅に出よう』 寺田直子 (実業之日本社)
              【シロダーラ】
 マリッスは初耳というか、初メメ。
 著者は、インド人の手技に関して以下のように書いている。
 インドを手仕事の国というなら、それは手仕事の国ではなく手偏の仕事の国です。
 握、扱、抑、按、・・・中略・・・。
 どの文字からも彫刻のようなインド人の身体が現れます。(p.99)
 日本人は、繊細な手仕事が上手、という場合は、どちらかというと手先(指先)仕事のことだろうけれど、インド人は、食べる時も、マッサージする時も、肩から下の腕全体を、上手に巧みに使っている。
 と書き終わって、“上手”、“下手”の漢字に“手”が使われていることにあらためて気づく。

 

 

【ビハール州】
 デリーあたりで、以前にビハールに住んでいたことがある・・・と話すと、誰もがあからさまにイヤな顔をします。貧困と腐敗の代名詞のように思われている地域です。(p.128)
 ビハール州は、ネパールと国境を接するインド北東部の州。
 「仏陀成道の地」といわれるブッダガヤは、ビハール州にある。
 なぜ、“貧困と腐敗の代名詞のように思われている” のかは書かれていないけれど、“ナンを焼くこともなく水で捏ねるだけで食べます” とか “山賊” とか “ヒマラヤからの亡命者” とか “夏には過酷な自然に、老人たちは力尽きます” というような記述がある。

 

 

【夢の延長線】
 食事が終わると、スージットは2階にいこうといいます。
 2階があるのかしら?と彼の後ろについて階段を上がると、そこは2階というよりは屋上で、1階からの鉄骨が突き出たままで。途中で止めてしまった工事現場そのものでした。
 するとスージットが、「お金が貯まったらここに部屋を増やす予定だから、デリーに来たときはいつでも泊まってください」といいます。・・・中略・・・。
 インドではスージットの家と同じように工事中の鉄骨をそのままにした中途半端な仕上がりの家をよく見ます。けれどあのムキ出しの鉄骨は彼らの夢の延長線でもあったのです。堅実に、着実に、等身大に家族を作っている断片でもあったのです。(p.145-146)
 そう、インドには、“夢の延長線”がムキ出しになっている家が、今でもたくさんある。
 先進国の人間たちは、ローンを使って等身大以上の家を建てておきながら、収入が減ったり失業したりすれば、“恒産なくして恒心なし”という諺そのままに、社会や人を恨み邪悪さを倍増させる人間になってゆくのである。魂に一点の清明さもない、心の貧し人間たち。

 

 

【パンジャブ州】
 パンジャブ州はその名前のとおり、パンチ=5、5つの河から成り立っています。
 1960年代、豊富な水資源に着目し、用水路灌漑が整備され、生まれ変わった広大な農地から生産される小麦、米、トウモロコシなどの収穫でパンジャブはインドの穀倉といわれるまでになり、その変容は「緑の革命」と称えられました。(p.149)
 パンジャブという名を分解すると、パンチ(5)+アーブ(河)。即ち「5つの河」。
 中学の地理の授業で、「小麦の産地はバンジャブ」と習った時点で、チャンちゃんは、「小麦だからパンとジャム」って覚えたものだった。だのに、「パンジャブのパンは、5を意味するパンチが元」とかって、今更言われても、憮然としてしまう。タコ!
 でもまあ、5つの河(インダス川の5支流)、灌漑用水路、緑の革命、穀倉地帯という繋がりも理解しやすい。

 

 

【アウトカーストのランバラック】
 明るくて、頭の回転が速く、繊細で反抗心も旺盛、そのうえ生意気で男気のあるランバラックが、ちょっとしたミスと、誰でもがやるような若気の至りを、カーストと貧困によって傷口を広げられ、繕いようもなく、さらに穴を広げ、萎え、衰え、落ちぶれて行くさまを見たように思います。
 もしも、ランバラックがアウトカーストという自分には全くいわれのない不条理な出自を、他の人たちと同じように、口惜しい思いを重ねながらも、心のうちに抑え込むことができたのなら、これほど急速に貧困の谷に転げ落ち、溺れ死ぬことはなかったように思います。 (p.159)
 インドにおけるカースト意識が、どれほど強烈に人生を左右しているものなのかを知らないなら、この記述に、痛く打たれることなどないだろう。
   《参照》  『インド人には、ご用心!』 モハンティ三智江 (三五館) 《前編》
             【カースト制度】
             【カースト外のダリット】

 地球生命圏で学ぶことを選択してきた魂たちは、必ずやカーストの上から下まで、全ての人生を経験しているはずだと思っている。そして今、日本人として生まれ、最後の転生を体験している人々は、差別に関する学びをすでに終えているはず。であるにもかかわらず、財の多寡や地位や肩書を判断基準にしているようなら、日本人であっても必須な学び未満である。

 

 

【伝えたいことがあるということ】
 その夜、私はフェアラウンホテルのベッドでシスター・ルークのことを想っていました。
 そして、彼女の仕事の、「臨終」に立ち会うということに思いをめぐらせました。
 人には「生」から「死」へ移るとき、必ず伝えたいことがあるということ。
 言葉や動作でなくとも、親族や友人でなくとも。そしてこの世をまだ生きていく人にはそのメッセージを受け取る義務があるということ。
 人と人は「死」と「生」をバトンタッチのように受け継ぐ「際」があるということ。

「ニルマル・ヒルダイ(清い心の家)」と名づけられた「死を待つ人の家」の平穏を見たように思いました。(p.169)
 死に際に伝えたいことって、あるだろうか?
 チャンちゃんの場合は、誰にも何にもないと思っている。
 人の人生は、立ち会う人の有無に関係なく、常日頃から平穏であるべき。

 

 

【チャンパー】
 チャンパーという花はジャスミンの一種だとばかり思っていましたが、調べてみると日本名を「キンコウボク」というモクレン科の植物で、いい匂いのする木だと記されていました。
 けれどインドの人は「この花の名前は何?」と尋ねると「これはシバ神の花」とか「これはラクシュミー女神の花」とかいって個々の花の名前についてはあまり関心がありません。
 しかしその本にはこうも記されていました。
「インド人はよい匂いのする花をチャンパーと呼ぶ」と。
 私が教わった、月明かりの下で白い花びらを広げ、品のいい甘い匂いで咲いていたあの花も、村では誰もが「チャンパー」と呼んでいたのでしょう。 (p.178)
 大英帝国に植民地支配された歴史がありながら、花の名前を覚える習慣が根付かなかったのは、ちょっと意外な気がしないでもないけれど、インド人の宗教に根付いた習慣までは覆すことはできなかったということだろう。
    《参照》   『八十四歳。英語、イギリス、ひとり旅』 清川妙 (小学館)
              【木の花の名前にくわしいこと】
 インドの人に花の名前を尋ねたら、その度に、ヒンドゥーの神々の名前を覚えることになってしまいそう。
 シバ神の花は、サンタンカ(山丹花)。
 ラクシュミー女神の花は、蓮の花らしい。

 

《参照》   読書記録(インド)

 
<了>