こんばんわ
水やりを終えて橋の欄干でラジオ体操をしようと
移動しましたら、卵の殻を見つけました
たぶんイモリが孵化したのだと思うのです。
昨日の2年生への読み聞かせは、
でした。
イモリは両生類なので卵を産みますが、
ヤモリは爬虫類なので人間と同じように生まれます。
この殻を持っていったら子どもたち喜ぶだろうなー。
※赤腹イモリは毒があります。さわったら必ず手を洗ってねー。
のつづきです。
古人の叡智にアクセス
温故知新の時間
「なぜ古典をわざわざ読む必要があるんですか」
という問いに対し、
能楽師の安田登さんは
「生成AI時代における『身体性』とは何か」
を考えるところから始めるという。
2000年以上も前に書かれた『論語』や『聖書』を勧めるのには、
2つの理由がある。
「次のシンギュラリティ」を考えるため、そして温故知新のためだ。
AI研究の世界的権威であるレイ・カーツワイルは、
AIが全人類の知能を超える技術的特異点、
シンギュラリティが2045年にくると予測した。
その時期はさらに早まっているともされている。
そういうときこそ古典、しかも甲骨文字で書かれたような
「うんと古いものを読むことが大切」となる。
人類史において、急激な変化が始まったシンギュラリティは
いくつもあったとされる。
その最近のものが、文字の発明だ。
文字がなければ本が消え、
約束を証明するものも何かの設計図もなくなり、
古人の叡智を残せない。
文字が生まれて以降、何が変わり、人びとはどうしたのか。
最初の文字である甲骨文字や楔形文字で書かれたものには、
「文字以前の記憶の残滓」が込められている。
「心」という字がなかったという説もある甲骨文字の文を読み解けば、
「心」という字のない時代の人がどういう人たちだったのかに
思いを馳せられる。
そこから、すべての知能がAIに凌駕された地点の
人びとの行動が見えてくるかもしれない。
温故知新、正しく書くと「温故而知新」は、
「過去の用例や知識などを頭の中でぐつぐつと煮ていると(温故)、
それまで誰も考えつかなかったようなまったく新しい方法が、
ある日、突然出現する(知新)」ことを指す。
「而」は時間経過を意味する字だが、巫女の髪や男巫の髪からきた
呪術的なイメージを持つとされている。
すなわち、
「何かが変容するための呪術的時間、
魔術的時間であり、錬金術的時間」なのだ。
進歩しないと思ってしばらくやめたあと、
表面上は何も進んでいないはずなのに、
再開してみたら進歩していた、ということがある。
「而」という字は、その水面下の上達の時間を示しているということだ。
「温故」をしている間は、「知新」に向けた魔術的時間だといえる。
温故において頭に投げ込む「古」が、
現代まで残される意義のあった古典であれば、
その力に支えられて、未来を考える(知新する)ことができる。
ただ古典を読む、歴史的背景を勉強するというだけでは、
当時の視点までは見えてこない。
本を読む際には「『問いを持つ』ことがとても大事」である。
ただし、それは思考するためのものであって、
容易に答えが見つかるものではいけない。
次のものは誤った問いと言える。
「努力して自分で調べればわかること」
「知人に聞けばわかること」
「自分の10年後にはわかっているであろうこと」
「私の個人的な見解(先生はどう思いますか?)」
「プライベートに関すること」。
古語の「とう」には「質問する」という意味以外にも、
「訪問する」「死者を弔う」というものもある。
「自分から積極的に働きかけ、何らかの行為をする」というニュアンスだ。
こうした「問い」の心を持って本、しかも古典にあたると、
化学反応が起きる。
プラトンが「哲学の唯一の始まり」だとした古代ギリシャ語の
「タウマゼイン」には、
「驚き」「敬意」「じっくり見る」という意味が含まれている。
「切実な問いを抱えながら、古典に対して『敬意』を持ち、
『じっくり』と向き合い、そして『驚く』、
それによって思いがけず、道がひらける」のだ。
古典は原語で読むのがおすすめである。
全文にいきなり当たるのは大変だが、
翻訳を読んで違和感を覚えたところから始めてみるとよい。
原語で読めば、古典が生まれた当時の視点に立って、
それまでとはまったく異なった風景を見わたせる。
たとえば、『新約聖書』にある「悔い改めよ」というセリフは、
「コイネー」と呼ばれる古代ギリシャ語の方言だと
「メタノエオー」と書かれている。
直訳すれば、「考え方を180度変えなさい」という意味だ。
社会の常識をすべて覆すものとして
時の政権に危険視されたのもうなずける。
また、「憐れみ」という言葉は聖書の中で、
目の見えない人に向き合うイエスの「深く憐れむ」行為として出てくる。
コイネーでは「スプランク二ゾマイ」と書かれているが、
これは「内臓がぐわっと動くほどの心の動き」を示している。
思わず内臓に感じた激しい痛みなのだ。
日本語の「憐れ(あわれ)」という言葉も、
もともとは「ああ(あは)」という深いため息を由来とする。
お腹の底から湧いてくる深い思いは、
スプランク二ゾマイに近いと言えるだろう。
はじめは理解できないと感じても、それは自分に原因がある。
「タウマゼイン」に至るまでの読みを通して、
その古典が読み継がれてきた意味、
素晴らしい人生の宝と向き合えるのだ。
母の施設に面会に行きました。
道の駅ではツバメが2回目の子育てをしていました。
ここでも5羽ではなく一つの巣に2羽しかいませんでした。
暑さで育たないんでしょうね。
・気候変動や経済格差といった問題が是正されないまま、
希望なき時代を生きる現代人は、
デジタル資本主義のなかで得られるコスパ、
タイパのよい情報だけでは危機に対応していけない。
・人間が真に考える力を養うには、
時代を超えた真理を本から得る必要がある。
を心にとめました。
これからもわたしの心に留まる言葉を探しながら
本を読んでいたいと思います。
では、また明日^^




