【人生】23歳新米教師・うつ病からの生還
おはようございます
前回の続きです
「9月で辞めよう!!
でも どうせ辞めるなら何かひとつ
楽しい思い出を作ってやめよう!!」
残していくクラスの子たちをどうとか
先生たちにどんな顔をされるかとか
家族や友人たちにどう思われてしまうかとか・・・
先生を辞めるという選択。
自分や周りの姿を想像し罪悪感に苦しみ続けた5か月間。
ああでもない
こうでもないとこねくり回し目の前のことが何も見えず絶望続きだった5か月間。
それが
辞めてもいいんだ
もし同じ思いが湧いてきたら辞めるんだ
楽しい思い出をひとつ作ってクラスの子たちとサヨナラする
そんな無責任な決断をしたら
自分でもビックリするほど心が解放
暑さの残る9月。
そんな自分に絶好の機会が与えられた。
合唱コンクール
もともと歌うことが大好きな自分
燃えた燃えた!!!
楽しい!
みんなとひとつになって歌うことって楽しい!
中学校の合唱コンクールは本当にドラマ。
よくあるシナリオは
女子はやる気満々 男子はなかなか火が付かず
この温度差でケンカが始まる
私にとっての初めてのこのクラスも例外ではなく
毎日毎日
女の子のリーダーたちがお子ちゃま男子に吠える日々。
長くなるので割愛するが
この日々の男女の小競り合いがもとで
女子の集団が真っ二つにわかれてしまうという大事件が勃発![]()
放課後女子全員で話し合い
私もAチーム加担者。
先生のくせして一方的な捉え方で一緒にワーワーやってしまったことが
体育会系女子Bチームの怒りの火をまともに受けるはめに。
そんな彼女たちの根本的な思いを聞いて聞いて聞いて
まずはココロから謝罪。
私を含めみんなみんなで泣きながら
徹底的に話し合い意見を出し合い
最終的には
どうしたらアホ男子がやる気になるか!??という一点で議論炸裂![]()
![]()
![]()
女子全員で
夕暮れの最終下校時間までどっぷり教室。
最終下校の放送がなり
みんなのココロはひとつっ!!!!
よし!みんなベランダにでろーーーーー!!!
夕陽に向かって歌うんだーーーーー!!!
出ちゃいけないベランダに私を含めた全員で飛び出し
夕陽
いや目の前の団地に向かって全員でクラスの歌を大合唱!!
まさに青春ドラマ
(酔ってる~![]()
![]()
)
自分の中の生きる魂。
この子たちと生きている
今 生きているんだ!!!
そんな喜びの気持ちが溢れ出し止まらなかった9月の終わり。
出てはいけないベランダで
それも夕陽の沈む団地めがけて大騒ぎ。
本当に
私は包容力あふれる先輩や校長教頭先生たちに育ててもらった。
「あの日団地からクレームがきて
教頭が電話口で謝っていたんだぞ」
私の兄貴的サッカー部顧問が苦笑いしながら あとでそっと教えてくれた。
また辞めるはず?の9月が終わり
10月。
中学校は忙しい
この月は文化祭。
今でこそ縮小されクラスでの催し物はほぼない。
が90年代半ば。
この頃まではクラスで何かをしなくちゃいけなかった。
他のクラスは
中学生の先のみえない動きがすべてわかっているベテラン先生ばかり。
きちっとアウトラインを示し
限られた時間の中で生徒たちがスムーズに活動できること
自分たちでそれなりに工夫し
達成感を感じられるものを文化祭に持ってくる。
始めから
グチャグチャガチャガチャ
収拾のつかなくなりそうなことはしないのだ。
が
先の全くみえていない新米担任の元
生徒たちは自由奔放
「やれ肝試しだ」「やれ迷路だ!」と大騒ぎ。
肝試し・迷路等は禁止されていたものの
『ためになる迷路!!』
勢い 文化的??要素を無理くり取り入れて検閲を突破
先のみえない担任の私と
同じく先のみえない生徒たち
計画性のなさから段ボールや小道具ばかりが積み上げられるも全くカタチにならず
文化祭前日ギリギリまで
38人+1名でバタバタの大騒ぎ
結局迷路の形は断片的にしかならず
代表の子が翌日朝一番登校をみんなに伝え解散。
全く迷路になっていない段ボールがあちこちに散らばる教室。
愛ある50代ベテラン副担の先生の協力のもと
7時 8時 9時過ぎまで突管工事。
生徒たちの手作りの段ボールの壁をはりはり
ほぼ7.8割教室迷路が完成
翌日生徒たちは
「わっ 迷路になってるーーーー!!
あとちょっとだ
あと30分だ!!
がんばろーーーーーーー!!!」
とテンションアップ![]()
![]()
![]()
やれやれとみんなの姿をみて一息ついていたところ
「とっティー・・・」
一人の男の子が私に声をかけてきた。
「とっティー 夕べ遅くまでありがとう・・・
ずっとこの教室明かりがついてた。
俺の部屋からみえてたんだ。
大変だったでしょ。ここまでやるの・・・・」
私に声をかけてくれたのはあの少年。
そう
「俺たちのこと嫌いだろっ!!」
こう吐き捨てたあの少年だったのだ。
彼は照れくさそうに一言だけ私に感謝の言葉を伝え
みんなの輪の中に入っていった。
迷路はぐちゃぐちゃだったけど大盛況!
「うちのクラス一番盛り上がってるーーーー!!」とみんな大フィーバーだった。
「いいか とっティーさん!
最初のクラスはな宝なんだ。
教員人生 いろいろなクラスを持ちたくさんの経験をしていく。
でもな
初めて受け持つクラスってのは一生忘れることのない宝物になるんだ。
いっぱい失敗しろ。
失敗してこそわかるんだ。
頭だけでこうなるああなるって考えるな!
口先だけじゃダメなんだ!!
思い切りやれ!
生徒たちと一緒に動くんだ!!
何かあっても俺たちがガッツリしっかりフォロするから伸び伸びやれ!」
こうした言葉を毎日のように私に伝え続けてくれた学年主任。
この言葉が苦しくて苦しくてたまらない時期が確かにあった。
が
暑い暑い夏が終わり2学期。
この主任の気持ちに少しでも応えたい。
「俺はいろんな学年主任をみてきているけど
あんなにスケールの大きな人はそうそういないぞ!
俺たちはたくさんのことを吸収できるんだ。ラッキーなんだ!
一緒に1,2,3年とあがっていくぞ!とっティー!」
そんな言葉も隣のクラス
サッカー部顧問の兄貴からよくもらっていた。
この人たちのもとで1・2・3年と3年間中学校をみていきたい。
子どもたちと一緒にここで過ごし
一緒にこの学校を卒業したい!
日本の学校を3年間
しっかりみてサヨナラする!
こう気持ちが変わっていったのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まさに生還でした。
私の熱さの原点はココ。
私の初めての職場は
校長・教頭を筆頭に人間的で本当に温かい
尊敬すべき人がたくさんでした。
だから あれだけの悲惨な状況でも
叩かれず見守っていただけたような気がしてます。
(あとで これはかなり恵まれていたということがわかりましたが (笑))
そうそう
【仲直り 夕陽で絶叫の合唱コンクール】
これ この4月久々にクラス女子4人と再会を果たした時
この話題で大盛り上がり![]()
12歳⇒36歳
あの時のうつ状態の話も赤裸々に。
彼女たちからも私がどうみえてたかという貴重な話もきけました。
ひまわりの話は初耳だったようで
いい年したオトナ女子5人
ランチ場所でみんなで涙涙でしたよ。
23歳のあの時の私に声をかけたい
大丈夫だよ! 真っすぐ進め!ってね![]()






