【人生】23歳・うつ病新米教師とっティー(3)
おはようございます。
『笑いと癒し
ココロを軽くするお手伝いしますよ~![]()
』のマヤ暦アドバイザーとっティー
ぶっちゃけてます![]()
![]()
洒落にならない奈落の底時代 回想録。
今回が一番底辺。
彷徨い ココロが叫び続けた
正直二度と味わいたくない日々を綴ります。
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17歳
高校2年のはじめに部活を辞めてから
何かひとつのことに打ち込むことのなかった自分が選んでしまった道。
中学校の先生の道。
『こんなところにいたくない』
『ここから逃げたい』
『逃げられないのなら自分を消すしかない・・・』
どんどんそんな思いに憑りつかれていった自分。
この時私は職場である学校が苦しかったが
もうひとつ 私にとって地獄のような場所があった。
市の教育センター
新卒一年目の教員は週一度必ず研修で顔を合わせる。
小学校採用15人
中学校採用5人
ここで同期採用者が毎回顔を合わせるのだ。
「私2年生!もうクラス大変!でも可愛いんだよ~![]()
」
「私は4年!今日もドッチボールしてきた~![]()
」
小学校採用者は地元の国立大初等教育学科出身者が圧倒的。
「小学校の先生になりたい!!」
そんな夢を抱き
高校時代から勉強に部活に ひたむきに頑張ってきた子がほとんどだった。
中学校の4人はみんなそれぞれ。
だけど小学校採用者も中学校採用者も
大変だ!!
寝る時間がない!!
と叫びながらもあふれ出る充実感は共通項。
志が違うのだ。
全く違うのだ。
そりゃそうだ。
どこに
「マスコミで騒がれている教育現場が本当かどうか確かめたくて
ルポライター的感覚で志望しました!」
などと大口を叩き教員になってしまった人間がいるだろう
私はみんなと違う・・・
先生になりたくてここに来たみんなと違うんだ。
熱量の違い
自分は大変なところに身をおいてしまった・・・・・
自分が試験を受けてしまったからここに私はいるんだ。
自業自得だ・・・・・
でもできることなら ここから逃げ出したい
研修先で夢を叶え
エネルギッシュに教員生活を送る同期たちと過ごす時間は
より私を落ち込ませた
「あなたは何かできる人!」
「きっと大きなことができる人!!」
「あなたはダイヤモンドの原石!」
そんな言葉をかけられながらも
何をやっても面倒になり放り投げてしまった23年間の人生。
私という人間がいかにその場しのぎ 場当たり的に生きてきてしまったか?
自分には何もない・・・・・
自分は何もできない・・・・・・
研修の度に
自分が価値がない人間だという思いがパンパンに膨れ上がってきて
どうしようもなかった。
私はある日の研修の帰り道
センター近くの薬局に寄った。
死にたい
死にたい
死にたい
何で自分が死ねるかなんてわからない
なんでもいい
強烈そうな薬
動悸 息切れに効くと大きく書かれたパッケージの薬を
ぼーーーっとした頭で選び
レジに向かった
「人生 あまり思いつめない方がいいわよ・・・」
初老手前の薬屋のおばさん
みるからに この子はやばいと感じるオーラ全開だったと思う
5月の末から6月にかけて
私は外に出ては
何度も歩道から車道にカラダが向いていく感覚に襲われた。
それだけじゃない
駅のホームに立ち 線をこえホーム下に吸い込まれていくような感覚
授業のない空き時間
ベランダから自分の身が外に飛び出していくような感覚
実際この行為をしたわけではないけれど
ここで死ねたら楽かな・・・
そんなことばかり頭で埋め尽くされていた。
ある時 こんな私を心配した大学時代の親友が
一晩うちで過ごしてくれたことがある。
社会人 平日の貴重な休みに
朝起きられない私を起こし
職場の近くの駅まで同行してくれた。
さらに学校へむかうバスに乗る私を見送った彼女。
「あの時のとっティーは本当にヤバかった。
ココロが苦しいって叫んでる
助けてって叫んでる。今にも泣きだしそうだった。
強制収容所に連れていかれるようなそんな表情をしてたよ」 と後で話してくれた。
そんなこともあった。
フラフラな精神状態で
活気あふれる中学校という職場にいく自分。
あの時どんな風にごはんをたべて
どんなふうに仕事をしていたかってほとんど思い出せない。
ただただ横になりたい
横になりたい
どこかにいってしまいたい
消えてしまいたい
苦しくて苦しくて苦しくてたまらなくて
ある時は一人部屋で荒れ狂い
障子をビリビリに破り倒れるように眠りについた。
ある時は真っ赤なペンで遺書めいたものを書きなぐり
薬局で買ってきた薬を口に放り込む。
10錠
10錠なんかじゃ死ねないね・・・・
強烈な頭痛と吐き気。
黄色い胃液を吐きながら
死ぬ勇気ももてない哀れな自分を呪った。
朝がくるのが怖かった。
本当に怖かった。
ある日母が
「あんたが毎日そんなんだとお母さんまで胃が痛いよ・・・。
胃潰瘍かもしれない。病院で診てもらってくる・・・」
病院で診察を受けた母がその数日後
「お母さん ガンだって。
悪性の胃ガン。ステージ4の手前。末期前だって・・・」
母はこの時きっとこう思ったに違いない。
「この子はきっと私がガンだとわかれば
目が覚める! また立ち上がる!!」
どこかでこう思っていたと思う。
だかとんでもない。
私はますます暗闇の奥へ・・・
「私は人間失格・・・
お母さんがガン
でもこんな自分が生きてるなんて・・・・」
大切な母の生死がどうこうよりも
息をすることすらどこか苦しい自分がまだこの世に存在しなくちゃならないこと
それが苦しくて苦しくて・・・・
姉や父にハッキリ言われた。
「あんたのせいで
お母さんがガンになったんだ!!」
目も合わせられない自分。
そりゃそうだよな・・・・
フラフラと部屋に戻り倒れるように床につく。
そんな毎日。
完全にココロが死んでいた。
母の手術日が告げられ
母は入院生活に・・・
学校でどんな風に過ごしていたか
申し訳ないがこの時の記憶はほとんどない。
ただ自分の中で
夏休みになれば
夏休みになればクラスから解放される・・・・
担任でいなくていい
あとちょっと
あとちょっと
辞めるか辞めないか
夏休み考えればいい・・・・
あとちょっと・・・・
そう思い日々流していったことは覚えている。
そして最終日。
終業式の7月20日。
どこかでこの子たちの前で話すのは
今日が最後かもしれない・・・
そんな気持ちがあった。
この子たち38人の顔をこうしてみるのは
今日が最後かも・・・・
解放感いっぱいの生徒たちに
さよならをして
やっとおわった・・・・と職員室の崩れるように席についた。
やっと終わったのだ・・・・
やっと終わったのだ・・・・
するとしばらくして
にぎやかな声が廊下から聞こえてきた
「失礼しまーーす!!
とっティー先生に用があってきました!!」
元気な女の子3人が
せんせーーーきてきて!!
みてみて!!! と私の手を引っ張り走り出した。
さっきまでいた1年3組の教室。
苦しくて苦しくて
まるで十字架に張りつけられたように追い詰められ
それでも何とか立ち続けた空間・・・・
連れてこられたその教室にあったもの
それは
『ひまわりみたいなとっティー先生
大好き❤❤❤
2学期もよろしくね!!』
3人の女の子の熱いメッセージだった。
ごめんね・・・
ごめんね・・・・
ごめんね・・・・・・
本当にごめんね・・・・・
ずっとずっとみてくれていた子たち
ひまわりとは程遠い自分なのに・・・・
きっと入学式のあの時の自分がひまわり。
3人のこの生徒たちはよくわかっていたのだ。
23歳の自分たちの担任のココロが壊れてしまっていることを。
もうこの人は戻ってこないかもしれない。
『先生!
また必ず戻ってきて!!逃げないで!!』
そんな思いが詰まった黒板の絵そしてメッセージ。
私は大粒の涙をこぼし
12歳13歳の女の子たちにありがとうをした。
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次回がウツ病から脱出した自分を記します。
いやぁ~でもほんと今涙で顔がグチョグチョ。
この黒板のひまわりの絵の話。
これ私思い出すだけで涙がとまらないんだよね。
自分がウツだったこと
私は全然自分の周囲にオープンなんだけど
この話をすると
どんな人を前にしてもこみあげてくる涙が止められなくなるんですよ。
今 千葉駅スタバ
はっきりいってヤバいです(笑)
鼻水もグチョグチョよ![]()
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このひまわりの絵の中心的人物Sちゃん。
この子はもう教師と生徒という間柄じゃなく
今では大切な友人。
25年のお付き合い。
昨年はお子さんを連れて我が家に遊びにきてくれました。










