こんばんわ![]()
昨夜のディナーのお客さまがアメリカから来られた親子さん。
英語教室がうちのお店のお客さんが多い土曜日なので、
しんどいからやめよかなとか思っていたところ。
やっぱりある程度即答できるくらいまで、
おしゃべりできるようにならんとな・・・と
やめるのやめました。
美作国際サーキット場でF4のレースがあるそうで、
イケメンのレーサーさんでした。
のつづきです。
「パーカーとスーツが象徴する価値観の違い
従来の価値観への抵抗としてのパーカー
ときに議論を呼び起こし、反感を買いつつも、
パーカーはすでに人々の日常着として浸透し、
仕事着としても着用され始めている。
その人気の理由は、実はパーカーだけを見ていてもわからない。
というのも、パーカーは日本社会においての制服のように
着用されてきた「スーツ」への抵抗として存在している側面があるからだ。
日本では長い間、
「働く大人はスーツを着るものだ」という価値観が強かった。
みんなが共通して着る「制服」のようなものとして、
社会人らしさや信頼感を象徴する服装として機能してきたのである。
そのため、カジュアルなパーカーで仕事をすることは、
従来の価値観への抵抗として受け止められることがある。
スーツが象徴する「信頼」と「権威」
ここで参考にしたいのが、アメリカの人気ドラマ『スーツ』だ。
『スーツ』では、主人公たちが高級スーツを身につけて、
法律事務所で働いている。
作中では、「良いスーツを着ていること」が、
能力や信用の証として扱われる。
逆に、安物のスーツは未熟さや頼りなさを印象づけてしまうものとして
描かれている。
男性服のカジュアル化が進んだ現代では、
「きちんとしたスーツ」を着こなすことが差別化の手段となっている。
スーツとは、単なる衣服ではなく、
社会的地位や信頼を可視化する装置なのである。
上質なスーツは、経済的余裕や社会的地位を示し、
とりわけ政治家や弁護士のように信用が重視される職業において、
権威や正統性を演出する役割を果たしている。
このように、スーツは歴史的・社会的に権威づけられた男性服である。
だからこそ、パーカーのようなカジュアルな服装は、
その価値観に対する挑戦としての意味を持つのである。
花オクラを植えつけました。
草生やし農法はシソが施肥してないのに、
大きくなってきています。
ま、生ごみ埋めてるから自然堆肥がありますからね。
お隣のお客さんが連れて来られたワンちゃんが脱走。
吠えもしないし人見知りもしないいい子です。
番犬にはなってないはず。
カラスは獲らないけど鷹や鷲には持ってかれそうなかわいさです。
しばし遊んで戻しました。
やっぱり、おしゃべりに夢中でお気づきになってなかったです。
AIに聞いてみました。
「ダサい」の語源はいくつかあるそうですが、
最も有力なのは「だって埼玉だから」を略したという説です。
1970年代から1980年代にかけて、
若者の間や芸能界(特にタモリさんなどの発言)で使われ始め、
関東周辺の田舎っぽさを揶揄するニュアンスから全国的な流行語に。
明日からまた一週間が始まります。
不安定なお天気が続きます。
みなさまお体ご自愛くださいね。
では、また明日^^






