奥村薫さんの舞踏公演レポートの続きです。
幅125cm、奥行き25cm、猫の額ほどの床間を舞台に繰り広げられた深層描写。
そこに見出されたものは、観る人それぞれで違ったことを昨日お伝えしました↓
人は見たいように見て、思いたいように解釈する。
目の前で起きていることはすべて自身の心の反映であるとは、こういうことですね。
すごぶる端的に見せてもらえました。
表現がものの深部に迫るほど、汲み取れることの幅も広がる。深ければ深いほど万人にとっての鏡となりうる。
かねがね私はそのように考察しています。
今回の公演で観客の皆さんが感じ取ったストーリーの多様性を思うと、舞踏という芸術の深淵さが窺えました。
ステージの終焉は、諦観した主人公が嵌め込まれた“枠”から歩み出ることで締め括られました。
次のステージへと進むかのような、捉われから抜け出せた開放感に安堵させられるような、客観的視点から我ごとへと転換させられたような…
それこそ何通りもの感じ方があるのでしょうが、次元昇華の印象とともに音楽も消えてゆきました。
っと、途端に生身の奥村薫さんが現れて客席との談話を始められ…。
体温も個性もある人物が現れた。
先程までとは二回りも三回りも小さく見える。
「舞踏のときには空間の隅々までを自分だと意識している。歌うなら声で空間を埋めようとするだろうけれど、舞踏では身体でそれをやろうとしている。」と、薫さん。
片隅に置いた水仙とのバランスが絶妙で“絵”になる。
「水仙も自分の一部だと意識する。ある瞬間、水仙と自分の存在が入れ替わる。そのようにしてあらゆるものとの呼応をしていると勝手にバランスが取れてくる。」
「舞台で共演するときも、相手とちょうど良いフォーメーションが自然と取れてるのだけど、それもどこかで互いが繋がってるからなのよ。」事前打ち合わせもしないという。
それら、いわゆる集合的無意識での繋がりなのではありませんこと?
知りたい!
「う〜ん。どうやって繋がってるんだろうねぇ。」全てに意識を張り巡らせてる人でも言葉に変換できない感覚なのだ。
喰い下がるよぉー。
舞踏の最初歩ってどんなことを習うのですか?
「集中を切らさない訓練。」
「極限体験。人が死んで再び生まれる体験、進化の歴史を遡ってアメーバーまで戻る体験。そういうのを自分なりに表現させられる。」
なるほど!日常では思いも及ばない、あるいは決して体験することもないような状態へと意識を向け、イメージする。それを身体表現へと具現化する訓練。
それぞ集合的無意識へのパイプ開拓ではなかろうか。
舞踏を終えたままの体勢で小1時間、このような対談に応じてくださったのでした。
粗く内容を要約してしまうならば、意識を向けることが肝である。
直感とは、細やかな意識の集大成であること。意識を向けずして思い通りに今を創造できることなどあり得ない、といったことを学ばせてもらったように思います。
舞踏が、「何故かわかならいけれど気になってしまう芸術」である理由が少しわかった。気がする。
場所を変え、改めて茶話会を。
人間社会に舞い戻った奥村薫氏は、マイクロソフト社で取得した特許を解説くださいました。
なんて振り幅なんでしょう!
米ワシントン州シアトル在住の舞踏家
・学生時代に舞踏と出会い、1993年から元藤燁子(暗黒舞踏創立者の妻)に従師
・コンピューター研究者として日本IBM東京基礎研究所入社
・1998年にマイクロソフト本社勤務となりシアトルに移住
・2008年地元の舞踏グループと活動を再開
・ソロ舞踏シリーズを中心に国内外のアートフェスティバルなどで活動中
・2016 年 グーグル「アートと人工知能」と6カ月にわたり共同研究、発表
・2023年より日本凱旋公演を開始、本年で3度目
引き続いての懇親会では、シアトルにおけるアンダーグランド事情などを哲学。
本質を論議するとき、それは下世話な話題ではなくなっていく。不垢不浄。
『Eyes Wide Shut』を引き合いに出せる談義は痛快でした。
だから、薫さんとのおしゃべりはたまらなく楽しく、知的好奇心を触発されます。
午前の打ち合わせから深夜まで薫さんを独占した1日。3日分くらいの密度でした。
薫さん、貴重な日本滞在時間をねこ福にシェアくださりありがとうございました。
この日の学びで精進するぞー。
2023年公演の様子もこちらでレポートしてます♪








