【人生】23歳・うつ病新米教師とっティー(1) | ぱいれーつかあさん☆彡羅針盤はマヤ暦!

【人生】23歳・うつ病新米教師とっティー(1)

こんにちは

こちらは しっとりとした雨が降っています。

 

 

自分の内面と向かい合うことが大切な【白い鏡】期間が昨日からスタート

 

 

別にだからというわけではないのですが

 

 

 

いつか記そうとずーーーっと思っていたこと。

そろそろかなぁ・・・・という気持ちがこの数日間湧いてきました。

 

 

 

セカオワの記事が大きかったのかもしれません。

「カウントダウン☆彡セカオワ野外ライブ」

 

 

 

私の人生の中で一番一番もがき苦しんだ23歳。

教員一年目の日々のこと。

 

 

 

 

以前大津でいじめ事件があった2012年

『どうして自分が中学校教師の道を選んだか?』という

ある意味どーでもいいシリーズものを書いたのですが

 

「なんで私が中学校教師に!?最終回」

 

 

フラフラきままで無責任な自分が

中学校の先生になる!と宣言してしまい

採用されるまでを記しそこで一幕。

 

 

 

「勘違い野郎の壮絶な一年

いつかこれを記事にしたいと思いますが

かなりエネルギーがいるので呼吸を整えてから・・・」

 

 

 

こんな言葉を残して5年以上の月日が経ってしまったんですね。

 

 

 

 

意を決して綴ります。

興味のある方はお付き合いくださいね

 

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「日本の学校は腐ってる!!!!」

 

 

 

フィリピンで完全な熱病に侵されてしまった私に

「批評家には誰でもなれる!」 との言葉を突きつけた元新聞記者。

 

 

 

「だったらやってやろうじゃんメラメラメラメラメラメラ

 

 

 

と教員採用の試験を受けることを決めてしまった私。

 (「なんで私が・・・最終回」

 

 

 

 

 

「なってやる!!」 と熱い気持ちから一年

 

 

 

熱しやすく冷めやすい22歳の私は

フリーター生活一年。

 

 

 

 

学校という縛りのきつい職場で働く自分の姿が想像できなくなっていたあせるあせる

 

 

 

 

 

教員採用の成績も中の下。Bマイナス。

採用枠の本当に少なかったその当時ほぼ内定は絶望的。

 

 

成績優秀なAや+Bの友人たちは2月上旬から

次々県内 それもかなり不便な地域から採用枠がうまっていく。

 

 

 

3月上旬

「君はちゃらんぽらんなところがたくさんだけど

先生に向いている!頑張れ!!」

 

 

と声をかけ続けてくれたA先生が

元高校校長の人脈!??

 

「君をこれ以上就職浪人させるわけにはいけない!!」

 

公立高校講師の話を持ってきてくれた。

 

 

 

中学生⇒高校生

ン??

 

 

まだ見ぬエリアにかなりの心配はあったけど

週3日。

それも7コマ足らず

 

 

 

 

そもそも

もともとなる気などなかった中学校先生業。

 

 

 

 

フィリピンの熱がすっかり冷めていた私は

 

正採用 

正教員なんかならなくていい

逆に週3日のみ それもたった7コマ。

 

縛りがない。

自分の自由な時間がある。

ここでまた何かを探していければいい・・・

 

 

 

親はがっかりするかもしれないけど

これは私の人生!!

 

 

 

自由に動き回れた方が

きっと何かをみつけられるはず・・・・

 

 

 

こうして3月

私は高校に挨拶。

何度か足を運び

4月からの自分の姿をぼんやりと思っていた。

 

 

 

 

 

そんな時 

忘れもしない3月25日

 

 

 

 

突然動き出したのだ

 

 

 

 

 

「おめでとう!!千葉市の中学校から正式採用だよ!!

突然枠がもうけられんだよ!!」

 

 

 

A先生から直々の連絡だった。

 

 

 

 

 

 

こうして私はその10日後

「私もみんなと同じ一年生のとっティーです・・・・」

 

 

 

 

小学生の香りの残る

キラキラした中学一年生の担任として教壇に立っていた。

 

 

 

 

 

 

これからの中学校生活の期待と不安とないまぜの

まぶしすぎる12歳の少年少女たち

 

 

 

 

 

38人の顔が真っすぐに私をみている。

『この先生が担任なんだ!!』

 

 

 

 

ドキドキしつつあいさつをした。

一生懸命あいさつをした。

 

 

いきなり学活と言われてもどうしていいかもよくわからない。

何もわからない。

 

学年主任や先輩たちからもらったプリントの束。

伝達事項を一生懸命伝えた。

 

 

 

 

これからこの子たちと過ごしていく。

どうなるんだろう・・・

どんなことが待っているのだろう・・・・

 

 

 

何もわからない。

 

 

 

ただただひとつ

大学4年の九州チャリンコ旅で出会った阿蘇の先生の言葉

「教員にできることはただひとつ。

一緒に生活していくことだけなんだ」

 

「なんで私が教師にシリーズ 阿蘇での出会い」

 

 

 

 

この子たちと生活していくんだ・・・・

 

 

 

 

38人の真っすぐ過ぎる顔を前にドキマキしつつ

この時はどこか高揚感のようなもので満たされていた気がする。

 

 

 

ずっと逃げつつ

どこかで求めていた自分。

 

 

ひとつのことに責任を持ち

一生懸命やってみる

 

 

 

もうやるしかない!!

 

 

 

 

これが教員としての私のスタート第一日目。

 

 

 

 

ここが

途方もなく暗く先のみえないトンネルの入り口だったとは

この時は夢にも思わない23歳の私だった。

 

 

 

 

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ついに一歩書き出すことができました。

 

 

正直重たいのでサクっといきたいところだけれど

どうなることか(笑)

 

 

 

 

ちょっと補足(愚痴!?)

中学校でいきなり担任!ってほぼないんですよ。

副担任として一年様子をみてからが普通。

 

現に同じ市内採用同期5人中 いきなり担任最前線は私一人。

 

正直 コレはほんとにキツカッタ

ましてや やる気がもともとあった人じゃなかったからね

(自業自得ニヤニヤあせる

 

 

でも今思うと

無責任ルポライター教師の私がいきなり担任

 

 

これも私という人間の人生に必要な流れだったのかもしれません。

(マヤ暦でみてもガッツリはまるのよ コレがまた恐ろしいほどあせるあせる

 

 

 

 

ぱいれーつアンコール劇場

 

「どうしてとっティーさん 中学校の先生になったんですか??」

そうした言葉をいただいていた2012年

熱い熱い記事にしていました

シリーズ 「なんで私が中学校教師に!?」

 

 

心配し続けてくれた恩師が旅立ちました

「再会2」 (2014年5月)この頃マヤ暦に出会ったんだわラブラブ