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 雑誌に掲載されていた記事を収録し編集したものと書かれている。茂木さんの既読本に書かれている内容が少なくない。2007年12月初版。

 

【夏休みのお出かけ場所】
 今、蝶を追いかけていた子どもの頃を振り返ると、「何かを待つ」という感覚以外にも、随分たくさんのことを学んだと思う。「脳を鍛える」という視点から見て、自然の中の体験がもたらす世界は実に奥深い。
 夏の休暇を利用して、山梨県のリゾートに出かけたことがある。そこから車で20分ほどのところに、子どもの頃の私にとっての「聖地」があった。日本の国蝶であるオオムラサキが多く棲息することで知られる、中央本線日野春駅周辺の雑木林である。 (p.16)
 日野春駅の北側500mほどの所に、「北杜市オオムラサキセンター」がある。チャンちゃんは、オオムラサキを見るためではなく、クジラに関する体験談を聞くためにここに行った。つまり、廣川まさき さんの講演があったから原付でポコポコと行ったのだけど、まあ、お子さんのいる方は、ご家族でオオムラサキセンターへ、どうぞ。

 

 

【「直感」と「データ」の「ハイブリッド」】
 羽生さん自身に 『決断力』 という著書があるが、指し手を決断するプロセスは、まさに無意識からくる直感に支えられているというのが、ここのところの認知科学の研究者たちの間での常識だった。ところが羽生さんは、さらに高度なことをしている。無意識の直観で指すのはもちろんのこと、驚異的な記憶力で覚えている過去の対極のデータも参照する。・・・中略・・・。いわば「直感」と「データ」の「ハイブリッド」のスタイルで将棋を指していたわけである。(p.27)
 「直感」って、「データ(思考・解析)」の極に於いて与えられるものと思っているから、せっかく得られた「直感」を「データ」と「ハイブリッド」させてしまうというこのスタイルが、異様に思えてしまう。

 

 

【人間の頭の良さの本質】
 養老猛司先生は、「教養とは他人の心がわかることである」としばしば言われる。他人と心を通じ合わせ、協力して社会をつくり上げることが、人間の頭の良さの本質である。(p.52-53)
    《参照》   『脳が変わる生き方』 茂木健一郎 (PHP) 《後編》
              【教養とは】
 頭の良さが社会性と深く関わるということを、意外に感じる人もいるかもしれない。学校で勉強ができる子どもはなんとなくツンと澄ましていて、あまりできない子どものほうがかえって他人と温かく接することができる。一般にはそのような思い込みがあるかもしれないが、現代の脳科学では、頭の良さとはすなわち他人とうまくやっていけることであると考えるのだ。(p.53)
 現代の脳科学がそう考えるのは、「人間の“脳”と“社会の進化”が一体」であることを認識し前提とているからだろう。つまり、「脳=社会」であって、「他人の心が分からない状態」は、「脳内のシナプスが連結していない状態」であると看做せるからなのではないだろうか。
実際のところその通りなのである。
 個々に例外はあっても、マクロに見れば IQとEQ(知能指数と感情指数)の比例相関はあるだろう。
     《参照》   『死後体験Ⅲ』 坂本政道 (ハート出版) 《前編》
               【我々の理想とする社会】
     《参照》   『クラリオン星人コンタクティが体験したアセンション〔量子転換〕のすべて』
               【銀河系意識のネットワークを有するスターピープル】
 人間同士の社会的知性の進化においても、お互いの存在を受け入れ、共生することが本質的に重要であったとされる。
 異質な他者を受け入れ、共生することが「頭が良くなる」ことにつながる。最先端の科学の理論が描き出したそのようなシナリオには、世知辛くなっていく現代を生きる人間が耳を傾けるべきメッセージが潜んでいる。
 一緒に仲良くいることで頭が良くなる。私たち人間は、そのようにして「万物の霊長」になったのである。(p.56)
 人間は「万物の霊長」であると言いながら、霊的センスを殆ど失ってきたのが実際のところだろう。本当に「万物の霊長」になるためには、孤立を選択してしまうコンプレックスを取り除き、異質と交わる開かれたマインドが涵養されなければならない。
 そのような過程こそが社会進化を伴った本当のスピリチュアル(霊長への回帰)な生き方になるはずである。
    《参照》   『スタンフォードの未来を創造する授業』 清川忠康 (総合法令) 《前編》
              【“異質な”者たちが集ってこそ生まれるイノベーション】

 

 

【個性をブレンドする】
 単独では欠点になる特徴が、ブレンドすることで活きるのだと輿水さんは言う。・・・中略・・・。
 個性を育むプロセスそのものはコントロール不可能で、自然に任せるしかないが、それだけでは素晴らしい結果を生み出すことはできない。個性を響かせ合い、さらに上の境地を目指すためには明確なヴィジョンや、目的意識が必要とされる。
 輿水さんのウイスキーのブレンド術は、組織や社会においていかに個性を活かすかという命題に直結しているように思われた。(p.66)
 個性を尊重する西欧社会に住む人々は、このようなことは“当然のこと”として行動しているだろう。
 私がかつて留学していた英国ケンブリッジ大学の名門トリニティ・カレッジでは、食事の際に「ハイ・テーブル」に集ったフェローたちが、それぞれの専門分野など気にもかけずに自由に議論する姿が見受けられた。
 そもそも、自分と同じ分野の学者など、近くには座っていない。数学の専門家がいると思えば、その隣はイギリス文学、その向こうは政治学、こちらは生化学というように、人類の知という多様で豊かな森の様々な活動を代表する研究者たちが、自由に討論し、アイデアを闘わせていた。(p.103)

 

 

【総合的な教養・知性という裾野】
 総合的な教養、知性という「裾野」があって、初めて鋭利な専門的能力も立ち上がる。理論物理学をやろうという場合でも、直接関係が高い物理や数学の知識だけが必要なのではなく、一見関係ないようにも見える『論語』の素養が役に立つ。だからこそ、人間の知性は奥深く、面白いのである。(p.70)
 異質な個性がブレンドされて、より効果的な組織ができたり、新たな発想が生じたりする。これと同じことを個人の内部で行おうとするなら、総合的な教養・知性を持った裾野の広い人間になるしかない。
    《参照》   『天才論』 茂木健一郎 (朝日新聞社)
              【総合的な知性】 【創造性】

 

 

【青山二郎とデュシャン】
 友人の白洲信哉が過去数年、その準備に心血を注いできたという特別展「青山二郎の眼」を、滋賀県のMIHOミュージアムに見に行った。小林秀雄が「僕たちは秀才だが、あいつだけは天才だ」と評した男。その見識を慕って多くの文人が集まり、「青山学院」だと言われたほどの鑑識眼。・・・中略・・・。青山二郎が宋の梅瓶の箱にしたためた「自動電話函」という銘などを眺めているうちに、はっとひらめいた。骨董の本質は、デュシャンと同じ「レディ・メイド」にある。ああ、そうか、と思っているうちに、俄然面白くなってきた。(p.75)
 既製品を買ってきて、サインする。骨董品を選り分けて、「箱書き」を書く。スタイルの差こそあれ、青山二郎とデュシャンがやっていることは、その本質において通じる点がある。・・・中略・・・。
 すでに評価が定まっているから、あるいはオークションで高い値段をつけるから価値があるのではない。世の中にある森羅万象から、自らの美意識に従って選別する。それは、最高に自由で、また創造的な行為である。(p.76)
 「白釉黒花梅瓶」に『自動電話函』と箱書きをした理由は「この瓶を所有できるなら、たとえ電話ボックス暮らしでも構わぬほどの逸品だから」と言うことらしい。下記リンクに、その作品が掲載されています。
    《参照》   nonacafe庵『奥の院』通常観覧
便器に『泉』とサインしたデュシャン。その作品へは、下記リンクから繋がっています。
    《参照》   『日本のクオリア』 茂木健一郎 (小学館)
              【デュシャンの『泉』】

 MIHOミュージアムに関して書かれている下記リンクを辿ると横道に入ってしまいますが、よろしければドウゾ。
    《参照》   『宇宙人の伝言』 田村珠芳 (TO文庫) 《前編》
              【琵琶湖のほとりの「ミホミュージアム」】

 

 

【個性あふれる子どもたちは、愛に満ちている】
 宮崎駿監督との対談時に感じたこととして記述されていること。
 子どもは、大人の言うことなど簡単には聞いてくれない。容易に社会化され、取り込まれないからこそ子どもたちの個性は輝く。その光を、宮崎さんはしっかりと見つめている。
 宮崎さんの描く個性あふれる子どもたちは、愛に満ちている。愛というものは、安易に他人に迎合することではない。自らをしっかり立たせなければ、他人を愛することなどできないのだ。(p.80-81)
 子どもたちに社会性を押しつけ管理する眼差しを向けると、子どもたちは自分を見失ってしまうのである。そのことを分かっていない大人たちが9割以上だろう。
   《参照》   『なにも願わない手を合わせる』 藤原新也  東京書籍
             【まなざしの聖杯】
             【最も理想的な在り方:わがままの勧め】

 

 

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