フェルメールの絵は人物に焦点を合わせていません。
登場人物の身の周りに描かれた調度品や小物などに
より眩しい輝きが与えられ
はっきりくっきりと描写されている。
むしろそちらに力を注いで強調しようとしたかのように見える。
『フェルメール展』で感じたこと、
ここのところ連載させてもらてます。
ねこ福とは何の関係もないんだけど。
この絵、如何ですか?
少女は愛らしいのに、周囲の描写は似つかわしくなく陰気ですね。
今まで、それが不思議でした。
人物を闇から浮き立たせる作風は、
一世代先をいったレンブラントが確立したもの。
この絵は何度も来日しているので、
何度も見ている筈なのですが、
今回、間近でじっくり見ることができて、
ある発見がありました。
この絵では、少女ばかりでなく、
テーブルの上の小物、椅子の背もたれの金装飾などの光沢には、
より眩しい輝きが与えられている。
とても細かいから絵のバランスを崩さないのだけれど。
フェルメールはレンブラントの画風を踏襲しているようでありながら、
闇から浮かび上がらせたのは人物ばかりでなく
光そのものだったのではないかな。
そんなことを思いながら別の絵の前に行ったなら、
またしても人物より、手前の水差しとグラスだけが
ピカピカに克明に描かれている。
もしや、フェメール、人物描写が苦手たっだ?
そんな失敬な考えも一瞬よぎったけれど、、
いやいや、これは敢えて人物にピントを合わせずに描くことで、
何かを表現している。
人間の動き、息使い?はたまた体温?
確かなもの(物体)に対して、不確かな人間の揺れ動く心?
そういえば、ルーブル美術館にある名作だって、
ピントが合っているのは、縫い子が手にする糸だ。
おぉー、真意はわからんようで、わかったような気もする。
これは、今回の展覧会で発見したこと。
同じ画家の絵を何枚も見比べられたから気がついたもの。
世界中で30数点しかないフェルメールの作品を、
1度に6点も、
しかも、至近距離で心ゆくまで鑑賞できたから。
本当にラッキーだった!
フェルメールの絵は宗教画的な役目も担っていて、
寓話がさりげなく幾重にも盛り込まれていることを、
昨日書きました。
凡人が解説するには力量が足りない領域だけれど、
あるかなきか、手が届かない存在として崇高に描き上げるために、
主人公の少女の輪郭は、
敢えてほどよくぼやかされているのかもしれないな。
っと、これは、帰てっから思ったこと。
名画は、後からじわじわ効いてくる。
絵画の画像は公式HPから借用させてもらいました



