今年も、舞踏家 奥村薫さんがねこ福を「生き様の縮図」舞台へと変貌させてくださいました。
舞踏、神羅万象いかようにも見て取れる物語。
抽象度の高い身体芸術のステージ。
今回はこんなふうに始まりました。
なんら手を加えていない会場、いつものねこ福のしつらえが、様々な意味合いと役割を帯びて語り始める。
オーナーとしては、この空間変容の瞬間がたまらなく好きです。
ステージのために用意されたのは唯一、今日を最後に咲き納める紫蘭の花束。
季節を謳歌しきって、穂先にかろうじて1輪を残すのみとなった旬を過ぎた花。
刈り取ってしまおうか躊躇してるうち当日になり、舞台に華を添えることとなりました。
流れる曲は『The distant shore』。
直訳すれば「遙かな岸」だけれど、「夢幻の世界」「異郷」などとも解釈が膨らむ曲調。
事前に試聴したとき、私は『彼岸』を重ねました。
生まれ出ようかどうしようか…、襖の隙間からこちら世界を窺う手の動きがしばらく続きました。
この場面、占星術の最終度数魚座30°が連想されました
終えたはずの娑婆への入り口がまた開いた
不安が引き留めるけれど、もう生命力を抑えられない
360°のうち最もドラスチックにエネルギーが切り替わる象意で、概念化するのが難しいところ
人はこういった問答、プロセスを経て生まれ出てくるのかもしれない。
そんなヒントを受け取りました。
奇しくも障子の向こう側は仏間。
仏壇を預かる身としては、なぜ生まれてきたのか、どんな念を遺さず去るが良きかと、そんな連想が巡りました。
けれど受け取り方は人それぞれ。
花は娘の優しさの象徴。
そんなことを感じる癒しの時間となりました。
とか。
生き様というお題のなかで最も気に掛かる事柄が投影されるものなのかなと。
過去2回の公演は1ステージのみでしたが、今回は友人のEric Larsenさんも共演され、EricさんのSolo、薫さんとのDuoと続きました。
計3幕、様々な舞踏に触れることができました。
京都に生活拠点をもつEricさんは、和の精神を異邦人の視点から提示くださいました。
日本人が顧みなくなりつつあるものを繋ぎ止める、そんな想いを受け取りました。
Ericさんが舞台とされたのは仏間。左方からは仏壇もじっと舞を見つめている。
ご本人が意図されずとも、この屋敷を受け継いできた人々の叫びが目覚め、解き放たれてくのをオーナーはキャッチせずにはおられません。
明治、もしかしたら江戸時代まで時空が融合して同時展開し、往年の住人が大切にしていた精神を語り聞かせてくる。
そんな体験をさせてもらいました。
薫さんの舞踏とはまた全然違うアプローチ。
でも「すべてのものと繋がる感覚」をもたらすのが舞踏と定義したとき、これもまた舞踏でした。
3幕目は共演。
間近で、じっくり舞踏三昧の午後。
公演後には交流会、場所を移しての二次会と、ご参加くださった皆様全員と懇親を深めることができたのも良き思い出となりました。
Ericさんを囲んでの座談会は、ほぼ英語。
通訳不要でも会話が盛り上がるのは“舞踏効果”、ハートで会話できているからと薫さんはおっしゃっていました。
縄文人は虫とも木々とも会話ができて、争いなく1万年の平和な時代を築いたというからに、舞踏は縄文世界への入口ともいえるかも。
薫さん、今年も凱旋公演の会場に選んでくださりありがとうございました。
Ericさん、お越しくださった皆様、心温まる交流をありがとうございました。
演者お二人の詳しいご紹介はこちらに。
次回、より詳しくお二人のことをご紹介しますね。
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