先日スマホを忘れて出掛けてしまいました。京都観光にカメラ持たずにって、…どうよ⁈
そんな日に限って、フォトジェニックな光景に出会えるもので…。
でも、心のフィルムにしっかりと焼き付けようとすると、見え方も感じ方も変わってきますね。
発信という他者目線をまったく意識せず自分の感性にのみ集中すると、一期一会を実感できて深い充足感がありました。
時間も地図もわからない。
けれど、なんとなくの‘察し’が発動しだすと、風景がしっかり見えてくるんですよね。
手掛かりを得ようとあらゆるものをよく観察するようになる。
事前に行き先周辺の地図を覚えておくのが習慣なので無事目的地にも辿り着けたし、図らずして濃ゆい旅気分を味わえました。
そんななか、
出会い頭に、スマホを凝視しながら列をなす外人さんたちに出会しました。
儀式みたいでギョッとしました。なんかね、操られてるような生気ない足取りの群れ。
同じ道へ曲がろうと思ってたんだけど後ろをついていく気になれず、細い路地へと紛れました。
街並を見ようよ!スタンプラリーのような旅じゃもったいないっと思いました。
これはいつぞやかのスマホを所持してた日の京都
前日に確認した地図の記憶だけで歩くわたし。スマホでVRに没入してるかのようにその場から分離され歩く外人さんたち。
なんかね、あまりにもAIを頼りにしすぎた顛末はこうなる…ていうような光景を見た気がしました。人工知能の奴隷。
道、間違えたっていいやん。迷ったら、誰か捕まえて尋ねればいい。そこに交流が生まれ、現地の匂いに触れ、文化を知る糸口になる。思い出が増える。
ちょうど、地図を片手に海外旅行してた頃のそんな気分が蘇っていたタイミングで遭遇した、スマホに誘導される旅人の群。。
目的地(正解)を目指すだけの旅路が取りこぼすものの多さをまざまざと見せてもらいました。
これもある日の京都の空
わたしも合理主義愛好家で、正解へ最短ルートを追求するのが好きです。上手くいけば快感だし、仕事の段取りにはめっちゃ大切。
だけど、効率を追求するだけでは手に入らないものもある。
想定外のことが起きたときに判断の拠り所になるのは、発想力だったり勘だったり平常心だったりする。
そういうのは、感覚や感性を磨くことで鍛えていくもの。
だから必要以上にナビに頼らない、AIに投げても最終確認と決定は自分でする。
便利ツールを頼るシーンは極限まで減らすことを心掛けています。
AIが根拠にしているのは前例の集大成でしかないので、無限の可能性を阻むことだってある。
感性の世界は、デジタルの1か0かの集積よりもっと緻密で広大です。
第一線の研究者や実業家はほぼほぼ芸術愛好家だということも、それを物語ってるのかなと。
さて、来月は久々に絵画鑑賞サロンを開催します。
次回だけは特別で、題材がもう決まってます。
フェルメール『真珠の耳飾りの少女』
この夏、中之島美術館にこの名画がやってきます。
おそらく会場はものすごい混雑になりゆっくり鑑賞するのは難しいことでしょう。
そこで、事前に高画質プリントしたパネルでじっくりゆったり親しんだのち、美術館で本物にご対面しましょうという企画です。
日程はこれから調整しますので、ご興味ある方はお声掛けくださいね♪
AIに頼る分だけ、感性を刺激する時間もつくりましょう。


