イメージ 1

 “ダヴィンチに学ぶ 「総合力」 の秘訣” と副題にあるけれど、前半に書かれていたダヴィンチではなく、後半に記述されていた湯川秀樹博士の記述から、「総合力」 の秘訣を引用しておいた。

 

 

【総合的な知性】
 湯川博士はノーベル物理学賞を受ける前から、一般向けの本を書いておられました。それがまた、すばらしい文章なのです。 ・・・(中略)・・・ ・
 つまり、湯川博士は、ノーベル賞を受賞されたあと、にわかに総合的な知性の人になったわけではなく、それ以前からたいへんな文章家であり、世界について語るだけの見識をそなえた、総合的な知性の持ち主だったということです。(p.87)
 湯川博士の家系は、お父様も、男の4人兄弟いずれも分野の違った学者ばかり。
 湯川博士が子供のころ漢籍(東洋古典哲学)の素読を受けていたことは能力開発や学習法の著作の中でしばしば言及されているけれど、著者は “総合的な知性” という点を重視している。
   《参照》   『超右脳記憶法 実践篇』  七田眞  KKロングセラーズ
                【素読学習の効果】
 東洋哲学の世界観を身体で覚え専門に捉われない素養を培ったこと、つまり 「総合的な知性」 をもっていたことと、理論物理学の領域で独創的な業績を上げたことは、じつは大いに関係があると、私は考えています。(p.84)
 大事なことは、「総合的な知性」 をたくわえたうえで、ある特定の分野に集中することです。(p.95)

 

 

【創造性】
 「思い出すこと」 と 「ひらめき」 は、たいへんよく似た過程です。創造性というものは、過去の経験の蓄積から生まれるものなのです。過去の経験を種にしていない創造はありません。
 ということは、過去の経験によって得られた情報の量が多ければ多いほど、創造性を発揮できる潜在能力が高いということになります。(p110)
 無から有は生じないということである。
 つまり、創造性に優れている天才は、並々ならぬ情報を蓄積しているということである。
      《参照》   『ひらめきの導火線 トヨタとノーベル賞』  茂木健一郎  PHP新書
                【「ひらめきは個人に宿る」 は 「フィクション」 である】

 

 

【分解して統合する】
 分解すること、部分に分けて分類すること、分析することは、人間の知性の大切な本質であり、だれもそれを否定することはできません。
 しかし、いま挙げた、生命・意識・知性あるいは環境などについて考えるときには、分析を重ね、細かく理解したうえで、それをもう一度合わせて、全体像について考える必要があります。
 分解して理解するというベクトルと、統合していくベクトルの両方が、緊張関係をもって共存していなければなりません。(p.113)
 「緊張関係をもって共存しなければなりません」 というのは、長期にわたる知的作業を想定してそう表現しているのであろうけれど、「統合=ひらめき」 という狭義で解釈しようとするなら、緊張という言葉は誤解を招き安い。
 集中的に情報を分析し理解したら、いちど思念を解き放つ。そんな時ふとひらめく(統合される)のが、一般則である。つまり、緊張と弛緩という組み合わせ関係である。常なる緊張関係ではない。

 

 

【「脳は学び依存症である」】
 私は脳科学が専門なので、創造性、知性、意識といったテーマで講演などをする機会が多いのですが、そんなとき決まって話すことのひとつに 「脳は学び依存症である」 というのがあります。
 食べられる量にはかぎりがあります。着られる洋服の数にもかぎりがあります。しかし、取り入れられる知識の量には限界がありません。脳は、学びつづけることに喜びを感じるようにできているのです。知の欲望は無限で、一生満たされることがありません。(p.122)
 「知の欲望が無限!? それって著者のような学者病の人だけのことじゃないの?」 って思ってしまう人が多いだろうけれど、それも知を求める習慣の有無による違いなのであろう。寝て起きて食べてひって、それだけの人生でいい人と、それでは満足できない人の差は、おそらく習慣の差なのだと思っている。
 ところで、
 著者は、前頭連合野といわれる部分にあるA10神経の特性を、このような表現で記述しているのであろう。前頭連合野を “知性の座” と考えれば著者のような記述にもなるのだろうけれど、もう少し広義に “精神の座” と考えれば、下記の著作のようになる。
   《参照》   『いい女は、セックスしない』 石崎正浩  なあぷる
            【人間を人間たらしめるもの】

 

【インターネットは学びのための図書館】
 ある程度の基礎学力があって、かつ独学のできる人であれば、大学になんて行っている場合ではない、という時代がすぐそこまで来ています。
 そのうち、インターネットを利用した勉強だけでノーベル賞を受賞する人が出てくるかもしれません。(p.128)
 著者は、インターネットを非常に積極的に評価している。
 ポイントは “ある程度の基礎学力があって” というところ。知の欲望がかなり強い人なら、インターネットの有効活用もできるだろうけれど、並みの人間なら知の欲望ではなく、本能の欲望に容易に絡め取られてしまうことだろう。
 いま残されている、大学に行く唯一の意味は、人に会うことです。(p.132)
 ほんと、大学の意味って、これくらいしかないように思う。
 人に会いたくない人は、胸を張って堂々とひきこもればよし。

 

 

<了>