山里リトリートねこ福 ✢✢ 時間が止まる龍宮城へようこそ ✢✢ 大阪高槻 神峰山の郷

山里リトリートねこ福 ✢✢ 時間が止まる龍宮城へようこそ ✢✢ 大阪高槻 神峰山の郷

Timeless Comfort ~ 時間が止まる龍宮城 ~
築130年古民家をリノベーション、大地からの贈り物に包まれて内観するための空間をご提供しています。こだわって過ごす交流の場にも。大阪駅・京都駅から1時間、奇跡のアクセスで桃源郷へ♪


・:.。..。.  静けさのなかに身をしずめ内観するためのリトリートスペース   .。..。.:・

木の温もりと季節を肌で感じて過ごす空間
鳥のさえずり、揺れる葉音、虫の声…
木々を抜けて届く風、波打つ稲穂。

ここに佇めば心が静まり、自然と共にある実感に慰められます。
古き良き何かに触れて目覚める時間をどうぞ

占星術を紐解く
➡︎星しるべ リトリート

築130年古民家で過ごすリトリートイベント
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山里ねこ福はこんなところ
ねこ福についてフォトギャラリー

 

フェルメール『真珠の耳飾りの少女』が来月大阪にやってきますね!

 

所蔵美術館が今後一切の貸出さないと宣言してるので、日本で観れるのはこれが最後になりそうです。

 

 

 

 

 

チケットは日時指定の予約販売のみ。

つい先程(14日)から1週間限定で抽選予約の応募が始まりました。

 

先月の先行販売ではアクセスが殺到してサーバーがパンクしたのだとか。

人気のほどがうかがえますね。

 

 

ねこ福では希望者を募ってみんなで抽選に挑むことにしています。

1人くらいは当たるんじゃないかな。

 

便乗する方はこちらにご連絡くださいませ。

日時を相談して同じチケットに全員で応募します

 

 

 

美術館での鑑賞に先駆けて、ねこ福では《予習の会》を開催します。

 

事前情報ありきで鑑賞するのはねこ福サロンのポリシーではないのだけど、こんなにも注目が殺到してる展覧会は別問題。

 

おそらく会場はたいへんな混雑になることでしょう。

人垣の隙間から覗くだけでは、「見た」で終わってしまう。

 

この作品、意外と小さいのです。(44.5 cm × 39 cm)

 

 

混み合った会場でも「自分が気になってたポイント」をしっかり見届け、さらなる発見に出会えるよう、観ることに慣れておきませんか。

 

 

真珠の耳飾りの少女:フェルメール展予習

 

 

 

ねこ福『真珠の耳飾りの少女』鑑賞サロンリトリート

 

🎨実寸大のパネルを高画質でご用意しています。

 

 間近でじっくり鑑賞いただくことができます。

 

 コーヒータイムもありますのでくつろいだ気分でゆったり鑑賞いただけます。

 

🎨この作品を題材にした映画も鑑賞します。

 

 ’03に製作された映画があります。

 映像がとても美しい作品なので、100インチスクリーンで鑑賞しましょう。

 

 実話ではないけれど、絵画をとおして膨らむ空想を楽しめます。

 

 

 

ということで久々に映画鑑賞《テアトルねこ福》も同時開催です♪

 

『真珠の耳飾りの少女』の世界、フェルメール作品の中の静寂にタイムスリップする午後をご一緒しましょう。

 

 

開催日候補が2日あります。希望日を添えて参加表明くださいませ。

どちらでもOKだと大歓迎です

 


『真珠の耳飾りの少女』鑑賞リトリート
絵画鑑賞と映画鑑賞の午後
8月9日(日)または30日
 12:30〜16:30


フェルメール「真珠の耳飾りの少女」と猫

🎨実寸大パネルでの絵画鑑賞

🎨ホームシアター鑑賞   
☕️コーヒーブレイク    

参加費:2500円      
      

参加表明はこちらから ➡︎ ❖❖❖
 
 

 

 

映画に関して簡単にご紹介しますね。

 

絵画『真珠の耳飾りの少女』は、この映画が発表されるまで『青いターバンの少女』と呼ばれていました。

 

正式な名前を改変させてしまうほどに大ヒットしました。

 

少女役には若き日のスカーレット・ヨハンソンが。既に独特のオーラを放っていて、作品に厚みを添えております。

 

フェルメール鑑賞への理解も深まりますよ。

 

真珠の耳飾りの少女 鑑賞会

 

 

 

 

ねこ福の絵画鑑賞サロンは、一枚の絵画をじっくり鑑賞することで、美術館での歩きながらの鑑賞ではできない体験をしていただきます。

 

眠らせてる感性がうごめきはじめるまでゆったりと過していただきますね。

 

次回で7回目の開催となります。

 

 

美術館への訪問は必ずしもセットではありません。

ご都合にあわせて個別にご予定くださって差し支えありません。

 

ねこ福での鑑賞リトリートのみの参加でも、絵画鑑賞の一助にしていただけたら幸いです。

 

参加表明、お待ちしております〜♪

 

 

 

ヨガ先生のご自宅の本棚で見つけた本を読んでみました。

 

ヘッセ『シッダールタ』

ヘッセ著「シッダールタ」の書影

 

ヘッセの何を知ってる訳ではなかったけど「ヘッセと釈迦」というのが意外で、どんなふうに語られるのかが気になりました。

 

 

シッタールダといえば釈迦の名前。だけど、この話では別人で、釈迦と同時代を生きたもう一人の求道者。

釈迦の説法を聴くも決別し、独自に探究の道を進む物語でした。

 

いやぁ、めちゃくちゃおもしろかった。

 

 

主人公には敬愛しつき慕ってくれる親友がいたのだけど、彼のことを「ぼくの影」と形容した。道をたがえて釈迦に帰依することになった彼を「釈迦の影」と呼んだ。

 

そうなのよ、誰かに教えを乞い続ける限り影の存在であり続ける。俗だと…金魚のフンってとこか

 

「自分で気づく」ことでのみ辿り着ける境地があると、この小説は主張している。

 

 

時に苦行に身を置くことも、世俗にまみれて欲を満たすことも、真我に至るに必要な経験。

 

重要なのは、その場で自分がどう感じているか、そもそも辿り着きたかった境地に近づける手段になってるのかを自問し続けること。

 

悟りに至る道筋は人の数だけ用意されてる。誰かの言葉を聴いて到達できるものではない。

 

そのようなメッセージを受け取りました。

 

 

 

自宅では読書時間を確保するのが難しい。

 

先日、温泉宿でオーシャンビューの部屋が取れたので、話に浸ると決めてこの本を持っていきました。

 

ヘッセ『シッダールタ』と海を望む部屋

ビール飲みながらとかバチ当たるやろか…、いやいや欲を解放してこそということに

 

 

主人公シッタールタは後半生を川のほとりで暮らし、川から多くのことを学び悟りを開きます。

 

「時は存在しない」という概念を、川を見つめていると納得できたといいます。

 

川はどこでも同時に存在する。水源においても河口においても(略)

川は現在があるのみで、過去の影も未来の影もない

川はこんこんと流れ、常にそこにある。大昔から同じでありながら、どの瞬間も新しい!

苦しむのも、恐れるのも、すべて時間に起因する

時間を克服し、時間を考えずにすめば、この世にあるどんな困難も、いかなる障害もなくなり、解決するのではなかろうか?

 

こうして書き写すと、再び『へ?』となりそうですが、言葉にすると別のものになってしまうということも別の箇所で書かれてました。

 

だからこそ、川の一部である海の傍でこの本を読み切れたのは、なんともいえないニュアンスで説得感がもたらされ超ラッキーでした。

 


オーシャンビューの宿と海

 

読みながらも、読み終えてからも、静かで無限に広がる余韻が続いていて、とても心地よいです。

 

ちょうど眼下に広がっていた膨大な水を湛える内海が、それを視覚化してくれてました。

 

 

 

釈迦にせよキリストにせよ、世に流布する教えを聞くより、こうしたそもそも論に立ち返る始祖の話のほうがスーッと馴染みやすい。

 

映画『リトル ブッダ』や宮本輝のインド紀行を観た後と同じ清々しさに浸っております。

 

 

 

 

訳本はたくさんあるようだけど、光文社 酒寄進一訳がオススメかも。

 

注釈が絶妙で、インド哲学(ヨガ)の入門者でも読み進められるようにさらりと解説が付されてる。

 

しおりには登場人物の紹介が。これがあると、この人誰?っと何度も頁を戻る必要もなし。

 

心遣いが憎すぎる。出版もここまで顧客寄りの工夫をする時代なんですね…

 

ヘッセ『シッダールタ』と手書きノート

 

いくら名作でも日本語訳で響きはまったく変わってしまう。

あとがきに訳者の苦労談が披露されてるのだけど、こだわりが凄い。

 

心を砕いて綴られた文章、現代人がつっかえなく読めて、原文の本質に集中できます。

 

 

 

そういえば、

 

超能力←見えるとか気を扱うとかをもってることと悟りが開けていることは全くの別物だということも、文面から確認できました。

 

ほんとそうだよね。混同しがちだけど、気をつけるべき重要ポイントだなと。

 

 

下村観山展が素晴らしかったのでそのレポートを。

 

横山大観は知ってても、下村観山を知る人は稀なのでは?

 

両者はおなじく岡倉天心の門下生で、むしろ画力は観山のほうが秀でてたのだとか。

知らんかった〜。

 

岡倉天心の審美眼はすごい。その一番弟子のことを詳しく知れるなんてこりゃ大変だと、いざ和歌山県立美術館へ。

 

 

当会場限定で2週間だけ展示される作品があるとのことで、強行スケジュールで訪れてきました。

 

下村観山『白狐』屏風:森とすすき

『白狐』 

 

どの作品も素敵でしたが、この屏風のために無理くり日程を詰めた自分を褒めたい。

来て良かったという満足が沁み渡りました。。

 

 

 

にわか寸評ですが、観山先生の最も素晴らしい特徴はこの2点かと。

 

・唸るほど美しい超絶細密描写

・古典芸能の精神を汲んだ世界観

 

近代日本画ではあるけれど、一筆一筆息を詰めて引かれたであろう描線は伝統工芸品のように精緻な緊張感を放っています。

 

 

細部までじっくり鑑賞するために単眼鏡を借りました。

 

 

さっきの白狐をクローズアップすると…

 

下村観山『白狐』の繊細な描写

 

毛並みの質感が見てとれるし、鋭い眼差しに哀愁が滲むことも感じるし、霊性の高さも漂わせてる。後で知ったけど この狐は安倍晴明の母なんだとか… なるほど

 

離れて眺めると、

左隻の余白がモダンでかっこいい。これは白狐が縁を絶ってきた人間界の空虚さを表してる。

 

近づくと、白狐の目力に圧倒される。雑木林の棲家へ戻る決意が伝わってくる。

 

離れたり近づいたりしながら技巧と物語を堪能しました。

 

 

 

立ち位置で作品の印象がすっかり変わってしまう摩訶不思議。

 

『小倉山』

屏風絵:下村観山「白狐」の描写

 

斜めから観ると、紅葉の海に溺れ恍惚としてる臨場感が

下村観山『白狐』屏風:精緻な描写と伝統美

「小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの 行幸待たなむ」が題材

 

 

 

『雨の芭蕉』

雨の芭蕉に雀、下村観山展

 

寄ってくと…、雨宿りの雀を発見

雨宿りする雀と芭蕉の絵

 

単眼鏡で雀の息遣いを盗み見しようとすると…、端の雀は雨で頭がそぼ濡れ

仲間内の事情まで想像できてしまう

 

雨の芭蕉、雀の雨宿り

 

 

こんな感じで、細部にも構図にも緻密な思慮が払われているのだけれど、

 

それよりも作品の核となっているのは背後にあるドラマ性だったり、場に満ちる空気感だったり。

 

感覚を研ぎ澄ませるほどに煙立ってくる情感や見えない摂理。

 

 

紀州徳川家に仕えた能楽師の家系出身だそうで、古典芸能の真髄が作品に注ぎ込まれているように感じられました。シビレマス

 

 

 

 

こちら『十六羅漢』の部分

下村観山『十六羅漢』の部分

高僧方々の真剣な表情と目力が凄い

 

生き物や人間を描くとき、瞳の描きようで絵の価値が決まる。

 

目に生命力を宿すのは難しい。ましてや慧眼の光をあわせ描くとは、その境地に到達してないとできないことであろうかと。

 

 

 

こちら11歳のときの作品『許由』。

下村観山『白狐』山水画

 

会場の冒頭に展示されており、しょっぱなで腰を抜かすことに。

 

伝統芸能のお家元には一般人が及び得ない老成の秘伝があるのでございましょうね。

 

 

能の精神を、日本画という親しみやすい媒体を通して体感させてもらえたのかなと。

 

凛となにか内側に響くものがあり、背筋がスッと伸びて、きめ細やかな日本人の感性が調律された…気がします。

 

 

下村観山『小倉山』屏風の木々

 

木立に立ち込める金色の光。

 

感覚を研ぎ澄まして自然の中へと紛れ込んでみたならば、

貪欲にパワースポット巡りをしても見つけられない光と、そこで出会えたりする。

 

 

生命を描写する細密表現は神がかっていて、対象への愛と感謝が溢れているように感じました。

 

細部まで手を抜かず、見えないところに心を込める。

 

それが日本の伝統文化なんですよね。

 

 

下村観山『小倉山』のぶどうと葉

金色の光の筋 伝わるかなぁ

 

 

下村観山の作品をこれだけまとめて鑑賞できるのは貴重な機会だと思います。

 

7月20日まで開催されてるので訪れてみてください。

 

 

 

単眼鏡を借りるのをお忘れなく。

 

 

 

 

 

和歌山県立美術館は黒川紀章の設計だと、帰宅してから知りました。

 

階段を昇る女性、モダンな内装

 

ウサギの彫刻とガラス張りの壁

 

波打つ椅子2脚 下村観山展

 

遊び心が散りばめられた空間使いがおしゃれで贅沢でした。

 

外観は理屈っぽく短絡的で景観との調和をハズしてる感が否めなかったけど、それが黒川建築の味わいなのか。風景に調和しない建物は公害だと思ってるので賛同できなかった…

 

建物もぐるっと廻ってみるとそれなりに楽しめると思います。