
相撲に魅せられた著者は、昭和17年(1942年)生まれの方。魅せられたとタイトルに書かれている割には、その魅せられた内容が伝わってこない。ちょっと期待外れ。
【朝青龍に関する評価】
《参照》 「横綱のけたぐりをどう思う」
『大決意』 五井昌久 白光出版
モンゴル出身の大関朝青龍は平成15年1月場所14日目に、他の優勝可能だった力士の自滅によって早々と優勝を決めた。連続優勝である。
周囲の関係者の談話によれば横綱昇進も確実になったっと、マスコミは一斉に報道している。だが、彼の王関昇進時には、心ある好角家はこぞって時期尚早と強く昇進に反対していた。
それは成績のみに偏った評価に対する異論であった。・・・中略・・・角界の慣行やこの世界独特の礼節がまったく身についていない、未だ新弟子同然の力士といえた。(p.96-97)
日本の文化を心得ているある程度の年配者は、おしなべて外国人力士のモラル破壊(=日本文化破壊)行為には、眉をひそめていることだろう。私も、朝青龍、白鵬の両横綱に関してブーブー書いたことがある。周囲の関係者の談話によれば横綱昇進も確実になったっと、マスコミは一斉に報道している。だが、彼の王関昇進時には、心ある好角家はこぞって時期尚早と強く昇進に反対していた。
それは成績のみに偏った評価に対する異論であった。・・・中略・・・角界の慣行やこの世界独特の礼節がまったく身についていない、未だ新弟子同然の力士といえた。(p.96-97)
《参照》 「横綱のけたぐりをどう思う」
『大決意』 五井昌久 白光出版
【朝青龍の問題・子供の教育の問題】
『斎藤一人 15分間 ハッピーラッキー』舛岡はなえ(三笠書房)
【 “頑張る” ではなく “顔晴る” 】
横綱が外国人力士であっても、日本の国技を通じて、いずれは日本文化が世界に広まるのだから、良いではないかと思っていた私も、最近は何となく外国人力士禁止側に見解を変えたくなってきている。 「日本力」 の基を締め直した方が云いように思っているからである。
日本の国技である大相撲の秩序維持は、インターネットの発達した今日、世論に従っていては完遂されない。在日外国人の日本占拠(日本文化破壊)の意向が、実数以上の組織票として集められカウントされてしまうからである。
『斎藤一人 15分間 ハッピーラッキー』舛岡はなえ(三笠書房)
【 “頑張る” ではなく “顔晴る” 】
横綱が外国人力士であっても、日本の国技を通じて、いずれは日本文化が世界に広まるのだから、良いではないかと思っていた私も、最近は何となく外国人力士禁止側に見解を変えたくなってきている。 「日本力」 の基を締め直した方が云いように思っているからである。
日本の国技である大相撲の秩序維持は、インターネットの発達した今日、世論に従っていては完遂されない。在日外国人の日本占拠(日本文化破壊)の意向が、実数以上の組織票として集められカウントされてしまうからである。
【双葉山:イマダモッケイニオヨバズ】
双葉山の打電したこの一文に対して、インド霊界を基としていた安岡がどのように返答したのかは記述されていないけれど、日本神道を基とする惟神の道の人であるならば 「汝、既に太極を得たり」 と応えたであろう。
6は陰の極を示す数霊、9は陽の極を表す数霊であり、6と9が重なる69連勝は巴紋(=太極)の完成である。双葉山の双葉はその陰と陽の意味である。即ち、双葉山は、その四股名の意味する処を、69連勝にて完遂していたのである。
因みに、皇太子(浩宮様)と雅子妃の御成婚の日は、1993年6月9日であった。
向こうおよそ300年間巡りくることなき太極の日である。
《参照》 『和数考』郡司正勝(白水社)
日本文化講座 ⑦ 【 易経 】
恐らく史上空前絶後の記録になるであろう69連勝が止まった時、当の双葉山は安岡正篤宛てに打電した「イマダモッケイニオヨバズ」という有名なこの逸話に思いを馳せていた。(p.114)
モッケイ(木鶏)とは、荘子(外篇達生)や列子(黄帝篇)にある闘鶏の話で、紀省子という闘鶏を飼う名人が、王のために一羽の優れた鶏を育てている時の話で、その徳が完全であたかも木彫りの鶏のように見えることを例えた表現なのだという。双葉山の打電したこの一文に対して、インド霊界を基としていた安岡がどのように返答したのかは記述されていないけれど、日本神道を基とする惟神の道の人であるならば 「汝、既に太極を得たり」 と応えたであろう。
6は陰の極を示す数霊、9は陽の極を表す数霊であり、6と9が重なる69連勝は巴紋(=太極)の完成である。双葉山の双葉はその陰と陽の意味である。即ち、双葉山は、その四股名の意味する処を、69連勝にて完遂していたのである。
因みに、皇太子(浩宮様)と雅子妃の御成婚の日は、1993年6月9日であった。
向こうおよそ300年間巡りくることなき太極の日である。
《参照》 『和数考』郡司正勝(白水社)
日本文化講座 ⑦ 【 易経 】
【回しが落ちた力士は・・・】
ユルフンはそもそも卑怯である。横綱・貴乃花は大関・無双山のユルフン故に致命的な大怪我に至ったと書かれている。無双山が作戦としてユルフンを実行していたとするならば、名に負うところのない卑怯な力士ということになる。実態は “無双山“ ではなく ” 無双卑“ であろう。
土俵上の取り組みの最中に、もしあの腰に巻いている回しがすっぽりと抜け落ちたとしたら大笑いすること間違いないだろう。その時抜け落ちた力士が思わず前を両手で押さえて、その場にうずくまってしまったとしたら更にこの珍妙なる光景に抱腹絶倒することだろう。哀れ、この力士の運命は一体どうなると皆さんはお考えですか。何と非情にも、その力士は負けと判定されるのであります。信じがたい話だが、最近この珍事が実際に起こったのである。(p.123)
チン事を起こした力士の四股名は書かれていない。それほど知りたいわけでもないけど・・・・。ユルフンはそもそも卑怯である。横綱・貴乃花は大関・無双山のユルフン故に致命的な大怪我に至ったと書かれている。無双山が作戦としてユルフンを実行していたとするならば、名に負うところのない卑怯な力士ということになる。実態は “無双山“ ではなく ” 無双卑“ であろう。
【単なる「力くらべ」ならば、「土ずもう」という】
すべて「道」とはその各々の伝統を体系化したものであって、一口に説破すれば相撲道とは清く、明るく、直く、正しく、強きいわゆる日本精神の相撲的に体系化されたものであり、相撲技はその具体的表現に他ならないのである。我々が相撲の歴史や故実や伝統を重んじる心的動向は相撲道遵守に帰一するのは必然であろう。相撲道を喪失した、もしくは初めから具有しない相撲、つまり単なる「力くらべ」のことを「土ずもう」と称する。(p.136)
【土俵祭りの際の祝詞】
相撲は神事であるから、そこでは必ず祝詞が奏上されている。
東西南北の色や、土俵の形(内側の円形と外側の方形)に関しては、陰陽五行説の基本である。
相撲は神事であるから、そこでは必ず祝詞が奏上されている。
具体的例であるが、先に述べた土俵祭りの際の祝詞の口上を紙面で紹介してみよう。
―――― 天、地、開け、始まりてより陰陽に分かり、清く、明らかなるものは、陽にして上にあり、これを勝と名づく、重くにごれるものは、陰にして下にあり、これを負けと名づく、勝、負の道理は天地自然の理にして、これをなすものは人なり、清く潔よきところに清浄の土を盛り俵をもって形となすは五穀成就の祭りごとなり、ひとつの兆しありて形となり、形なりて前後左右を東西南北、これを方という。その中にて勝負を決する家なれば、今初めて方屋と云い名づくなり ――― (p.165)
土俵の仕切り線の真ん中には、四角に穿った小さな穴があり、その中には、鎮め物と呼ばれる米、塩、昆布、榧(かや)の実、勝栗等を埋めてある。その場所の平安と五穀豊穣を祈願するものだと言う。―――― 天、地、開け、始まりてより陰陽に分かり、清く、明らかなるものは、陽にして上にあり、これを勝と名づく、重くにごれるものは、陰にして下にあり、これを負けと名づく、勝、負の道理は天地自然の理にして、これをなすものは人なり、清く潔よきところに清浄の土を盛り俵をもって形となすは五穀成就の祭りごとなり、ひとつの兆しありて形となり、形なりて前後左右を東西南北、これを方という。その中にて勝負を決する家なれば、今初めて方屋と云い名づくなり ――― (p.165)
東西南北の色や、土俵の形(内側の円形と外側の方形)に関しては、陰陽五行説の基本である。
【相撲論評の質】
やや身体意識を欠き始めた時代を生きてきた我々には、人生論や精神論的な記述止まりのこの著書よりは、 『意識とかたち』 の内容の方が理解しやすく有効である。
世の中に物事の評論をする人は実に多彩だ。ところが時代が経つにつれ、その論評の質が、どこの世界を見渡しても、以前に比べて段々と見劣りがしてきているように思えるのは、私だけであろうか。(p.151)
こう書かれているけれど、この本を読んでいる私自身、著者の記述内容にそれほど優れた点を発見できないでいた。以前読んだ『意識のかたち』高岡英夫(講談社)という書籍に書かれていた相撲の記述内容に強烈なインパクトを受けているからである。やや身体意識を欠き始めた時代を生きてきた我々には、人生論や精神論的な記述止まりのこの著書よりは、 『意識とかたち』 の内容の方が理解しやすく有効である。
<了>