「姉」とは思うが「お姉ちゃん」とは思えない人 | コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

 閃いて、まさに!という想いでつけたのですが……司馬遼太郎さま、ごめんなさい……!
 

 

 

  そう、逆に今の姉にとっては「家に戻る」ことが非・日常。

 

  極端な話、「久し振りの休日」と言うか「観光地ハイ」の様になっているダケんじゃないだろうか?……と。

 

 

  それは「一人暮らし」に退屈した母が唐突のように高齢者マンションへの引っ越しを決め、でも母の「本質」は変わっていないから直ぐまた「退屈」になって……を繰り返している事と似ているな、と私は考えてしまうのだ。

 

 

 

 

  義兄にしても、今は彼自身が「ヒマ」でもあるから毎日のようにお見舞いに行けて、外泊時にしても一泊という『期間限定』だから姉にべったり寄り添って行動出来る訳で。

 

 

 

  これが本格的な『介護』となったら?

 

  我が母が「世界最高の介護」を自負しながら、その内容は「過去の怨み」から、無抵抗となった当人に対する執拗な罵倒の日々だったように……?

 

 

 

  いや、もちろん義兄は姉に対して「怨み」などある訳はない。

 

  (「その逆」は保証出来ないけど🤣)

 

 

 ただ、過去の例など考えても

 

 

  「妻が夫の介護をする」

 

  …のは、それまでの日常の延長のようなものと言えるかもしれないが

 

 

  「夫が妻の介護をする」

 

  …のは、同じ事をしている筈なのに当人も周囲も含めて「非常な負担」と受け止められている気がする。

 

   (もちろん「例外」だってあるのは当然ですよ、念の為)

 

 

 

 

  露骨に言えば、介護の末の「夫殺し」は単純に非情な妻とされるのに対して「妻殺し」には未だまた甘く、夫には妙な同情の念すら向けられる……ということとか?

 

  まあ、「そんな男」を育ててしまったのは主に母親の責任と言ってしまえばそれまで、だけどね?🤣

 

 

  

  と言うか何でも「ヒトのせい」に出来るならこれほどラクな事は無い。

 

  ラクだけれども、それは今居る『沼』から抜け出せない、ということでもある。

 

  いや、当人達は『沼』に居ることすら気付いていないかも知れないけれど、そうしたことを続けていたら最終的にはいわゆる

 

  「そして誰も居なくなった」

 

  …になるんじゃないだろうか?

 

  「自分から」そういうことを求めてた、というのなら良いだろうけど。

 

 

 

 

  何回も書いているが、義兄は年代的に言えば「マメな方」だと思う。

 

  ただ、私は彼が「料理」をしている(=最低限でも手伝っている)イメージが見事にない。

 

  姪や甥の出産で姉が留守するような時には未だ元気だった義父母が嬉々として世話に来ていた筈だ。

 

 

  以前私達が滞在している時でも、妙な所で見栄っ張りな姉は義兄の前では料理に私が「手伝う」ことすら嫌っていたから、これもある意味「自業自得」と言えるのかもしれないが。


 

 

 

 

  姉の「お試し外泊」は今月末にまた行われ、その結果に寄って今後の対応=退院の時期が決まる、とのこと……。