なんで私が中学校教師に!?〈最終回〉 | ぱいれーつかあさん☆彡羅針盤はマヤ暦!

なんで私が中学校教師に!?〈最終回〉

長く引っ張り続けてしまったシリーズも 今回がほんとの最終回。

    

    なんで私が中学校教師に!?〈1〉      

    なんで私が中学校教師に!?(2)
    なんで私が中学校教師に!?〈3〉  

    なんで私が中学校教師に!?〈4〉

    なんで私が中学校教師に!?〈5〉

    なんで私が中学校教師に!?〈6〉




青い 青い 青すぎる単純・場当たり的感覚的な言動の数々・ そして出してしまった結論に 呆れるみなさんお顔が想像できてしまうのですが・・・・


ここまできたら まる裸!!

覚悟を決めて 最後までかきますあせる



フィリピンで何が起こってしまったのか!?

一体 どんな人物に出会ってしまうのか!??


では

最終回 「なんで私が先生に!??」 よろしくおつきあい下さいませにひひ









ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう





自分のリコーダーを吹いている

フィリピンの子ども達の顔がみたい!









ただそれだけの理由で Sちゃんとフィリピンへ・・・


ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう



私達を迎えてくれたMちゃんは

2つの大きなプランを計画してくれていた。


2週間の滞在期間

前半は フィリピンリゾートの旅

後半は マニラ周辺 

リコーダーの子ども達にも ここで会える。





フィリピンリゾート!!


とはいっても ホテルが乱立する島ではない。


ボラカイ島


Mちゃんの一押しの島。

私が訪れた当時は舗装された道路など どこにもなく、 まだ電気も通っていなかった。

浜辺に小さな小さなシャワートイレつきのコテージが並ぶ。


一歩 奥へ入ると  白い砂浜の小さな路地を

ニワトリや子ども達が駆け回っているような 本当に素朴な島だった。



リゾート・・・

予定などゼロ。

友達やほかの観光客は きままに浜辺で昼寝をしたり 本を読んだり 海にちょこっと入ったり・・・


何もない贅沢な時間を堪能していた。



私はといえば どうにもこうにも

浜辺で無邪気に走り回っている子ども達が気になって気になってしょうがない。


ちょっと目があうと どの子も恥ずかしそうに微笑み 

何度もそれを繰り返していると 大きな目をくりくりさせて無邪気に話しかけてくる。


ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう


毎日毎日海で遊び

親しくなったのが 島の中学生。


最後の夜は 私のために

巨大な砂山を作ってくれたり 歌をうたってくれた

14歳の少年達。







ひとなつっこくて 一番はっきりしていた ジョン君とは

何度か手紙のやりとりもした。


彼は 「中学校の先生になりたい」といっていたが

その後、どうなったかはわからない。








そして後半。

メインのリコーダーの村。


マニラから ジプニーで1時間。

それから さらに トライシカルという100ccほどのバイクに乗客用サイドカーをつけた乗り物で

ガタゴト道を・・・・


やっとの思いで その村についた。
ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう


何もない

ただあかちゃげた大地が広がる村。


あまり作物の育ちもよくなさそうな

そんな村。





そんな荒涼とした場所に到着するや

どこからか わらわらと子ども達が・・・・

ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう



「アテミキ!!」(みき姉ちゃん!)

「アテミキ!!」(みき姉ちゃん!)


幼稚園児くらいから 大きな小学生まで

アテミキを囲む輪ができ 大騒ぎ。


流暢なタガログ語で

子とも達とやりとりをするMちゃん。




こんな空間で生きてるんだな。


リゾートでゆったりしていたMちゃんとまるでちがう表情をみた私は 

なんだかとってもMちゃんが羨ましくなった。



そして この旅の一番の目的

私のリコーダーを吹く子ども!!


が、残念なことに フィリピンの郵便事情は悪く

金目のものと思われた第2陣のリコーダーは 届いていなかった。(これ現実あせる



自分の笛はみられなかったけど

わらぶき屋根のみの小さな小さな集会所?のようなところで 何曲か披露してくれた。

ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう


なれない指で懸命に笛をふく子とも達・・・


貧しく学校に通うことができない子ども達

毎日毎日 家の水くみだなんだかんだと家族の一員として生きる子ども達。



20 30人の子ども達が

週に一度の『アテミキ』学校を楽しみにしているという。





遊び場といえば この赤土を走り回る。
ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう



私も一緒に おにごっこをしたり

Mちゃんが教えた 「だるまさんがころんだ」をしたり


(だるまさんがころんだ の日本語は難しいので

 マガンダンウマガ!!といっていたにひひ

  (タガログ語でおはようございます)





ちょっと大きな男の子達は

すぐわきの脇で洗濯をしているような深く大きな貯水池

決してきれいとはいえない汚れた池に 何度も何度もダイビング!!!




私達が驚けば驚くほど

彼らは盛り上がり 空中回転をしたり さまざまな芸をを交えたダイビングをみせてくれた。



ここには ゲームなんかありゃしない。

なんとまあ

なんとまあ たくましく 生き生きしてるんだろう・・・・



こんな子ども達と たった一日だけど過ごした時間は

私にとって強烈なカルチャーショックの連続だった。




家が貧しく 学校に通えず 家族の一員として生き続ける子ども達。




何にもない場所で 生きる子ども達。



私は そのあとさらに Mちゃんからこんな話をきいた。


ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう


「ここの子ども達にね

  大学のレポートをかくのにアンケートをとったの。


『あなたは 日本という国をどんな国だと思いますか?』

 そしたらね

 くるま!とかテレビ!とか 

 物がたくさんある!! とか そんな言葉がたくさん

 かかれてたの。」



ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう




「アメリカとか他の国や 首都のマニラのことなんかも

 設問にかいたけど最後に こんな質問をしたの。

『あなた達の住んでいるこの場所はどうですか??』

 って。・・・なんて答えたと思う??」






この子達の住んでいる場所。




何もない。本当に何もない。

学校にもいけない。

遊び場が 汚い貯水池・・・


なんだろう。 なんて言葉が出てきたんだろう・・・・


ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう



「『HAPPY』

 8割の子ども達が

 HAPPY 幸せって答えたんだよ・・・」





この言葉は私にとって 胸の奥の奥の奥まで突き刺さった。




私は自分が生きてきた環境を 「幸せ」という言葉で表現できただろうか??


日本の子ども達が 

自分の生きている場所を なんのためらいもなく「幸せ」と言えるだろうか??




テレビでもゲームでもなんでもある。

洋服だって 困らない。

食べ物にも全く不自由しない。


でも 物欲は限りない。

ひとつのものを手に入れると また新しい新製品・新商品が出されていて

もっと もっと もっと・・・ とさらに新しいものがほしくなる。


いくら手に入れても満ち足りない日本の生活。



学校はどうだろう・・・

勉強したいという強い思いをもって 学校に通う子どもなんて どれくらいいるだろうか??


厭々勉強をさせられて ある年齢になったら 受験受験!

そして 

何になりたいかもわからずに レールにただ乗り はずれることが恐くて生きてきてしまった自分。



物に満たされても 心が満たされない日本という社会。


自分がこんなに情けなくひ弱な人間になってしまったのは

日本という社会が悪い!!


大切なことを伝えてくれなかった大人達 そして学校!

(伝えてくれた人はいたのに 自分が聞く耳をもたなかったと今となっちゃ内省)


どうだ!

テレビや新聞

絶望的なことしか 報道されてないじゃないか!!

ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう


いじめ 自殺

受験地獄

学級崩壊

教師の質の低下・・・・







子どもから大人まで誰もが忙しく 人間性を失っている日本社会・・・・ 

隣近所の人の顔もよくわからないような希薄な人間関係・・・・

日本なんて国は くそくらえだ!!

大切なことを伝えてくれなかった学校 そして大人達はクソくらえだ!!



ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう

私は・・・

「物がなくても幸せ」といえる

こんな場所で生きたい!!


こんな場所で 子ども達から

たくさんたくさんいろんなことを教えてもらいたい!!





いつか絶対

こんな場所で 先生になる!!


勉強したくないのにさせられる日本の子ども達じゃなくて

学校に行きたくてもいけない 子ども達のいる場所で先生になる!!





たった2週間

そして ほんの数日の子ども達との触れあった。


ただそれだけで

私は世界のすべてを知ってしまったような完全な熱病に冒されてしまった。




私の頭の中は

フィリピンのあちこちで流されていた マイケル ジャクソンの「Heal the World」

と 徳永英明の「最後の言い訳」のタガログ語バージョンがぐるぐるとまわり

あっちの景色をみてもうるうる

こっちの景色をみてもうるうる


いつかいつか絶対に こんな場所にかえっくる。

そして幸せを知っている子ども達と生きる!



勘違いした使命感でいっぱいになっていた フィリピン。


その最後の夜・・・


ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう




Mちゃんが最後の夜にアレンジしてくれた食事会

自分にとって お兄さんのような

日本人の留学生仲間を紹介してくれた。







ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう



Oさん

一回り年上の30をこえたOさん。


Oさんは なんと元朝日新聞の記者。







特派員話もあったエリート記者さんだったのだが

連日 睡眠もまともにとれない激務と 健康診断でひっかかってこそ一人前扱いされる

記者生活に嫌気を感じ退職。


大阪府からの府費留学生として フィリピン大学で国際経済を研究されている方だった。



お酒がまわってしまったのか??


最後の夜ということで かなり感傷的になっていた22歳は、初対面の人生の先輩を前に

自分の胸の内をぶつけた。


ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう


「日本って国は 間違ってる!!

 日本の学校は腐ってる!!

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いじめ 学級崩壊 受験地獄

画一的すぎる教育。

そんな日本の学校現場で生きていきたくない。 

大切なこと 幸せの意味を知っている

そんな国 そんな場所で先生として子ども達と生きていきたい!」




自分がすっかりお世話になった小中高・教育実習の先生方

そして 懐いてくれた中学生のことなど すべて吹き飛び 青い青い青すぎる思いをいっきにまくしたてた。



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冷静にうなずきながら 若造の話をきいてくれていたOさん。

最後の最後まで 口をはさまず黙って聞き続けてくれた元新聞記者が一言・・・・





ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう



「批評家には

 誰だってなれるんだよ・・・」

 




大きな大きな金槌で 頭をドカンドンッ


批評家には なれる・・・

批評家には なれる・・・


Oさんは続けた。
ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう

「君は日本の学校現場の何をみた!??

 生徒としてではなく 先生として何かをみてものをいっているのか??

 結局は テレビだの新聞だの マスコミの意見を口にしているに過ぎないんしゃないか??


マスコミの言っていることが すべて本当だと

思っちゃいけない。」





ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう
「君はもう日本はうんざりだといっている。


 でもそれだけの文句を日本の学校に対していえるってことは 気持ちのどこかで日本っていう国を愛しているからなんじゃないか?なんとかしたいっていう思いがあるからなんじゃないか??


 ほんとにほんとに嫌だったら 

 無関心になるはずだ。」





ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう
「フィリピンなどの国の教育にかかわることも

選択のひとつかもしれないが

マスコミに振り回されず 自分の目で日本の学校を確かめてからでも遅くないんじゃないか??


実際 自分で学校現場に入ってみる。

いろいろ感じてみる。そしてそこで自分が実際に感じたことを 手書きの新聞でもなんでもいい。

自分の友達100人に伝えるんだ。

マスコミの目ではなく 現場の人間だからこそ

伝えられることがたくさんあるはずなんだ。」


「自分が 現場でいいと思ったこと 疑問に思ったことなど

 100人の友達に伝えることで その中の誰かが あなたの声を他の誰かに伝えるかもしれない。
 そうすることで ほんの微力かもしれないが

 人の意識というものは変わっていくんだよ。

 

 あなたが日本の学校現場に入り 本当のことを発信していく・・・

 そんなことを考えてみてもいいんじゃないか・・・・」




批評家には誰でもなれる!!

あなたが学校現場に入り 自分で発信していく・・・





フィリピン最後の夜

売られたけんか??を思い切り買ってしまった私。


ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう


批評家だと!??

だったら 

自分の目でみてやろうじゃん!! 

発信してやろうじゃん!!







学校の先生が激務だとか、中学生はこわい!?とか

そんな意識は どこかにぶっとんでいた。



帰国後、私は内定辞退の話をしに企業へ頭をさげに・・・・



両親もびっくりしていたが 生活の安定を約束されている学校の先生なら・・・

と許してくれた。


ホテル系列のレストランで フリーター生活一年。

こうして私は一年後 中学校の先生になってしまった。


ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう



「あなたの(中学校教員)志望動機は??」







ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう

 

「マスコミで叩かれている教育現場が本当か

 自分の目でみたくて ルポライター的感覚で

 志望しました。」








私は ただこれだけを言い続け 成績も悪かったのに先生になってしまった。


正式採用が決まった3月末。


ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう



「あなたの目で

 日本の学校現場をしっかりみて感じてくださいね。



 頑張って下さい。」








そうはっきり言われたことを 私はよくよく覚えている。





そして ルポライター教師とっティーは いかに!??あせる






ただ一言


批評家になるのは 簡単だった叫び叫び叫び



今回は ここでおしまい。

私の10年ちょいに渡る 学校現場体験!!

特に 最初の一年は壮絶すぎました。



どんなことでもそうだけど

批評家になるのは簡単でしたあせる




勘違い野郎の壮絶な一年

いつかこれを記事にしたいとは思いますが かなりエネルギーがいるので呼吸を整えてから

にしたいと思います。いつもののネタもあふれ出しているのでにひひ




こんな長すぎる どうでもいい私の回想録につきあってくれて本当にありがとうございました。


最後まで読み切りました!!

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